026 挿話 アルベルト・バイエルの家族②
終戦後、アルベルトがなかなか故郷に帰らなかったのは汽車の工事の為ではない。
怪我が酷く、そこから感染症を繰り返していた為治療が長引いていたのである。
「アルベルトさん、おやめください!」
アルベルトは何度も山を越えて帰ろうとしたが、その都度看護師が止めに入った。
「お願いだから聞いてください。とても危ないの」
マリーという名の看護師であった。
やせ細った自分より不健康そうな娘である。
「小娘に何がわかる! どくんだ」
「いいえ、どきません」
自分よりも大きな老人のアルベルトに彼女は頑と譲らずアルベルトの脱出を防いでいった。
「全く面倒くさい女だな。敵国の男など自業自得だと放置すればいいものを」
自分より頑固な性格だとアルベルトは諦めて彼女の言うことを聞くようになった。
「はい、頑固さは誰にも負けません」
マリーは嬉しそうに笑った。
しかし、指示の通り療養してもアルベルトの体力は落ちていく一方だった。
終戦1年以上経とうとしているのにアルベルトは苛立ちを覚えていた。
「お父さん、大丈夫かい? 先生たちを困らせてはダメだよ」
1年が経過したところでゲルトがアルベルトの入院している病院を訪れた。
「何故ここに……」
アルベルトの問いにゲルトが答えた。
「マリーさんがお父さんの居場所を教えてくれたんだ。全く手紙くらい送ってくれればすぐに来たのに」
終戦後アルベルトは死んだのだろうと噂されていた。
前線地から戻ってきた傭兵たちの話を聞いてアルベルトがどこへ収容されたかはわからないという。
ゲルトは国境付近に山を越えアルベルトの行方を捜していた。
「ふん、お前のようなひ弱な男がよく山を越えられたものだ。山羊の世話はどうした?」
「山羊は町の人たちにお願いして預かってもらっている」
ゲルトが来てからアルベルトは治療を大人しく受けるようになった。
医者と喧嘩することもなくなり、周りは安心した。
ゲルトは父の看護以外にリハビリ中の患者たちに文字を教えるボランティアをしていた。
古典や聖書にも詳しく、彼らに慕われた。
新しくできた集落の子どもたちにも勉強を教え、先生と呼ばれるようになる。
そしてゲルトとマリーと一緒に過ごすことが増えてきた。
二人は恋人同士になっていたのだ。
おそらく初めて出会った時から二人は惹かれあっていたのだろう。
「ゲルトと一緒にいて楽しいのか?」
感染症はようやく落ち着いてきており、アルベルトの足は治り始めていた。
リハビリを開始し、マリーが介助にあたった。
その時にアルベルトはぼそぼそっとマリーに質問してきた。
「はい、話がよくあって……ええっと」
最近のゲルトからマリーの名がよく出てくるようになった。どんな鈍感な者でも気づくであろう。
二人はアルベルトにどう報告しようか悩んでいた。
「マリー、あいつは勉強できるが結局は山羊飼いだ」
「はい」
「あれと一緒になるのなら山羊の世話ができるようになった方がいい。集落に山羊を飼っている家があっただろう。世話の仕方をみてみろ」
その言葉を聞きマリーは瞼が熱くなり、アルベルトに抱き着いた。
「ありがとう。お義父さん!」
若い娘に抱き着かれアルベルトは珍しく照れていた。
◆◆◆
ゲルトとマリーは集落に建てられた小さな教会で結婚式をあげ、ほどなくマリーは妊娠する。
アルベルトが退院したらブラン町へ帰る予定であったが、延期となった。
集落の仮小屋で子供が生まれるのを待つしかない。
周囲からはこのまま定着すればいいと言うが、アルベルトも、ゲルトも故郷へ帰る気持ちは変わらなかった。
アルベルトはともかくゲルトも帰りたいなど意外である。そう、アルベルトがいうとゲルトは笑った。
「マリーがブラン町の景色をみたいというんだ。ゴート市の花祭りも見せたいし……ああ、そういえば亡くなった兄の友人がオーガストにいると言っていた。ブラン町から手紙を出した方が便利だろうって」
「そうか、ではしっかりと食べて体力をつけんとな」
しばらくしてゲルトはトンネル開通工事に興味を示した。
「工事に参加しようかな。給金が良いからマリーの食べるものを少しでもよくしたい」
「重労働だ。お前には無理だ」
アルベルトは言ったが、見学してから決めたいとゲルトは工事現場に行った。
「工事監督の人が、オーガスト人の扱いに悩んでいるようなんだ。仲介人になれないかと尋ねてきてくれて……父さんがいうような重労働じゃないから大丈夫だと思う」
見学の予定を組み、ゲルトは早朝に工事現場へと向かった。
それが数日後のことであればどんなに良かっただろうか。




