005 アルフォス山脈
伯爵家から出たアデルは3日でアルフォス山脈に到着した。
「文明の利器さまさまね」
汽車のおかげで移動時間の短縮が可能になっていた。
ブラン町は山羊飼いの町であると同時に炭鉱町であった。
炭鉱輸送の為に汽車の停車駅が置かれていた。
「お久しぶりです」
見覚えある女性に挨拶すると彼女は訝しんだ。
それもそうか。
最後に会ったアデルはまだまだ子供だった。
「あの、アデルです」
そこまでいうとようやく思い出してくれた。
「アデルなの?」
「はい。この度帰ってきました」
「そうか。あと、1年早かったらよかったのに」
彼女は悲しげに呟いた。
その言葉にアデルは胸がざわついた。
ブラン町の外れにアデルの実家がある。
山羊を3匹育てている古い小屋だ。
しかし、今は誰も住んでいない。
アデルの祖父は1年前に他界したと聞かされた。
女性の話を聞き終えると、アデルはその足で医者の元へ向かった。
医者はアデルに出会うなり手紙を出さなかったことを詫びた。
医者から入院を勧められたが、拒否して小屋で最期を過ごしたという。
「アデルさんに病気を伝えようとしたのですが……」
医者の提案を祖父は拒否した。
――「絶対に、アデルに知らせてはいけない。もし知らせれば崖に飛び込んでやる」
そこまで言われると医者は何も言えない。
「最期はどうだったの?」
アデルの声はかすれていた。
「最期は穏やかでした。ヴィムが毎日様子をみに来てくれて、最期はヴィムと私と飼い犬が看取りました」
最期が1人ではなかったのが救いだった。
(孫の私がいうのもなんだけど、おじいさんはすごい偏屈者だった)
「祖父を診てくださりありがとうございました」
アデルは医者にお礼をした。
「アルベルトさんはあなたに心配かけたくなかったようです。きっとあなたなら慌てて駆けつけてくれたでしょうが、伯爵夫人になったあなたがこの田舎にやってくれば周りの貴族から何といわれるかと思ったようです」
それを聞いてアデルは苦笑いした。
(そんなことを気にしなくていいのに)
アデルは治療費を医者に支払った。
医者は断ったが、一人暮らしの頑固者の祖父の面倒はさぞたいへんだったことだろう。
次にアデルは山の上の方へ歩いていき、小屋を見つけた。
彼女の幼馴染のヴィムの家である。
家はぼろぼろの状態でここにはヴィムと彼の母親が住んでいた。
今は家には誰もいない。
記憶の中ではヴィムの母親は針子の仕事をしており、昼は村の針子小屋に籠っている。
針子小屋に立ち寄ればよかった。
(ヴィムは山の上?)
ヴィムは山羊使いのヴィムと呼ばれていた。
彼は8歳の頃に山羊使いの仕事を覚え、村中の山羊たちの放牧をしていた。
アデルはさらに高い山の方へと歩いて行った。
(来る前に丈夫で歩きやすい靴を用意していて良かったわ)
山の草原にて白と黒の点がぽつぽつと見える。
懐かしい山羊の鳴き声にアデルは実感した。
アルフォス山脈へ帰ってきたのだ。
「ヴィム」
山羊の誘導をしている少年に声をかける。
少年はちらりとアデルの方をみて首を傾げた。
山羊使いの少年はヴィムによく似た別人だった。
ヴィムはアデルより2つ年上だ。いつまでも少年姿じゃない。
「どなたでしょうか」
アデルを見て良家のお嬢さんと思ったようだ。
言葉遣いは丁寧に意識している。
誰に対しても不遜な態度をしていたヴィムとは大違いだ。
「アデルよ。山羊使いのヴィムはどこにいるのか知っている?」
「ヴィム? 山羊使いのヴィム?」
しばらくして少年はぷくくっと笑った。
「何年前の話をしているんですか?」
ヴィムは山羊の仕事は少年に引き継がしたという。
少年の名前はヨゼフ――4年前からこの山羊の仕事をはじめたという。
「ヴィムはどこにいるの?」
「ヴィムはアルフォス団に所属しています。最近は人を襲う熊が出たとかで見回りを強化していて帰るのが遅いですよ」
「アルフォス団? ヴィムが?」
アルフォス団は国境防衛の組織だ。
ロッシュ辺境伯の騎士団の一部であり定期的に訓練、国境付近の見回りをしていた。それ以外にも獣や魔物が現れれば討伐にでかける。
待遇は一般兵、昇給すれば騎士見習いであり、村の憧れの的であった。
(まさかヴィムがアルフォス団に所属していたなんて!)
記憶の中の少年は文字の読み書きもしない、剣を持とうにも自分には無理だと笑っていた。
山羊使いの仕事以外では炭鉱夫になると言っていた気がする。
「ヴィムはいつ帰るのかしら」
「最近、人を襲う魔物が出たということで討伐に出ています。魔物を討伐できた後になるんじゃないでしょうか」
近くまで会いに行きたいと思ったが、危険な場所にアデルが行けばアルフォス団の迷惑になるだろう。
「そう。今日は諦めるわ」
ヴィムが帰ってくるまでの間、他のことをしておこう。
くいくいっと引っ張られてアデルが振り返ると小山羊がアデルの裾を引っ張っている。
「ああ、すみません。まだ子供なもので」
ヨゼフは青ざめて小山羊を叱咤した。
小山羊は楽しそうにしてアデルの裾を離そうとしない。
ワン!
大きな犬の声に小山羊はびくっと震え、アデルの裾を離した。しゅんと悲し気に項垂れている。
「クリフ、クリフね」
アデルは喜んで大型犬に声をかけた。
クリフは尻尾を振りアデルにすり寄る。
クリフはアデルの家の子であった。
アデルが8歳となった頃に生まれた子で、牧犬として躾けられていた。
「今はあなたが面倒をみているのね」
アデルはヨゼフにお礼を言った。
祖父がいなくなった後、彼のことが気がかりだった。
「もしかしてアルバさんのお孫さんだったのですか……伯爵夫人になったという」
アルバというのはアデルの祖父のことだ。
本名はアルベルトであるが、村からはアルバの偏屈爺と呼ばれていた。
「もう伯爵夫人じゃないわ。離婚したの」
アデルはクリフの頭を撫でながら言った。
「クリフ、お前もおじいちゃんの傍にいてくれたのよね。ありがとう」
アデルはクリフにキスをした。
大型犬はきゅうと甘えるように鳴いた。
アデルの言葉がわかるようであった。




