第十七話 アーノルドとアウルルの甘いひと時
第十七話 アーノルドとアウルルの甘いひと時
騒ぎが収まり、護衛たちが去った後――。
アウルルの部屋には、重たい静寂が戻っていた。
だが、それは決して穏やかなものではない。
床には倒れた椅子、割れた装飾品。
壁には剣がかすめた跡が残り、絨毯には点々と血が染みついている。
つい先ほどまで、命のやり取りがあった証だった。
アウルルは改めて、自分が紙一重の場所にいたと思うと、緊張の糸が切れて、急に震えだしてきた。
明日、公爵領に向かう予定で、ふわふわした感覚でなかなか寝付けずにいた。
そんな時、ふと本を取り出して読み、眠気がくるのを待ってみた。
しかし、やってきたのは眠気ではなく、侵入者たちであった。
もし、あのまま逃げきれなければ、どうなっていただろうか?
暴漢たちに捕まっていたら、今頃、わたくしは生きていられただろうか?
アーノルド様の身は、大丈夫だったろうか?
そう考えると、震えが止まらなくなってきた。
手が無意識に揺れる。
抑えようとするが、抑えられない。
こわい……
コワイ……
怖い……
居服が頭の中を駆け巡り、背筋に寒気が走った。
そんな様子のアウルルに気が付かずに、アーノルドは赤い髪を搔きながら、のんびりと部屋を眺めていた。
「……これは、ひどいな」
アーノルドは室内を一通り見回し、小さく息をつく。
「今夜は、ここで寝るのは無理だな」
当然の判断だった。
だが、その言葉を口にした直後――
「……」
彼の視線が、ふと止まった。
アウルルの銀の髪と、そして、その手を見つめる。
かすかに――震えている。
(……怖い思いをさせてしまった)
暴漢に襲われそうになり、部屋が戦闘で荒らされたのだ。
平然としている方が不自然だろう。
先ほどまで気丈に振る舞っていたが、それは緊張していただけだったのだろう。
緊張が解ければ、自然と恐怖を実感する。
アーノルドは、初めて人を斬った時のことを思い出していた。
騎士団時代に、初めて任務で盗賊を斬った。
無我夢中だった。
任務を終えた後に、急に怖さが頭を支配した。
死ぬところだった。
あと少し剣がずれていたら死んでいたのは、盗賊ではなく自分だった。
そう実感した時の、恐怖感をアーノルドは思い出した。
そして今、アウルルも似たような経験をした。
あまりにも恐ろしい、非現実的な出来事。
平気でいられるわけがない。
「……アウルル」
アーノルドはゆっくりと歩み寄る。
そして、アウルルが怖がらないように、そっと彼女の前に立った。
「もう大丈夫だ」
低く、できるだけ優しい声を出した。
「助けが遅くなってすまなかった」
その言葉に――
アウルルの蒼い瞳が、わずかに揺れた。
「……いえ……」
小さく首を振る。
だが、その声はわずかに震えていた。
「わたくし……」
言葉が、続かない。
アウルルの手だけではなく、体全体が小刻みに震えていた。
「……怖かった、ですわ」
絞り出すように、零れた本音。
その瞬間。
アーノルドは何も言わず、そっと彼女を抱きしめた。
大きな腕で、包み込むように。
優しい温もりが、伝わるようにと。
彼女の中の恐怖が消えてなくなるようにと願いながら。
「……」
アウルルの肩の力が、少しだけ抜ける。
震えが、ゆっくりと収まっていく。
「もう悪い奴は来ない」
アーノルドは、言い聞かせるように耳元で囁く。
「もし来ても、お前を守るから大丈夫だ」
その一言だけで――
アウルルの蒼い瞳から、自然と涙が零れ落ちた。
そして、流れるように頬を伝う。
「わ、わたくし、怖かった……し、死ぬかと」
アウルルはアーノルドの筋肉で鍛えられた胸の中で、力強い腕に包まれ、泣き出した。
それを黙って、アーノルドは優しく抱きしめるのだった。
アウルルの心から恐怖が薄れていくまで。
しばらくの間、二人はそのまま抱きしめ合っていたのだった。
やがて。
「……このままでは冷える、移動しよう」
アーノルドが、柔らかく声をかける。
「この部屋は、今夜は使えない」
壊れた室内を一瞥しながら、穏やかに続けた。
「俺の部屋へ」
その言葉に、アウルルは静かに頷いた。
蹴り飛ばした扉があった場所から、アーノルドはアウルルと手を繫いだまま居間に移動する。
夜の屋敷は、再び静けさを取り戻していた。
先ほどまでの騒ぎが、嘘のように。
居間の先の扉を開けると、アーノルドの寝室になっている。
質素だが、整えられた空間だった。
「今日は、ここで眠るといい。俺が見張りをしている」
そう言って、ベッドを示す。
だが――
「……アーノルド様は、どこでお眠りになるのですか?」
アウルルが、不安げに尋ねる。
「俺はいい。一晩ぐらい寝なくても問題ない」
あっさりと答えるアーノルド。
しかし。
「ダメですわ」
きっぱりとした声。
アーノルドの赤い瞳が、わずかに見開かれる。
「アーノルド様に何かあったら……わたくしが困りますわ」
アウルルの真っ直ぐな蒼い瞳がアーノルドを見上げる。
「わたくしが寝ないで、見張っていますわ」
「いや、君は寝た方がいい」
「わたくしは大丈夫ですわ」
小さな言い合い。
だが、どちらも譲らない。
そして――
ふと。
アウルルが、少しだけ視線を逸らした。
「……では」
ほんのわずか、頬を赤らめながら。
「一緒に……添い寝するのは、どうですか?」
一瞬の沈黙。
アーノルドは、彼女を見つめる。
冗談ではない。
アウルルは本気のようだ。
「……」
やがて、ふっと息を吐いた。
「……分かった」
短く答える。
それが最善だと、判断したからだ。
二人は、静かにベッドへと入る。
広い寝台。
だが、どこか距離は近い。
最初は、少しだけぎこちない空気。
しかし――
アーノルドは、ゆっくりと腕を伸ばした。
そして、そっとアウルルを引き寄せる。
大きく、温かな筋肉質な腕。
その中にアウルルを包み込む。
「……怖かったか?」
低く、優しい声。
アウルルは、わずかに身体を震わせ――
「……はい」
小さく、答えた。
アウルルの銀色の髪を、アーノルドは優しく撫でる。
何度も、ゆっくりと。
愛しい者を慈しむように。
「もう大丈夫だ」
繰り返される、その言葉。
規則正しい手の動き。
やがて。
アウルルの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
震えも、消えていく。
そのまま――
彼女は、ゆっくりと蒼い瞳を閉じた。
長い銀髪をベッドに広げ、安らかな寝息が小さく響く。
「……」
アーノルドは、その様子を確認する。
ほんのわずかに、口元を緩めた。
そして、再び彼女の頭を撫でながら。
次第に瞼が重くなり、赤い瞳を閉じるのだった。
夜は、まだ深い。
だが――
この寝室だけは、確かな温もりに包まれていた。




