002 アデルの出発
アーデルハイトは早速革の鞄を取り出した。
鞄の中身は、すでに整っていた
本当はクラウスと話して、一緒に今後のことを話した上で出ていくのが筋だろう。
だが、手紙を送っても返事は戻ってこない。
大事な話があると書いてもだ。
ヨハンに頼み込みようやく返ってきた答えはこうだ。
アーデルハイトの好きに決めていい。
そうであればアーデルハイトの好きに決めさせてもらおうではないか。
鞄の中には簡単な着替えと、今まで少しずつ貯金してきたお金である。
今まで屋敷の帳簿管理、伯爵夫人としての領地視察の仕事をしてきたのだ。
これくらいは頂いても罰は当たらないだろう。
豪華なドレスも宝石類もアーデルハイトは入れないでおいた。後で色々言われても困る。
貯めておいたアーデルハイトの活動費用の一部だけでも十分な額だった。
「お店を建てられそうね。いえ、山羊を100匹買っても全然余るわ」
故郷に帰っても祖父の負担にならず、むしろ祖父を養う自信すらある。
(アルフォス山脈に帰ろう)
こっそりと仕入れた離婚届に自分の必要な分を記載し、手紙と一緒にテーブルの上に置く。
後はクラウスが自分の分を記載して役所に届ければ離婚は成立する。
もう先代伯爵はいない。
クラウスも自由になれるだろう。
好きに貴族の令嬢と結ばれればいい。
アーデルハイトは荷物を抱えて屋敷の出入り口まで歩いた。
誰もアーデルハイトがどこへ行くか気に留めない。
領地視察にでも行くのだろう、それとも教会に愚痴でもいいにいくのだろうか。
その程度の認識だったのだ。
わかっていたとはいえ、笑みが零れ落ちてしまう。もう笑うしかない。
馬車の中、揺られながら目的地へ向かった。
「奥様、つきました」
御者はアーデルハイトに駅まで届けてくれた。
あと30分で汽車が出発する。
あらかじめ購入していた切符の時間を確認して、しばらく駅と周辺の街並みを見渡した。
本当に綺麗な街並みである。人の出入りも盛んで、活気にあふれている。
アデルはこの街並みも農園や山の景色も好きだった。惜しむのは魅力に気づいたのは成人してから。
しばらくこの土地での思い出に耽り、出発の時間が間近になったところでアーデルハイトは御者の方に振り返った。
この男はトマスという名の男である。
彼はよく働いてくれている。
他の使用人とは違いきちんと仕事を全うしてくれた。視察の時もお茶会や社交界へ行くときもアーデルハイトを軽んじることをせず丁重に送り迎えをしてくれた。
腰の曲がった年かさの男、もう少しすれば定年だろう。せめてものお礼にとアーデルハイトは彼に金銭が入った封筒を渡した。
「あの、奥様いつ迎えにくればよいのでしょうか?」
封筒を受け取りながらトマスは質問する。
「帰らないわ」
トマスはぎょっと目を見開いた。
何か言おうとしても言葉が見つからないようである。
真面目な男にアーデルハイトは目を細めた。
「今までありがとう。奥さんを大事にね」
トマスにお別れを告げ、駅の中へと消えていった。
茫然としたトマスは、汽車の音にびくりと跳ねた。我に返った時にはもう汽車は出発してしまっている。
「奥様、お待ちください!!」
ようやくアーデルハイトを呼び止めておかなければと体が動いたのだが遅すぎた。
汽車の中でアーデルハイトは駅の外でぴょんぴょんと跳ねる彼を見て思わず目を細めた。
転んで怪我をしなければいいのだけど。
汽車は走り、トーマスの姿が見えなくなった。
「さて、私はようやく解放されたのね」
アーデルハイトはのびぃっと両手を伸ばした。
今日この時から彼女はただのアデルになった。
アルフォス山脈の山村を飼っていた庶民のアデルに。
「おじいちゃん、さすがに驚くかな」
追い出したりされないだろうか。
離婚した出戻り娘などいらんとか。
頑固なおじいちゃんなのでありえそうだ。
それでもアデルに甘かった老人である。
結局折れてアデルを家に入れてくれるだろう。
「戻ったらどうしようかな。そうだ、学校に相談しよう。一応読み書きそろばん、語学は教えられるし」
後は山羊の世話の手伝いを必要にしている家がないか探そう。
帰った後のやることリストを思い描きながらアデルは帰郷に踏み切ったのだ。




