003 アーデルハイトの夫
アデルが伯爵領を発って10日後の早朝に伯爵邸へ馬が駆け込んできた。
乗っていた男はフードを外し顔をみせると使用人たちは恭しく挨拶をした。
「お帰りなさいませ。旦那さま」
アデルの夫クラウスである。
伯爵領と王都まで馬車で片道7日かかるのだが、彼は3日間馬を走らせ続け屋敷に戻った。
正確には途中の町で馬を買い替え走らせた。
ヨハンの手紙が彼の元に届くこと7日かかり、クラウスはすべてを放り出して戻ってきたのだ。
「ろくに休憩をとられていない様子。湯あみと食事の用意をさせましょう」
「まずはアーデルハイトの話を聞くのが先だ」
優先順位を間違えるなとクラウスはいらだっていた。
ヨハンは彼をアデルの部屋へと案内した。
アデルが出た時のように綺麗な状態で部屋は残されていた。
テーブルの上には手紙と冊子、離婚届、そして結婚指輪が置かれている。
離婚届の記載をみてクラウスはふらついた。
「旦那様、おかけになってください」
ヨハンはクラウスを椅子に案内するが、クラウスは首を横に振った。急いで手紙を開けた。
『クラウス・ローゼンバルト伯爵様
今までお世話になりました。
既に先代様が亡くなられ2年経過しております。先代様の遺言を守り続けてお互い気を遣う日々を送るよりも、新しい人生を送るのがよいでしょう。
子爵令嬢様とどうかお幸せに。
アデル。
追記、日記には新婚からの夫婦の事情を記載しております。きっと問題なく離婚は成立できるでしょう』
一緒に置かれていた冊子は日記帳だった。結婚してから2年の間初夜含めて夫婦の営みがなかったと記載されていた。
「旦那様、お茶です」
ようやく椅子に腰をかけたクラウスにヨハンはお茶を勧めた。
ごくりと飲み、クラウスは頭を抱えた。
「何がどうして急に……アーデルハイトは何不自由なくこの屋敷で過ごせていたのだろう」
ふと部屋の中をみる。
随分と物が少ないように思える。
屋敷に居候しているマリア――子爵令嬢の部屋には色とりどりの調度品が飾られていた。
アデルの調度品はほとんど古いもので傷やほころびがみられた。
結婚前に彼女の部屋で過ごした時と変わらない配置である。
「普段、アーデルハイトはこの部屋にいなかったのか?」
ヨハンはふるふると横に振った。
「奥様はお茶会や領地視察以外はほとんどこの部屋でお過ごしでした。このテーブルいっぱいに書類を並べて、勉強机も本や書類が置かれていない日はありません」
「何だと……では、あの帳簿や報告書はお前が作ったものではないのか?」
ヨハンは首を横に振った。
「大部分は奥様が作られたものです」
クラウスは絶句した。
先代伯爵夫人はクラウスが幼い頃に亡くなっており、ヨハンの叔父クリスがほとんど夫人の仕事を担っていた。
「奥様は本当によくしております。週3は領地視察に赴き、よく私に意見を出したものです」
「あんなにこんなところに来たくなかった、アルフォスへ帰りたいと泣いていたのに」
クラウスの記憶の中でアーデルハイトはこの土地に関心を持とうとしなかった。
いやいや父の視察についていく姿を今だに忘れられない。
「奥様は成人してから領地に関して意欲的な姿勢を示しておりました」
ヨハンはアデルの成長を間近で見つめていたから言える。
「旦那様が伯爵位継承の為に忙しく、王都へ行った後に奥様は私に家事について質問しておりました。元々勉強はきちんとする方でしたので3カ月で仕事をこなせるようになっています」
屋敷の管理に、領地視察に報告書、他には必要なお茶会と社交界には出席して随分と忙しそうにしていたそうだ。
夜遅くまで帳簿とにらめっこする日もあったという。
「なるほど、忙しくしていれば手紙のひとつも寄越さないはずだ」
「え」
ヨハンは首を傾げた。思わず出た声に失礼という。
「旦那様、奥様は定期的に旦那様に手紙を送っています」
「いや、まったく手紙はないぞ。きっと私がいなくて清々しているのだなと思っていたが」
2人の会話が噛み合わない。
「それはありません。視察の帰りに便箋を購入して毎度報告相談の手紙を書かれていました。手紙の内容について私によく相談されていて」
最近はクラウス宛の便箋についての相談はなくなっていたが、確かに2年前はよく尋ねてきたものである。
「一度だけ手紙を預かったことがあります」
「それはどうした?」
「郵便屋が回収する箱に入れておきました。なので、郵便屋がそのまま箱ごと持ち去って送られ」
「郵便屋を今すぐ呼び出せ」
仕事中でも構うな。必ず連れて来い。
有無を言わさない領主の言葉に執事は頷いて、外で指示を出していた。
郵便屋が来るまでの間、クラウスはアーデルハイトの部屋を見回した。
クローゼットの中を開けてみると10着のドレスがしまわれている。
ずいぶんと少ない。宝石箱も、想像より少なかった。
「ほとんど持ち出してしまったのか」
戻ってきたヨハンは疑問に答える。
「いいえ、奥様が購入された全てです。あ、これは旦那様が送ったものでしたね」
エメラルドの首飾りは1年前のアデルの誕生日に送ったものである。
お返しのクラウスの誕生日にはネクタイピンを送っていたのを覚えている。
◆◆◆
郵便屋がやってきた後、信じられない報告があった。
「恐れながらこの2年、伯爵夫人より閣下へあてた手紙は預かっておりません。もし預かれば丁重に送らせていただいております」
少なくとも一度は預けられているはずのものが存在しない。
「紛失したのか、もしくは処分したのか」
クラウスが眉間に皺を寄せて問うと郵便屋は真っ青な顔で否定した。
「わが社は信頼をモットーに運営しております。とにかくあの箱の中に今まで夫人から閣下への手紙は存在しません」
では手紙はどこへ消えたというのだ。
訝しんだクラウスはちらりとヨハンを睨んだ。
「屋敷中くまなく探してみます」
意図的に処分されたものであればどこにもないかもしれない。
一体誰がどうしてアデルの手紙を奪ったのか。
「ところでヨハン」
クラウスはヨハンにもう1つのクローゼットの中を示した。
開けてみろと言われてヨハンは遠慮しながら開けた。
中にあるのは大小の2つの桶と洗濯板であった。洗剤の入った袋もある。
「何故これがここにあるのでしょう?」
ヨハンは首を傾げた。
「私が聞きたい。何故伯爵夫人のクローゼットに洗濯道具があるんだ」
まるでこの部屋で、もしかするとベランダで洗濯をしていたのだろうか。
使用人に頼めばいいものを。
クローゼットの中のドレスもいくつかよれよれになっていたり皺だらけのものがあった。
酷いものは汚れがついている。
新しく買い換えればいいものをクローゼットにしまい続けた彼女を理解できない。
いや、俺は彼女がここでどう過ごしていたか知らない。
知ろうとしなかった。




