031 挿話 クラウス・ローゼンバルト②
夕飯は父とアデルと三人でとる予定であったが中止となり、クラウスは部屋で食事をとることになった。
その夜に就寝したが眠るに眠れない。
アデルの状態が気になってしまう。
だが、アデルに会うのは怖い。
父に会うのも怖い。
「……」
クラウスはしばらく考えて、クリスの元を訪れることにした。
(今の時間帯であればまだ起きているはずだ)
灯りが消えた廊下を歩き、クリスの部屋までたどり着く。
「理解できません」
どきどきしながらノックをしようとすると奥には二人の声が聞こえた。
クラウスはゆっくりとドアノブに手をかけて扉を少し開けた。
声ははっきりと聞こえてくる。
クリスの部屋にいたのは彼の甥ヨハンだった。
「若様であれば社交界デビュー後は多くの令嬢に出会えます。慌てて婚約者を用意する必要はないでしょう」
ヨハンとしても疑問のようだ。
「それに何故旦那様はあのような少女を? 確か元は没落貴族の家系と聞いていますが、何代も前に爵位を手放し山羊飼いに落ちたとか」
最後の言葉にクリスは窘めた。
「落ちた、という言い方はやめなさい。アーデルハイト様のご実家です」
椅子につき書類の整理をしていたクリスは疲れている様子だった。
扉の隙間からみえるクリスの机の上に並ぶ書類は多い。
「旦那様が決めたことです。従者の我々には知る必要のないことです」
「ですが、クラウス様は知るべきでしょう。アーデルハイト様を娶るのは彼なのですから」
(その通りだ)
クラウスはヨハンを応援した。
様子からして、クリスはアデルを連れて来た理由を知っているようだ。
父に問うことができないクラウスは何とか彼から引き出してもらいたかった。
「クラウス様が成人された頃に旦那様が教えるでしょう。まずは二人には良き関係を築けるように支援すべきです」
「そのお二人が衝突してあのような騒動になったのでしょう」
ヨハンの台詞にクラウスはちくりと胸が傷んだ。
今も、アデルが階段から落ちた場面を思い出してしまう。
「クラウス様も気の毒ですが、彼女も気の毒です。親と旦那様の口車に乗せられて」
「ヨハン」
クリスの口調は厳しかった。
「主人のことをとやかく言うのは品位に欠けます」
「叔父様、私はアーデルハイト様には酷だと思いますよ。この前までアルフォス山脈の野山を駆けまわった少女が、貴族令嬢のように振る舞えというのは」
「それでも必要なことです。お前にやる気がないのであればそれでいい。クラウス様の世話に集中していなさい」
ヨハンは机に並んだ書面を見て、なおも言い続けた。
「このスケジュールも酷いと思います。彼女にはきついのでは」
「クラウス様が成人するのはあと四年。それまでアーデルハイト様は婚約者に認められるだけの教養を身に着ける必要があります」
ヨハンが目にしているのはアデルのスケジュールだった。深くため息をついたヨハンの表情にはアデルを気の毒に思う感情がみられた。
「これだけは教えておこう。旦那様はどうしても彼女をローゼンバルト伯爵家の庇護下に置く必要があった」
納得できないヨハンは食い下がる。
「それではあれば養女にすればいいことでしょう」
「伯爵家令嬢として育てればいずれは他家に嫁がせなければなりません。旦那様はどうしてもそれを避けておきたかった」
クリスの説明にヨハンは理解できなかった。部屋の外にいたクラウスにも。
(何故そうさせたいのだろうか)
「さすがに彼女を旦那様の後妻にするにはいかないだろう」
ガン。
クラウスの額が扉の板にぶつかる。
「誰だ」
音がして二人は扉の方へと視線を向けた。
半開きとなっている扉を訝しんでクリスはヨハンにみてくるように言う。
(しまった)
クラウスは急いでその場を立ち去ろうとしたが、ヨハンに見つかってしまった。
「どこから聞いていたのです」
部屋に引きずり込まれるように入れられたクラウスをクリスは見つめた。
「仕方ありませんね」
クリスはクラウスをソファへと促した。
「ヨハン。クラウス様に飲み物を」
ヨハンが出ていき、部屋に残されたクラウスは混乱していた。
「その、父上が彼女を後妻にというのは……」
声が震えていた。
クリスは困ったように手で口を覆った。
「今はありえないことです」
今はという言葉で、ありえた話があったとクラウスは理解した。
「考えとして出ましたがすぐに却下されました。彼女の祖父に」
「却下したのは父上じゃないんだな」
クリスは苦笑いした。
まだアデルは十歳、父の年齢との差はかけ離れている。自分の子よりも年下の娘を後妻にするのは十二歳のクラウスには衝撃が強すぎた。
「仮に後妻に迎えたとしても旦那様の想い人は変わらず亡き奥様です」
「そんな言葉を信じられるか」
苛立ちの言葉にクリスは困ったように俯いた。
「お父様は何を考えているんだ」
クリスが何か言おうとしたがそれ以上は聞いていられなかった。
「お待ちください」
クラウスは部屋を飛び出した。
入れ違いに温めたミルクを持ってきたヨハンと遭遇したが、彼と言葉交わす余裕はなかった。




