019 馬車の中の問答
馬車の中でもクラウスはアデルを抱きかかえたまま腰をかけた。
アデルは馬車が動き出しても変わらずクラウスの肩に額を押し付けている。
「今日はこの姿でブランに戻るわけにはいかないだろう」
ホテルに行くぞというとアデルは拒否しなかった。今のドレスはあの小屋で脱ぐにはためらいがある。
「随分レディ・ヨハンナと親しいのね」
肩越しで響くアデルの言葉にクラウスはため息をついた。
「レディ・ヨハンナはまだ公にされていないが、皇太子妃候補だ」
(そんな話ははじめて聞いたわ)
「皇太子妃には五人の候補者が決まった。レディ・ヨハンナも近日王都へ向かう予定だ」
「そんな話を私が聞いてもいいのかしら」
どう見ても機密事項のように思えた。
「彼女はどちらかというとお前の方に興味がある」
「ど、どうして」
(理解できない)
どうみてもアデルは仲良くしても利があるような存在ではない。社交界での立場は悪いものだった。
理解できないアデルにクラウスは説明した。
「アルフォス山脈を愛しているからそこで育ったお前が王都にいると心強いみたいだ。レディ・ヨハンナは早い段階で王都に過ごすよう説得されたが、社交界デビューするまでは故郷に留まりたいと言ったそうだ」
「ふーん、未来の皇太子妃のご機嫌の為に私を利用しようっていうの」
アデルは面白くなさげに呟いた。
クラウスがここまでアデルをエスコートしてくれたのは結局はロッシュ辺境伯令嬢の為だった。
そう思うと胸からふつふつと不満が出てしまう。
「いや、少しでもお前と共通の話題を持つ令嬢がいればいいなと思っただけだ」
アデルの不満を感じ取ってクラウスは言い訳をつらつらと続けた。
「お前が嫌だというのだったら今まで通り伯爵領の屋敷で過ごしてもいい。パーティー参加するとき私もなるべく時間を調整しておこう」
「そんなの、今更いりません」
アデルはぷぃっと視線を他所へと向けた。
「ああ、今更だがお前の為に時間を作ろう」
「必要ありません」
「私は必要だ」
「何故?」
アデルは尋ねた。
もう自分は何の価値もない、離婚した女なのだ。実際はまだ離婚していないが。
クラウスは耳元で囁いた。
「お前のことが好きだから」
アデルは顔をクラウスの方へと向けた。
真っ赤になったぐちゃぐちゃの瞳でクラウスを睨みつける。
ほんのりと薄いアメジストのような瞳が涙できらきらと煌めいて綺麗だった。
「嘘ですね」
しばらくしてアデルが出た言葉にクラウスは否定した。
「嘘ではない。本当だ」
「そんなこと今まで聞いたことがありません」
「今はじめて言った気がするな」
確かにとクラウスは頷いた。
「ヨハンが言っていた」
伯爵家の執事の名前が出てアデルは困惑した。
伯爵家の出来事など思い出したくもない。
ただヨハンは何かと相談には乗ってくれていた為、アデルの中ではましな人に分類されていた。
一番上は馬車の御者であるが。
「俺はもっとしっかりと自分の感情を口にすべきだ。言わなければわからないと」
クラウスはため息をついた。
「ヨハンにも俺がアデルを嫌い避けていると思われているとは思わなかった」
「違わないの?」
長年使用人たちから言われてきたこと思い出す。
クラウスはアデルを嫌っている。アデル自身も疑っていなかった。
「アデルが必要な物はなるべく迷わず買うようにと伝えていたが、まさかそれは適当に黙らせておけと伝わっていたとは思わなかった」
これも使用人たちが影で言っていた内容だった。
「だって、あなたは全く私に手紙を送らなかったじゃない」
あったとしてもあくまで事務的な内容のみで、ヨハンを通じてであった。
思い出すとアデルは惨めに感じた。
「それは……送ってしまえば、気になって仕方なくなる。あれだけアデルが俺を嫌がっているのだから下手に刺激してさらに嫌われるのは避けようとしていた」
その言葉にアデルは混乱した。
「私が、あなたを嫌っている?」
「昔、お前が言っていた言葉が忘れられなかった」
クラウスは過去を思い出すように口にした。
◆◆◆
アデルが伯爵家にやってきてから二年が経過した頃のこと。
暗闇の中、アデルの様子がおかしかった。
「アデル……どうした? こんな場所で」
クラウスが声をかけると彼女から出たのは拒絶だった。
「いやだ。もうここにはいたくない。おじいちゃんに会いたい。私は望んでここに来た訳じゃないのに、あなたも、伯爵様も、クリスも嫌いよ」
暗闇の中、アデルから聞いたあの言葉をまた耳にするのは怖かった。
◆◆◆
「私がそんなことを言ったの?」
アデルは首を傾げた。
記憶にないことだった。
「嫌いというと、あなたは私に言った言葉しか思い出せないわ」
あれははじめて出会った時のことだ。
クラウスがアデルに発した言葉。
——「こんな田舎娘と一緒になるのは嫌だと」
「ああ……確かに言ったな」
クラウスははじめて出会ったことを思い出した。
「それは……父上が突然お前を連れてきて俺の花嫁だと勝手に決められて……あの時の俺は反抗的だったんだ。素直になれなくて心にないことを言った」
その後にアデルは大声でクラウスのことを嫌い、「私も結婚したくない!」と叫んだ。収まるところを知らず、二人は喧嘩を繰り返すようになった。
「……」
クラウスはアデルの左側の頭に触れた。
軽く髪をかき分けるとぷくりと膨らんだ線状のものがある。
縫われた傷痕である。
はじめて出会った時の喧嘩で、クラウスはアデルを階段からつき落としてしまい傷を負わせてしまったことを思い出しながらクラウスは呟いた。
「すまなかったよ」
それがどの謝罪なのかアデルはわからない。
わからなくても良かった。
「良いです。あの後私も酷いことを言いました。私も悪かったと思います」
アデルは唇を尖らせてクラウスの謝罪を受け入れた。
「帰ろう」
クラウスの言葉にアデルは慌てた。あやうく流されるところだった。
「帰りません」
ここまで来てそういうかとクラウスはため息をついた。
「私は絶対に帰りません。離婚をこのままさせてもらいます」
何度か問答を繰り返しているうちにアデルはクラウスの腕の中で寝息をたてていた。
早朝からパーティーの支度で随分と疲れただろう。その上で先ほどの騒動だ。
ホテルに到着し、クラウスはアデルを抱きかかえて宿泊の部屋へと向かった。




