011 夫の来訪
二人の教え子をみてアデルは焦りを覚えた。
ここでいちいち説明をしても時間がなさすぎる。
社交界の練習場を簡単に作ってもらい、実地訓練にした。
ホールを社交界の会食のようにテーブルと食器類を並べさせた。二人の実際の動きを見てその都度指摘していく。
ヴィムは色々所作がすっ飛ばされることがあるが、大体の流れはよしとしよう。
ダンスについては不安はなかった。
元から体幹がしっかりしているため動きを覚え込ませれば何とかなりそうだ。
マーシャもダンスには意欲的な姿勢をみせているためお互いを補い合えればいい。
一番の問題は挨拶だ。
肝心なのは挨拶する相手の把握だ。
辺境伯領周辺の実力者の名前と肖像画を並べる。
どれも辺境伯が招待するであろう偉い貴族・富裕層たちだ。
これらを覚えることがヴィムには難しかった。
マーシャは半分くらい覚えられたので、ヴィムには10名だけの必要最低限の要人だけ覚えてもらおう。
(後は私が裏でサポートすれば問題はない、はず……)
残り3週間、アデルは自信がなかった。
すぐに首を横に振った。
(ううん、よくできた方よ)
マーシャもヴィムも頑張ってくれている。
(あの問題児のマーシャ様が、勉強嫌いのヴィムが……いかんいかん)
アデルはシャペロンとして二人をサポートしていこう。
今日の練習が終わり、アデルは馬を借りて帰宅することにした。
ヴィムは衣装合わせと、アルフォス団の仕事もあるので帰りは遅くなる。
(せっかく馬を借りたし、ちょっと色々買い足して帰ろうかな)
アデルは町中の店を軽く見回した。
「すごい。立派な馬車ね」
「ジーク男爵よりも派手な」
ひそひそと聞こえる声がした。
(何かあったのかな)
そう思いながら店の鶏肉の物色を続けていた。
アデルは家にある材料を思い出しながらウキウキだった。
だから、後ろに近づく貴人の気配に気づくのが遅れた。
後ろから肩を掴まれて、アデルは首を傾げた。
(ヴィム? もう追い付いてきたの?)
アデルは驚き後ろをみると、別の男の姿に眉をひそめた。
もう会うこともないと思っていた男だ。
「アーデルハイト」
元夫のクラウスがアデルの肩を掴んでいた。
何故この男がここにいるのだろうか。
アデルはしばらく反応に困った。
「ようやく見つけた。帰るぞ、アーデルハイト」
久々に聞く言葉は挨拶でもない。
「御機嫌よう。伯爵様」
アデルはようやく反応を示した。
スカートの裾をつまんでカーテシーを披露する。
平民となったアデルからすれば相手は高位貴族である。これでもかというくらいの低姿勢であった。
彼女の他人行儀な所作にクラウスは微妙な表情を浮かべた。
「申し訳ありませんが、私は夕飯の支度がありますの。早く帰らなければならないので失礼いたします」
おほほと上品に笑い、彼から離れようとしたがクラウスはアデルの腕を掴んだまま放してくれなかった。
「何の冗談だ」
これはこちらの台詞である。アデルは深くため息をついたいのをこらえた。
「冗談とは何のことでしょうか」
「いい加減にしろ。アーデルハイト。さぁ、帰るぞ」
「ちょっと辞めてください。痛いっ、いたっ!」
腕を強く引っ張られて肩に強い刺激が走った。
アデルの悲鳴に、クラウスは思わず彼女の腕を放した。
ようやく自由になったアデルは後退りながらクラウスを睨みつけた。
「今更何ですか。あんなに私を無視し続けた癖に今更何が不満なのですか?」
お互い重荷だった夫婦生活に終止符打ち自由になれたのに。
「お前の不満は聞く。とりあえずゴート市のホテルに行くぞ」
「何言っているのです。私の家があるのだからホテルに行く必要はありません」
クラウスの手が伸びたが、アデルは叩いて拒否した。
「アーデルハイト!」
「帰ります!!」
「ああ、帰るぞ」
全くこちらの都合を考えないクラウスの言葉にアデルは不機嫌を示した。
「あなたのところじゃありません。私の祖父の家です」
「あんなボロ屋でどう過ごせというのだ」
祖父と一緒に過ごした大事な家を貶されてアデルは一層眉間にしわを寄せた。
確かに貴族からすればボロ屋であろうよ。
アデルは無意識に鶏肉を投げつけた。それがクラウスの顔に命中する。
絞められて皮が剥がされたむき出しの鶏肉の感触にクラウスは怯んだ。
その隙にアデルは馬に乗った。
「アーデルハイト!」
後ろから声が聞こえるが振り向いてやるものか。
アデルは馬を夢中で走らせた。
「あー、鶏肉。もったいなかったなぁ」
馬を走らせながらアデルは夕飯予定だったシチューを恋しがった。今から市場にいっても何も売っていないだろう。
(今日は野菜スープ、固いパンで我慢しよう。チーズはまだあったかしら?)




