010 マーシャのおねだり
花祭り。
春の実りに感謝する祭りである。
戦争が終わってから復活していた。
その祭りの前日に領主館で盛大な社交界が開かれる。
花祭り目当てで来訪する遠方の貴族も参加するため、大きな社交界と予想された。
その社交界――マーシャのデビューまで1か月を切ろうとしていた。
「ピンチだわ」
ジーク男爵家に訪れた後、マーシャは困ったようにつぶやいた。
急ごしらえとはいえ、マーシャの作法は少しずつ上達していっている。
「お父様がぎっくり腰になってしまったの」
確かにピンチである。
社交界デビューでは、エスコートはジーク男爵がする予定であった。
娘の晴れ舞台にジーク男爵はうきうきと新しい衣装を発注していたというのに。
「お父様がいない社交界、知らない世界でどうすれば……」
「そんな固くなる必要はありませんよ。ただ笑顔で挨拶をすればいいのです」
自分の社交界の評判が散々であることを他所に放り出してアデルはマーシャを励まし続けた。
「社交界じゃ美味しいものがいっぱいありますよ。ワインは……未成年令嬢の為に葡萄ジュースも用意されていますし」
「ああ、アデル! お願い。私と一緒に社交界へ出て頂戴!」
突然の言葉にアデルは困惑した。
「私はちょっと社交界は……」
伯爵夫人でいやというほど味わった苦い経験を思い出した。
夫にエスコートされず、貴族たちから笑われながらも笑顔で挨拶をつづけた苦痛の時間だ。
もう経験したくない。
なかなか頷かないアデルにマーシャは横に座った。
そっとアデルの腕に絡みついて上目遣いでおねだりする。
「お願い。アデル先生」
その瞬間、アデルの思考は止まった。
(何という愛くるしい天使!)
ジーク男爵がマーシャに甘くなってしまうのがわかってしまう。
正直にいえばアデルはマーシャのことが可愛くて仕方なかった。
こんなかわいい妹がいたら伯爵夫人時代も耐えられたかもしれない。
心臓の音が周りに聞こえていないか不安になってしまいそうだ。
「でも、私は社交界用のドレスは持ってきていないのです」
「そんなの、うちのレンタルドレスがあるわ」
ジーク男爵はドレスのレンタル業も行っていた。自由に無償でいくらでも貸し出せる。
カーテンが開けばいつ準備したのかと不明な程の大量のドレスが並んでいた。
サイズからしてマーシャのものではなくアデル用に集められている。
「アデルは私のことが嫌いなの?」
はじめて出会った時の警戒心の強い子猫はどこへいったのだろうか。
今では自分の愛らしさをふんだんに利用するこざかしい悪魔であった。
「嫌いではありません。マーシャ様の願いであれば何だって聞きたいです」
「じゃあ、決まりね」
マーシャの付添人として社交界に参加することが決まった。
すっかりとマーシャの策略にはまってしまった。
ドレスの準備状況からしてジーク男爵も噛んでいたであろう。
「ところでエスコートはどうするのです」
一番それが問題ではないか。
マーシャは何でもないと言わんばかりにいった。
「ああ、アルフォス団の騎士見習いに頼む予定だから問題ないわ」
「そうなの」
「という訳でアデル様」
いつの間にか後ろに控えていたメイドがこそこそとアデルに耳打ちする。
「ヴィム殿の立ち居振る舞いの教育もお願いします。馬車からお出迎えは何とかなっておりますが」
「え、今ヴィムって言わなかった?」
確かにアルフォス団の騎士見習いにヴィムがいた。
でも騎士見習いより正規の騎士の方が適任ではないのかと思った。
アデルの疑問に答えるようにメイドは補足説明をした。
「どうせなら若くて顔が良い男をとマーシャお嬢様の願いでヴィム殿になりました」
(確かにヴィムは顔がいいのだけど……ヴィムてイケメンだったんだ)
幼馴染が女性に人気だったということを遅く認識してしまった。
こうしてアデルの仕事が増えた。
マーシャの教育以外にヴィムの紳士らしい立ち居振る舞いを教える。
(大丈夫かしら)
マーシャは3か月の猶予があったが、ヴィムは1カ月で何とかしろというのは大変だ。
困惑するアデルにメイドは新しい書類を持ってきた。
「旦那様より言付かった新しい契約書です」
追加の成功報酬の値段が書かれた紙を手渡された。
内容はかなりの高待遇であり、ここまで言われたら断りづらい。
アデルはため息をつきながらも了承のサインを書いた。




