第2話 魔物
イリスの体が柔らかく光の粒に分かれた。
宙で舞うように形を変え、次の瞬間、俺の手の中に白銀の刀身が収まる。
少女から、白銀の刃へ。
切り替わりの直後は意識が直接繋がるような感覚が強くなる。武器化状態の彼女とは呼吸も思考も、ほとんど同じ場所から出ているように感じられた。
通路の闇が四つの形を押し出した。
最初の一体は既に助走に入っていた。床を削る爪音、獣じみた呼吸、黒く濁った体躯。青白い非常灯の下でその姿はひどく不鮮明にぶれて見えた。
俺は腰を落として剣を中段に構え、浅く息を吐く。
「イリス、一つ聞くぞ」
「何よ」
「あいつら、仕留めるか、捕まえるか」
「仕留めるでしょ、どう見ても」
「……そうだな」
「どうしたの?何か迷う必要あった?」
「ないけど、一応な」
柄に埋められた桃色の宝石が応えるように脈打った。イリスの声は武器の奥から直接響く。武器化状態の彼女とは、意識が繋がっているようなものだった。
「ねえ、ロイ」
「何だ」
「さっきから調子、変じゃない?」
「そうか?」
「あなたの手のこわばりが伝わってくるの」
「......緊張してるんだよ。久しぶりだからな」
「千年ぶりで、緊張で済めば御の字ね」
「違いないな」
「まぁ、あなたに限って初歩的なミスは起こさないと思うけど」
『——接敵まで三秒』
(N.S.S.A、俺の身体の調子は?)
『起動直後です。回復は進んでいますが完全には回復していません。七割程度とお考えください』
(上等だ)
『無茶はなさらぬよう』
(お前、本当によく喋るようになったな)
『時間がありましたので』
七割。それでも、第二世代と同程度とされる魔物相手には十分のはずだった。先頭の一体が爪を振りかぶる。
「行くぞ」
「誰に言ってくれちゃってんの!」
踏み込む。
体が重い。血の巡りがまだ完全ではない。それでも筋肉は覚えていた。人体改造の痕跡は千年の眠りの下でも確かに残っている。
白銀の刀身が低く走った。
浅い。
肩口を掠めた程度の一太刀。ただの斬撃なら魔物とやらは止まらなかっただろう。
しかし次の瞬間。
魔物の肩から内側へ向けて黒い亀裂が走った。皮膚が、肉が、骨が砕ける順序を失ったように崩れていく。
一体目は断末魔を上げる暇もなく、前のめりに崩れた。
「ふん。健在ね、崩壊付与」
「お前の相変わらずの反則技だな」
「褒めてる?」
「褒めてるさ」
かすり傷でも致命傷に昇華する。
それがイリスの能力、崩壊付与。彼女と俺の間の感情が強いほど出力は跳ね上がる。
今の戦闘能力は決して昔と同じではない。だが、少なくとも一つだけ変わっていないものがあった。
二体目が跳ねた。
天井を蹴って、頭上から爪を振り下ろす軌道。
「上!」
「見えてるぜ」
半歩だけ身を引き、落下の軸を外す。爪は俺の肩の横を掠め、床を深く抉った。
その腕の付け根に剣先を当てる。
たったそれだけ。
二体目の身体が内側から崩れた。
「やっぱ強いわね」
「誰が」
「あなたがよ」
「お前のおかげだろ」
「ま、まぁ私のおかげもあるけど、体が覚えてるのね」
「まぁ覚えてもらわなきゃ困る」
「そうね」
壁際でテアが小さく声を上げた。
「ちょっと、待って」
「どうした」
「その武器、魔物を一撃で倒したの?」
「倒したというか、崩した」
「崩した?」
「こいつの能力だ。あとで説明する」
「はぁ.....分かった。続けてちょうだい」
三体目と四体目は、呼吸を合わせて挟み込んできた。
通路は狭く、背後には下がれない。テアがいる。
「テア、壁に寄ってろ」
「もう寄ってるわよ! あなたが戦うって言ったんだからしっかりしてよ」
「はいはい、分かってますよ」
左の一体に向かって踏み込み、剣を振り抜く。途中で軌道を変え、右の一体の脚を切り裂く。
どちらもかすった程度。
——だが、それで十分。
二体とも同時に膝から崩れた。
「上出来!」
「やっと感覚戻ってきたところだ」
「良かったじゃない」
「まだよ。気配が残ってる」とテアが言った。
「まじかよ」
「もう一体、遅れてきてる」
『——警告。最後の一体、強力な個体反応あり』
『通路の奥、遅れて一体接近中。他の四体とは別種の反応です』
通路の奥。
四体とは遅れてもう一体、ゆっくりと這うように近づいてくる影があった。
他の個体より一回り小さい。歪みも浅い。その顔が青白い照明の下に入る。
止まった。
俺の足が、だ。
小さかった。成人の体格ではない。少年か、少女か、その境目くらいの細い体躯。皮膚の爛れも他よりずっと薄く、かつての面影が残っていた。第二世代の嫌な記憶を思わせるようだった。
白く濁った目の上の眉の形。黒い粘液の垂れる唇の曲線。
かつて確かに人間だった者の。
「......」
「ロイ?」
「.....いや」
「どうしたの」
「何でもない」
「嘘ついてるでしょ。私にはわかる。...ねぇロイ、あれってやっぱり......」
「言うな。頼む」
「......分かった」
嘘だった。
頭の奥で古い記憶が針で刺すように疼く。
同じ人間が仲間がそうなっていくのを俺は何度か見た。寄生された者の末路。最初は痙攣、次に変質、最後に原形を失って襲ってくる。あの時も俺は引き金を引いた。迷わなかった。迷ってはいけなかった。
迷えば死ぬ。それだけの話だった。
だが今は
『警告。接近、三秒』
(分かってる)
「ロイ、やるのよ」
「......ああ」
イリスの声はいつもより硬かった。彼女は見ていた。
俺の異変を。たぶん、理由までは分かっていないだろう。ただ、躊躇しているとだけ察しているのだろう。
それで十分だった。彼女を迷わせてはいけない。
息を吐いて、踏み込む。
剣先はほとんど押し当てるように相手の胸元に触れた。
小さな体はそのまま静かに崩れていった。
断末魔はなかった。ただ
最後の一瞬、白く濁った目が何かを見ようとしたように見えた。
気のせいだと自分に言い聞かせた。
通路は静かになっていた。
崩れた五つの影。黒い粘液が床にじわりと広がり、非常灯の青い光がその上で揺れている。
俺は武器を下ろし、深く息を吐いた。膝が今さらのように震えた。
「……終わった、のか」
「ええ。他の気配は、もうないみたい」
「そうか。にしても、よく魔物の気配を感じれたな。俺は感覚が鈍ってるのか何も感じなかったぞ」
「長年の経験ってやつよ。あなたも直に元に戻るわよ」
柄の宝石がゆっくりと光を帯びた。
白銀の刀身が柔らかく光の粒に分かれていく。俺の隣に少女の姿が再び形作られた。武器状態から人の姿へ。
彼女は俺の顔を見ていた。そして顔を近づけて言った。
「ロイ」
「何だよ」
「今の、何」
「今のって」
「最後の一体。あなた一瞬、躊躇したでしょ。昔はそんなことなかったのに」
「.....気のせいだろ」
「気のせいじゃない。ロイのことなら何でもお見通しだからね」
イリスは嘘を見抜く。昔からそうだった。誤魔化せない相手だと最初から分かっていたはずなのに。
「......小さかっただろ、あいつ」
「うん」
「多分、子供だ。元、人間の」
「......そう」
「お前も気づいてたか」
「うん。でも、気づいてたけど言わなかった」
「なぜだ」
「あなたなら何も言わずにやってくれると思ったから」
「......そうか」
「それだけだ」
「......ふうん」
イリスはそれ以上は聞かなかった。
ただ人の姿のまま、黙って俺の手の甲に自分の指先を一度だけ触れさせた。
「続きは落ち着いてから聞く。私は少し疲れたから休む」
「おう」
イリスは壁際に座り目を瞑った。
テアが壁際からゆっくり近づいてきた。
短剣は鞘に納められていたが、その手はまだ柄に添えられたままだった。彼女も緊張はしていたのだろう。
「無事?」
「ああ。かすり傷もない」
「すごいわね、本当に」
「昔から似た様なのと戦ってきたからな」
「そうなのね。そういえばあなた、コールドスリープされてからどれくらいの寝てたの?」
「だいたい千年くらいだ」
「千年も寝てたの!?」
「そんなことは置いといて、とりあえずここから出られるか?」
「え、えぇ。出られるわ。通ってきた通路を戻れば地上に出る階段がある」
「地上か」
「行きたくない?」
「いや、行く。ただ、少し整理させてくれ」
「ええいいわよ」
「.....助かる」
「お礼はいい。私だってあなたを起こすのに何日も悩んだもの」
「そうなのか?」
「当たり前でしょ。見知らぬ人間をいきなり起こすのよ。何が眠ってるかなんて分からないじゃない」
「違いない」
その一言だけでテアは何かを察したように少しだけ声のトーンを落とした。
「驚くと思うわよ。今の世界、あなたが思ってるのとはかなり違うから」
「覚悟はしてる」
「そう。それなら、いいわ」
テアは振り返り先頭を歩き出した。
俺は、崩れた五つの影をもう一度だけ見た。小さな一つは他のどれよりも静かに床に溶けていた。
イリスが俺の隣に並んだ。
細い指が俺の外套の裾をほんの一瞬だけつまむ。何も言わず、すぐに離した。俺は何も気づかなかったふりをした。
通路を抜け登り階段に出る頃には体感で十分以上が経っていた。
湿った壁が乾いたコンクリートに変わり、空気が少しずつ冷たくなっていく。階段の先。はるか上からかすかな光が差し込んでいた。
「外が近いな」
「もうすぐよ」
「テア」
「何?」
「先に一つ、聞いていいか」
「ええ、いいわよ」
「俺みたいに眠ってた兵士は他にもいるか」
「......いる、って聞いたことはある」
「聞いた?誰から?」
「私ね昔、ある人のところで働いてたの。その人から」
「ある人、ねえ」
「ごめん、今はそれ以上言いたくない」
「ああ、分かった。無理に聞かない」
「......悪いわね」
「気にすんな。こっちこそなんか悪いこと聞いちまったみたいだな。すまん」
「平気よ」
「じゃあ、今の世界のことを聞かせてもらおうかな」
「ええ。歩きながら少しずつね」
「じゃあまずは、外はどんな景色だ?」
「それは自分の目で見て」
「なんだよそれ。勿体ぶらずに教えてくれって」
「すぐなんだから少し待ちなさいよ。もしかして怖いの?」
「何言ってんだ。怖いわけないだろ」
「あら、そう。まぁ外の世界は昔と比べて違うものが多いわ」
「違うもの、か」
「うん。建物も、人も、空気も」
「そうだ、空気はどうだ。吸えるんだよな?」
「当たり前でしょ?吸えるから今も私が生きてるの」
「......それもそうだな」
「心配性ね、見た目の割に」
「慎重って言え」
「ふふっ」
テアが初めて声を出して笑った。
短いが彼女の張り詰めた空気を一瞬だけ緩める柔らかい笑い方だった。
俺もつられて口元を歪めた。
イリスが横で小さく鼻を鳴らす。呆れているのか、同意しているのか判別がつかない反応だった。
階段の最上段。
押し開けた先に980年後の空があった。
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