第4話 焚き火と煙
夜が更けて風が冷たくなってきた。
崩れた壁に囲まれた空間で焚き火が弱く燃えている。煙は細く屋根の隙間から夜空へ吸い込まれていった。
「私、先に休むわ。おやすみなさい」
「おう、おやすみ。しっかり休めよ」
テアが立ち上がった。
焚き火から少し離れた壁際に外套を敷いて横になる。見張りは俺が先で、その後で交代する予定だった。
「ちゃんと起こしてね。1人で見張りしようだなんて考えないでね」
「ああ、分かってる。いくら俺でも寝ずに見張りは出来ねぇよ」
俺はそう答えた。
イリスが俺の隣にそっと膝を抱えて座っている。ぴったりと寄り添い、少し暑く感じた。
「イリス、お前は眠くないのか」
「別に」
「休んでていいんだぞ」
「今はあなたといる」
短い言葉だった。俺は何も言わずに枝の先で炎をつついた。
「ねえ、ロイ」
「ん?」
「あなた、千年寝てて夢、見た?」
「夢か」
「うん」
「……見た気もするし、見てない気もする」
「ふーん。曖昧ね」
「目覚めた瞬間に忘れた感じだ。夢なんてそんなもんだろ」
「そうね。あるあるかも」
「お前はどうなんだ」
「武器の状態の時の感覚って説明しづらいの。それに、長い間寝ていてポワポワした感覚?みたいのしか覚えてない」
「そうか」
「でも、あなたが近くにいるのは分かってた」
「……そうかよ」
照れ隠しに、また炎をつついた。
遠くの戦闘音はもう止んでいた。
夜の静けさの中で、焚き火の爆ぜる音だけが、時折響いていた。
炎の光がイリスの横顔を淡く照らしていた。
長い髪が耳のあたりで一つにまとめられている。そこに留められた銀の細工が揺れる光の中で小さく輝いた。
見覚えのある、花の意匠。
「そういえばお前」
「何?」
「それ、まだしてたのか」
指差すとイリスは一瞬だけ動きを止めてそれから髪留めに触れた。
「これ?当たり前でしょ」
「いや、千年経ってんのにしっかり残ってるんだなと思って」
「目覚めた時もちゃんとあったわ」
「長期の武器化状態でも、こういったアクセサリーは当時のままで残っているもんなんだな」
「そうみたいね。でも、それで無くなっても困る」
彼女は指先で髪留めの細工をそっとなぞった。
旧時代、街の職人に頼んで作らせたものだった。銀の細い輪に小さな意匠を一つ。色は入れられなかったが形だけはあの野原の咲き姿そのものを写した。
「覚えてる?」
「何を」
「これをくれた日のこと」
俺は少しだけ目を細めた。忘れるはずがなかった。
「覚えてるさ」
「本当?」
「お前がまだ、ずいぶんと素直じゃなかった頃の話だろ」
「......うるさいわね。まだ子供だったんだから仕方ないでしょ」
イリスの頬が、焚き火のせいではない色に染まった。
丘の上。夕方近く。街の外れで二人きり。あの日の風の匂いまで俺は覚えている。
それはイリスの十七歳の誕生日だった。
「誕生日にくれたあの日ずっとしてろって言われたから」
「そうだったな。確かに言った」
「だからしてるの」
「そうか」
「そうよ」
「なんだよ、素直に『嬉しいです』って言えばいいのに」
「うるさい」
「さっきと同じこと言うな」
「うるさいから、うるさいの」
短い返事しかできなかった。何か言おうとすると、喉の奥が少し詰まる気がした。
彼女はそれ以上は何も言わなかった。
ただ焚き火を見つめていた。時々、髪留めに指先で触れていた。
その仕草だけで十分すぎるくらいだった。
明け方、俺は外に出た。
見張りを途中で代わってもらい少しだけ眠った後だった。東の空がぼんやりと白み始めている。夜の冷気がまだ地面に残っていて呼吸が白く霞んだ。
建物の外をぐるりと回る。
周囲に異常はない。魔物の気配もない。N.S.S.Aは静かだった。
足元で何かが目に入った。
瓦礫の隙間。土の間。
そこに小さな花が咲いていた。
俺は足を止めた。
淡い桃色の五枚の花弁。
小ぶりで、控えめな姿。葉は細く、茎は頼りないほど細い。それでも確かにそこに咲いていた。
「これは......」
思わず呟いていた。
千年近い時間を挟んで同じものが同じ色で咲いている。そんなことがあるものなのか、と。
だが、事実としてそこにあった。
俺はしゃがみ込んで一本だけ手折った。茎は思ったより簡単に折れた。昔と同じだった。
建物の中に戻るとテアは焚き火の前でお茶らしきものを淹れていた。イリスは少し離れた場所で髪を整えている。
「おはよう」
「おう」
「周囲に異常はなかったかしら」
「ああ。特に見つからなかったぜ」
テアが俺の手元に気づいた。
「何、それ」
俺は少しばつが悪そうにそれを隠すような仕草をした。
「......いや、なんでもない」
「ちょっと見せて」
「いやだ」
「なんでよ」
「お前に見せるためじゃない」
「あら、じゃあ誰のためかしら?」
「うるせーな」
そのやり取りに、イリスが振り返った。
俺と桃色のそれとを数秒だけ見比べた。それから立ち上がって近づいてきた。
「ロイ!」
「ん」
「それ、メロウィナの花じゃない!?」
「ああ」
イリスの目が少しだけ見開かれた。その反応で俺は確信した。イリスも忘れてはいなかった。
「外に咲いてた」
「......嘘」
「本当だ。昔に生えていたのも同じだ多分」
「今も咲いてるんだ」
「ああ。まぁなんだ、ほら、これやるよ」
俺はそれを差し出した。
彼女は少しだけ躊躇ってそれから両手で受け取った。
「……ありがと」
「ん」
それ以上何も言わなかった。
イリスは桃色のそれを髪留めのそばにそっと挿した。銀の意匠と本物の花弁が並んで揺れた。
「はいはい。朝からお熱いことで。私のこと忘れてない?」
テアが呆れたように言う。
「いやーすまんな。まさか、メロウィナの花を見つけるなんて思わなくてさ。ちょっと舞い上がっちまった」
「そ、そうね。私も嬉しくって。ごめんなさい」
「いいわよ。気にしないで」
それから朝食を終えて出発の準備を始めた頃だった。テアが地図を広げて何かを考え込んでいる。
「次、どこ行くの」
「情報が欲しいところね」
「当てはあるのか」
「少し大きい街に寄りたいわね。セレフィアの行商人がよく来る場所があって」
「セレフィアの」
「ええ。知識がある種族だからこっちの状況を掴むのに都合がいいの。なにか情報持ってるかもしれないし」
俺は地図を覗き込んだ。
セレフィアが旧時代の文字を継いでいると昨日聞いたが地図の表記はさっぱり読めない。指で示してくれなければ現在地すら分からなかった。
「つまり距離はどれくらいだ?」
「歩いて二日くらい」
「まぁ行くしかないな」
「その前にもう一箇所」
テアが別の場所を指差した。
「ここに人間の隠れ里があるの」
「隠れ里?」
「昨日も言ったでしょ。人間は隠れて暮らしてるって」
「ああ、そうだな」
「ルート上にあるし、寄っていきたいの。私も顔を出したいし」
テアの顔が少しだけ柔らかくなった。知り合いがいるらしい。
「テア以外の人間か。歓迎されるのか俺達」
「あなた次第ね」
「おい平気かよ」
「ちゃんと話せば、大丈夫よ。多分」
「多分って言うな。不安要素が増えるじゃねえか」
「冗談よ」
「冗談に聞こえなかったが」
「半分本気」
「それ、結局どっちだよ」
「半分」
「答えになってない」
「やっぱりあんた見た目に反して臆病なんじゃないの?」
「だから慎重だって言え」
イリスが横で小さく吹き出した。
どうせからかいたいだけだろうテアは。俺は肩をすくめて荷物を背負い直した。
「さっさと行くぞ」
「うん」
「ええ。私が先導するわ」
街道に出た頃には日が高く昇っていた。
テアは自前のフードがついた外套をフードまで被り、イリスは俺がテアからもらったフードがついた外套のフードまで被っていた。女性陣はこの日光を遮るものを持っていたが、俺はない。
廃墟の間を縫うように細い道が延びている。かつてはしっかりした街道だったのだろうが、今は草に覆われてかろうじて道と分かる程度だった。
半日ほど歩いて昼を過ぎた頃。
前方に薄い煙が一筋立ち上っているのが見えた。
「あれが」
「ええ、その里よ」
テアが足を止めた。
表情が朝とは少し違う。柔らかさが消えて代わりに慎重さが浮かんでいた。
「一つだけ先に言っておくわ」
「なんだ」
「あそこの人たち今、あんまり余裕がないの」
「余裕っていうと?」
「最近、魔物の襲撃が増えているの。それで怯えてる人が多く、神経質になってる人が多いの」
「……なるほど」
「あなたの恰好、軍人っぽいでしょ。警戒されるかも」
「そうだな、大人しくしてるよ」
「剣もなるべく見せないで」
「剣を見せるな、か。まぁ、俺の剣はイリスだけだから心配はいらないな」
「ええ、そうかもね。で、人間の隠れ里では武器を持ってる人間自体が珍しいの」
「そりゃ、皆隠れて暮らしてりゃそうか」
「そういうこと」
俺は両手を軽く上げて降参の姿勢をとってみせた。
テアが少しだけ笑った。
風が吹いた。
イリスの髪が揺れる。髪留めのそばに挿したままの桃色も一緒に揺れていた。
俺たちは再び歩き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
感想や評価をいただけると励みになります。
ブックマークもしていただけると幸いです。
今後も更新していきたいと思います。




