008 アデルの幼馴染
あとはお茶の作法、飲食の作法、ダンスね。
ダンスだけ男役をやったことがなかったので事前に練習しておかなければならない。
ジーク男爵家のメイドに練習を頼んでみるか。
すっかりと日が暮れて暗くなってしまった。
汽車はもう出なくなり、泊るように言われた。
しかし、朝に洗濯して干したものが気になって馬を借りて帰ることとした。
スカートだとあまりスピードが出せずにいて、ズボンも借りればよかったと後悔した。
暗くなる道に心細さを覚えながらもアデルは男爵から借りたランプを頼りに早く家につくように馬を急かした。
ブラン町まで到着すれば何とか一安心なのだ。
目の前に人影がみえてアデルは少し警戒した。
この辺りは密猟者や、犯罪者が逃亡して隠れることもある。灯りもつけずに道を歩く男は怪しい。
どきどきしながらアデルは手綱を握りしめた。
もし犯罪者であれば馬を急かし走らせよう。
今のうちに走らせた方がいいのではないか。
男はぴたりと歩くのをやめてこちらの方を見ていた。やはり怪しい。
「アデル?」
見知らぬ男の声にアデルはうぎゃっと悲鳴をあげた。
馬を走らせようとしたがうまくいかずにランプを落としてしまった。
音に驚いた馬が鳴いて立ち上がろうとしてそれを男は制した。
「俺だ、アデル」
灯りが消えてアデルはじぃっと男を見た。
暗闇の中でよくわからない。大柄の男である。
「ヴィムだ」
名前を聞いてアデルはようやく男が何者か認識した。
「ヴィム? 山羊使いのヴィム?」
「ああ、昔のことだけど」
「本当にヴィムなの? ヴィムのふりをした盗賊じゃないの?」
用心深いアデルをみてヴィムは笑った。
「泣き虫アデル。おねしょをして、しばらくアルブ爺さんの裾を掴んで離れなかったな」
怖い夢をみた翌朝の思い出を語られてアデルは顔を赤くした。
「さすがに無礼だった」
デリカシーのなさをヴィムは謝罪した。
これでもアルフォス団に所属して貴婦人への対応方法を学ばされたようだ。
昔の無礼な不遜な山羊使いのヴィムではないのだ。
ヴィムは害獣討伐が終了し、家に帰ろうとしていたところだったようだ。
もっと近くで話したいとアデルは馬から降りた。
身の上を語ろうとしたがうまく声にならない。
ようやく出た言葉は別のものだった。
「おじいさんが死んだ」
「……ああ」
1年前のことを今更のように言葉にする。
町に戻って医者の話を聞いてクリフにも出会って平然だったのに。
案外受け入れられるものだと思っていたのに、こみあげるものに耐えられなくなる。
「おじいさんに会いたい」
その言葉にヴィムは何も答えなかった。
「会いたいよ、ヴィム……どうして教えてくれなかったのよ」
アデルはヴィムの肩をとんとんと叩いた。
言い訳はいくらでもあったはずなのに、ヴィムは何も答えなかった。
ただアデルの頭を撫でた。
「会いたかったよ、何で……何で教えてくれなかったの。ヴィム」
アデルはヴィムの胸に飛び込む。
ヴィムは抵抗せずアデルを迎えて肩を抱きしめた。
「ごめん」
ただ一言それだけ呟いてヴィムはアデルの涙を受け入れていた。
無礼な男・ヴィム、かつてはデリカシーのないことを平然に言い何度も幼いアデルを怒らせていた。
それでもヴィムは優しい男で、アデルが本当に泣き出すと何も言わずアデルを抱きしめてくれた。
アデルはヴィムのこういうところがあるから、彼のことを嫌いになりきれなかった。
◆◆◆
家に帰るまでアデルとヴィムは色んな話をした。
アデルは離婚して今はマーシャの元で家庭教師をしているのだという。
「あと2か月で社交界参加させるのよ」
「あの跳ねっ帰りがデビューねぇ」
ヴィムは苦く笑った。
マーシャの悪名はアルフォス団の間でも有名らしい。
「将来的には教師の免許をとろうと思うの。その前に色んな家の家庭教師をしたいのでジーク男爵に色々お願いしている段階」
「そうか。でもこのあたりでマーシャ嬢以外の教え子候補はなかなか……それだったら辺境伯のいるゴート市に行った方がいい」
ゴート市まで行くには片道徒歩4時間になる。汽車の停車駅は当然都市部だからある。
あちらの方が充実しているだろう。
だが、ブラン町までの終便は早い。さすがにそこで仕事するのであれば泊まり込みになる。
そうこうしているうちに村にたどり着いた。
もう夜中で村の家は寝静まっていて暗い。
「村に着いたからもう大丈夫よ」
「いや、どうせ帰る途中だからアデルの家まで送る」
ヴィムはアデルを最後まで見送ってくれた。
家の灯りで少しヴィムの姿がみえるようになる。20歳になったヴィムはアデルよりも身長が高く、筋肉隆々の逞しい男に成長していた。
抱き着いた時のことを思い出して、アデルは頰を染めた。
(ヴィムの胸板は厚かったな)
よくみると体のいたるところに傷跡がある。
アデルが去った後、ヴィムはアルフォス団に入り、色んな苦難に遭遇しただろう。
想像の二倍、いや三倍逞しくなっていた。
(こんなに変ったけど、ヴィムはヴィムね)
アデルを妹のように放っておけない彼の優しさが感じられる。
山羊の放牧の帰り、手を繋いだ時のことを思い出した。
美しいアルフォス山脈の夕日を一緒に眺めたな。
そういえばヴィムとの先程の会話を思い出した。
社交界はゴート市で行われる。
ロッシュ辺境伯主催のパーティーである。
事前にどのような街なのか見ておいた方がいいかもしれない。
将来的にどのような富裕層がいるかも把握しておきたいし。
「ねぇ、ヴィム。ゴート市までお買い物したいのだけど、ついてきてもらえる?」
さすがに慣れない街で買い物は心細い。
帰りも今回のように暗くなったら困るし。
「別に構わない。害獣討伐が終わったから4日は休暇を取らせてもらっている」
良かったとアデルは胸をなでおろした。
いずれは一人で町探索をするつもりであるが、はじめはヴィムと一緒なら心強い。




