030 挿話 クラウス・ローゼンバルト①
八年前の夏、アデルがローゼンバルト伯爵家に初めて訪れて来た時の話である。
クラウスは十二歳であった。
まだ多感な年齢、幼い頃に母を失い、父のみ頼る者がいない頃、父親は仕事で屋敷を留守にすることが多かった。
「お父様は?」
「旦那様は忙しいのです。何かあればなんなりと私に言ってください」
「別に……」
クラウスの面倒は執事のクリスであり、クリスが主に父親の役割を果たしていた。
彼に必要な教育の手配、身の回りの世話はクリスが行っており、亡き母の仕事である屋敷の管理についてもクリスが代理で行っていた。
全寮制の学園の入学についてもクリスがほとんど動いてくれていた。
「若様の成長は目覚ましく、嬉しく思います」
しかし、クリスはあくまで従者に過ぎない。
クラウスの父親はレガルドただ一人なのである。
◆◆◆
夏季休暇に入った頃、クラウスはローゼンバルト伯爵領へと帰宅した。
「お父様は?」
「旦那様は今はロッシュ辺境伯領へ向かわれました」
父はやはり留守で、残念だった。
(折角学園で良い成績を残したのに……一番にみてもらおいたかったのに……)
父が行ったロッシュ辺境伯領について調べた。
炭鉱の有名な場所であり、戦争の原因にもなった場所だ。
(新しい事業で必要なことなのだろう。一体何をなさるつもりだろうか)
父が働くのは家の為、領地の為、領民の為、国の為である。
由緒正しきローゼンバルト家当主の父をクラウスは尊敬し、父の忙しさを理解しようとした。
学園に入学し、多くを学んでからさらにその想いは強くなっていった。
◆◆◆
ロッシュ辺境伯領から戻った父は、そのまま書斎へと引き籠った。
「ねぇ、あの女の子って誰かしら」
「もしかして旦那様の隠し子?」
どうやら一人の子どもを連れて戻ってきたようだ。
「……」
クラウスは内心不安であった。
(もしかするとお母様以外の女と……とするとあれは自分の妹か?)
ふるふるとクラウスは首を横に振った。
(そんなことない。お父様はお母様を愛している。そんなことはない)
父を信じたかったが、屋敷の使用人たちの噂が耳に入って気になって仕方ない。
居ても立っても居られない為、クラウスは父の書斎へ向かった。
「申し訳ありません。今、旦那様は大事な話をしています」
警備をしている騎士に追い返されてしまった。
(お父様、違うよね。違うよね)
父に呼ばれるまで、クラウスは不安な時間を過ごしていた。
◆◆◆
夕方になりようやく呼ばれて、クラウスは父の部屋へと飛び込んだ。
「クラウス、クリスから聞いた。勉学に励み、首席をとったそうだな。嬉しいぞ」
父から褒められてクラウスは嬉しくなった。
そして父の隣に立つ10歳の少女をみた。
ダークブラウンの長い髪、アメジストの薄い紫色の瞳を持つ可愛らしい少女であった。
思わずクラウスは彼女に見とれてしまう。
(自分の妹かもしれないという噂の少女にときめいてしまうなど)
同時に苛立ちを覚えた。
自分は父と出会うことはなかなかないのに、彼女はずっと父の元で過ごしていた。
そう思うと嫉妬を覚えてしまう。
「彼女はアーデルハイト。挨拶をしなさい」
少女はぎこちない動作で淑女の礼儀を披露した。
「アデル……アーデルハイト・バイエルです。お会いできて光栄です」
まだ自分の言葉にしきれていない固さの目立つ声であった。
「この子は今日より我が家で過ごすことになるお前の婚約者だ。大事にしなさい」
婚約者という言葉にクラウスはくらりとめまいを覚えた。
突然言われた言葉に未だに納得ができない。
「夕飯の時間までアデルを庭に案内しなさい」と
父に言いつけられクラウスは渋々従った。
◆◆◆
扉の外、まだ寒い外気に晒されながらクラウスはアデルを庭へと案内した。
色んな薔薇が咲いており、ローゼンバルトの名に相応しい立派な庭であった。
階段のところでクラウスはアデルに振り返った。強い睨みにアデルは一瞬怯んだ。
「私はお前のことは認めていない」
少女はじっとクラウスを見つめた。
「父が勝手に決めたことだ。誰がお前のような田舎娘と一緒になるというのだ。私は嫌だ」
クラウスの苛立ちはここで暴発した。
それが父に対してではなくアデルへとあてられる。
この数か月、父を独占していた少女に対して。
「山羊飼いの娘くせに父をどうやってだました? お前の親が父にとりいったんだな、卑しい奴らめ」
責める言葉。クラウスは思ってもいないような言葉を次々と出てきた。
じっと話を聞いていたアデルは、家族のことを言われて右手を放った。
パン!
彼女の手の平はクラウスの頬にあたった。
「好きでここに来た訳じゃないわ」
アデルはクラウスに対して怒りを向けた。
「私だってあなたと一緒になるのは嫌。あなたなんてだいっきらい!」
強い瞳で見つめられ、クラウスは一瞬その瞳の色に引き込まれた。
「なんだと」
我に返り、彼女の行為に腹を立て、彼女の胸倉を掴む。
「あっ……」
取っ組み合いの喧嘩に発展し、気づけばアデルは階段の下へと落ちていく。
ゴツッ!!
運悪く石段の角にぶつけ、アデルの頭から血がじわっと出た。
「うぅ、ひっく……」
彼女の口から嗚咽が漏れた。
「……」
クラウスは茫然とした。
(俺は何をやったのだろうか。思えばどうして彼女と喧嘩したのだろうか。彼女に何であんな言葉を吐いたのだろうか)
後からついてきた従僕・ヨハンは青ざめて、クリスを呼んだ。
状況を知ったクリスは飛び出して来たが、それよりも早くレガルドがアデルの方へと近づいた。
「アデル! 大丈夫か?」
レガルドはアデルを抱きかかえた。
「医者を急ぎ呼ぶように」
レガルドは切迫した表情でクリスに命じた。
同時にクラウスをみて声をかける。
怒られるとクラウスは身構えた。
「クラウス、部屋で休んでいなさい」
いつもの平静とした父の言葉であった。
それが返って怖い。
「若様、部屋へ戻りましょう」
クラウスはヨハンに支えられるように部屋へと戻った。




