18.29.異神
空気を振動させ、大地を揺るがさんばかりの大きな咆哮に全員が硬直した。
突如空中に出現した観音扉から出てきたのは、恐ろしい様相をした異神のナテガだ。
ついに……この世に干渉してきた。
神は人間に干渉しないと言われるが、相手は異形の神なのだからそんな細かいことは気にしないでいいだろう。
しかし渡り者である旅籠、早瀬、雪野が見たナテガは……昔見た時よりも大きかった。
腕はさらに肥大化し、体躯も鯨の様に巨大だ。
木夢が最大にまで大きくなった時の姿に近いだろう。
ズルリと出てきたナテガは地面に落下する。
まともに受け身を取るつもりなどなかったらしく、頭落ちたようだ。
普通の人間であれば今ので死んでいるだろう。
だが相手は神であり、何ともなかったかのように首をもたげて真っ黒な目玉をこちらへ向ける。
『邪魔ばかり……邪魔者ばかりだ!! 邪魔だ貴様ら! 僕の野望を、目的を! 邪魔するなああああああ!!!!』
「いや、知らんがな」
常治が手を上げると、足元から一斉に羽虫のような物が舞い上がった。
しかし羽音はしない。
よく観察してみると、それらはすべて細切れにされた継ぎ接ぎであるということが分かった。
「飛び継ぎ」
高速で飛び回った継ぎ接ぎは一斉にナテガの体に付着する。
一つが付着すれば一気に継ぎ接ぎが伸びて相手を拘束した。
これが数百、数千と貼り付けばどうなるか。
「開」
常治は直ぐ様異術を発動させたが……何も起きなかった。
しかしこれは織り込み済みだったようで『やはりか』といった表情を見せた。
攻撃が効かなかった、という結果に驚いていないらしい。
「なんで……」
「相手は神だ。それも異神。異術は奴に効かん。一応異術の創造主であるからなあ」
「じゃ、じゃあどうするんですか……?」
「手は打っている」
ピタッ……と地面に飛び継ぎの一部が張り付いた。
それは伸びて大きな継ぎ接ぎとなり、月芽の継ぎ目移動の様に地面が開かれる。
そこから飛び出してきたのは……黒色の布で目を隠した女性だ。
リン、と鈴を鳴らしながら着地すると、間髪入れずに筆を持った手でナテガを指す。
「異術・剥術」
『ごえぁっ!?』
バリッという大きな音がナテガから聞こえた。
だが大したダメージはないらしく、出血もしていない。
だが明らかに渋い顔をしていた。
「何をしたんですか?」
「令月の異術さ。こいつは巻物の異形でな? 歴史を書き換える力を持つ」
「え、じゃ、じゃあ……!」
「代償はデカいがな」
「え?」
確かにダメージはあったのか、ナテガは胸に手を置いて苦し気にしている。
己の中にあった何かが消えたのだろう。
ただ、相手は異形の神である。
そんな神に一番槍を打ち込んだ令月は、ガクリと膝を落としてその場に座り込んだ。
リンッ……と小さくなった鈴が地面に転がる。
彼女は脱力し、顔を上げる事すらできないでいた。
その光景に、案山子夜は目を見張る。
「……まさか……!!」
「異形最強は主魂だ。令月は二番目。二番の力では限界があるが、命一つ使って神の一手を封じる事は出来る」
「命!?」
雪野と月芽がようやく意味を理解し、令月を見た。
彼女は人の姿をしており、異形が有している特殊な体質は既にない。
つまり死んでも生き返らない。
今の姿が彼女の最後の命だという事だ。
元よりこれが彼女唯一の役目であった。
巻物の異形である彼女は対象の記憶を弄ることが容易にできた。
これによってガガニと磯丸は記憶を改変され、今日まで普通に過ごしてきたのだ。
だが彼女の異術は記憶の改変だけではない。
今しがたナテガに使用した異術は、異術を使えなくさせる異術だ。
異術を使う異形の肉体から、異術の歴史……記憶を消す。
忘れるとかそういう次元のものではなく、完全に肉体から消滅させてしまうのだ。
神の肉体からも能力を消す力。
それほどに強力な異術が、そう簡単に使えるはずもない。
常治の言った通り……その代償は命を使うものだった。
常治は命を使うほどの異術を使い、既に事切れた令月の肩に手を置く。
これだけのために、彼女は存在していた。
今しがた、別れは告げ終わった。
せめてその体がこれ以上傷つけられないよう、遠くへと隠しておくことにして継ぎ接ぎの中へと仕舞う。
「感謝するぞ令月。これで、神に勝てる」
「今一度確認しますぞ。常治殿、貴殿は……味方ですな?」
「異神を誘い出すためにお主らと敵対する必要があったが、出てきた以上その必要は無くなった!! 共に戦うぞ旅籠異形軍! この世を、別世を、守るために!!」
『ああああ~~~~????』
この言葉にまず反応したのはナテガだ。
顔を上げた彼の双眸は真っ黒であり、ギリギリと歯を食いしばっていた。
力強く握った拳を地面に叩きつけると、それは地震を引き起こす。
常治が地面を踏み込んで継ぎ接ぎを伸ばし、大地を大きく切り取ってそれを緩和させた。
ただ地面を殴っただけで、大地が吠えたのだ。
今まで戦ってきた妖怪、異形とはレベルが違うとその場にいた誰もが思っただろう。
令月が命を使って神の異術を切り取ったが、それは小さな紙きれ一つほどでしかなかった。
『なんつった貴様ぁ……!!』
「お前を殺す。あの時はできなかったが、今ならばできる。さぁ掛かって来いよ異端の神よ。お前が死ねば、この世は元に戻る!」
『ギュル……』
突如、ナテガの喉がカエルのように膨らんだ。
明らかに何かを吐き出すかのような動作に、雪野がすぐさま結界を張った。
その判断は大正解だったようで、顎を外しながら吐き出したのは大量の黒い液体。
凄まじい勢いで結界にぶち当たったが、破壊するまでには至らなかったらしい。
だがそれは……次第に分裂して形を成していく。
うぞうぞと蠢いていた液体から丸っこい頭部が出現する。
次に骨を皮だけになった人間のような姿が液体から這い出してきた。
その数、数千といったところだろうか。
吹けば飛んでしまいそうだが、その一体が腕を振るうと体に付着していた黒い液体が結界に張り付く。
ピシャッ……と一滴。
すると次の瞬間、物理法則を完全に無視して結界を覆う程の粘液が結界を包み、ガラスが砕ける音を立てながら結界を完全に破壊してしまった。
砕けて鋭利になった結界が黒い粘液の間から飛び出すが、それすらも包んで粉になるまで砕いていく。
「……あれ、は……?」
「異神術。一筋縄ではいかぬという事よな!」
「う! あれヤダ!!」
炎重が指をさして駄々をこねれば、結界に纏わりついていた黒い粘液が弾け飛ぶ。
これに驚いたのはナテガだった。
バッと腕を広げてみるが、何も変わらない。
そこで……ようやく己の身に何をされたのかが理解できた。
『……僕から……この僕から……! 神の力を奪ったな!!!!』
「いや知らん。令月が何を消したのかはまるで知らん。だが我らの攻撃は、今の貴様には効くようだな!!!!」
ギリと歯を食いしばるナテガにニカッと笑い、してやったり顔を浮かべる常治。
これで……盤面は整った。




