第18話「二年越しの計画、一〇年越しの決着」
「おい、今あのオオカミなんて?」
「エンジェルパウダーって聞こえたぞ」
「それって、王都で問題になってるあの?」
そんな声が遠くから聞こえる。
だけどお礼は答える余裕はなかった。
「ウィルディーくん、避けろ!」
その声に咄嗟にティアの方へ飛ぶ。
体当たりして押し倒すと、もといた場所で金属音が響いた。
刀を何本も作ってきたから、それが何の音なのかわかる。
正体に気づき、ぞっとした。
声が聞こえなければ、俺は斬られていた。
「ずいぶん手癖の悪い部下を連れて来てくれましたね。エルドレムさん?」
俺の代わりに立っていたのはガブリエルだった。
美少年な顔に好戦的な獣の気配を滲ませ、鱗でおおわれた腕で凶刃を受け止めていた。
「あれまぁ、あっしの剣で斬れないって。ドラゴンの鱗は噂以上に硬いんやね」
艶美に笑う女が立っていた。
大きく着崩した艶やかで花魁のような服。
そして両手には厚みのあるククリナイフが二刀。
エンジェルパウダーの事件で襲ってきたあの女だ。
「ねぇご主人様ぁ。あっし、この子と遊びたいんやけどぉ、あかん?」
「やめておきなさい。君一人じゃ分が悪すぎる相手だよ」
「やん! いけずぅ」
口調とは裏腹に素直に後ろに下がる女。
ガブリエルもそれを追わずに間合いが開く。
どうして追撃しないのか。
わかってる、俺とティアを守るためだ。
俺たちのせいで動けないんだ。
「はぁ、誤算だな。まさかウィルディーくんに気づかれるとは思わなかったよ。せっかくの一番簡単な方法だったのにさ」
おどけて語る男を見て激しく戸惑う。
誰だこの男は。
いや、こいつはエルドレム・トルウェスだ。
でも一瞬、本気で別の誰かに見えた。
「簡単な方法って、どういうことだよ」
「ん? 知らないのかな? エンジェルパウダーの効果」
そこでハッとした。
エンジェルパウダーを飲んだ人が最後にどうなるか。
たしかエアが言っていた。
――一国の王を傀儡にして実権を握った者がいたほどらしいぞ。
「ミーティアがボクに惚れてくれるのがベストだったんだけどね。でも無理そうだったからテレサに動いてもらおうと思ったらそれも無理ときた。だったらこうでもしないと王族に一服盛るなんてできないだろ?」
「……テレサ?」
というと例の料理長だ。
どうしてこのタイミングで彼女の名前が出てくるんだ?
「なんだい、気づいていたから邪魔したんじゃないのかい?」
……まさか、彼女もこいつら側だったのか?
だとすれば俺が料理を出すようになった途端いなくなったことにも説明がつく……けど、だとするとこいつは一帯どれだけ前からこの計画を仕組んでやがった。
王宮の料理長なんて一朝一夕でなれる物じゃないだろ。
それをこの一杯に薬を盛るためだけに送り出してたってのか?
「あとは妻に迎えれば、アルベルノ王国に発言力のある第二王女はボクの思い通りって寸法だったんだけどね……おっと、動くんじゃないよ?」
強く言ったわけでもないひと言に、動きかけた体が止まってしまう。
ティアが後ろから後ろ足を掴んだからだ。
「ダメ」
「どうして!」
「……お父様とお母様が」
言われて気づく。
会場の空気が一変していた。
いや、正確には会場の空気が。もっと言うと、ローゼンストックの人間の。
殺気交じりに短刀や杖を向ける先にはカルノ王と彼に寄り添うサテル王妃。
……まずい、これって状況がすでに詰みの形ができている。
同時にエルドレムが今日という日に凶行に及んだ理由がわかった。
ティアの誕生日パーティー、そこにはお互いの知人を招待する。
つまり、疑われることなく自国の兵を王宮に入れられるということ。
多少魔力の多い実力者を紛れ込ませても、『要人の護衛のため』とでも言えば言い訳になる大義名分だ。
きっと二年前から……いや、ティアとの婚約が決まる前から、多分カルノ王の信頼を勝ち取ったときから計画していたのだろう。
俺も警戒していた。でも見逃した。
その結果がこの状況だ。
つまり、俺の責任である。
なら何とかしなければ。せめてティアを外に逃がしたい。
でも、どうやって? カルノ王をはじめ有力貴族を全員人質にされているんだぞ?
フレイアは……ダメだ。
俺と同じで人質のせいで動けそうにない。何より彼の前にもフードの男が立っている。
リリィや俺ほどじゃないけど、頭一つ飛び出て魔力を持っている。
たぶん花魁女と同じエルドレムの切り札の一枚なのだろう。
ならリリィとエアは?
状況をまだつかめていないようだ。
無理もない、あれであの子は三姉妹の中では一番普通だ。
いくら力があっても、唐突にこんな状況に放り込まれて戸惑わない子どもはいない。
アクアならどうだろう。
仁王立ちするアンリが殺気立つ周囲を威圧する中、キョトンと首をかしげていた。
ずいぶん悠長だ。もしかして状況を挽回できる策でもあるのだろうか?
あーいや。もしかするとこの程度は彼女にとって危機でも何でもないのかもしれない。
なにせ少なくとも三〇〇年は生きてるわけだし。
ともあれ動くつもりはないらしい。
ならやっぱり俺が動くしかないのだろう。
「なんで?」
そう覚悟をきめたとき先に口を開いたのはティアだった。
こんな状況でも彼女は冷静だ。
いや、そうでもない。
俺を掴む手は震えていた。
それを悟られまいと冷静なふりをしているんだ。
「なぜ? それを君たちが言うのかい?」
エルドレムの空気が変わる。
同時にローゼンストックの連中からもただならない気配を感じた。
「君たちがボクたちの国に何をしたか、たった一〇年で忘れてしまったのかな? ぼくたちは一時たりとも忘れたことはないのに」
「ッ!」
「換算できるはずのない賠償金。国の分断。尊厳の蹂躙。ずいぶん好き放題踏み荒らしてくれたのにさ」
「それは、敗戦国の――」
と、途中でティアは言葉を切って唇をかむ。
聡い彼女は気づいたのだろう。
それが勝者の言葉でしかないことに。
「そうさ。君たちはぼくらが二度と逆らわないように牙も爪の引き抜いた。だから、こうして反旗を翻されても文句は言えないよね? 滅茶苦茶にしたんだから逆に滅茶苦茶にされても文句ないよね?」
「許されるわけがないだろ!!」
だけど世の中にはどうしようもなく空気を読まないバカというのは存在する。
声を荒げたのはアルベルノ王国側の貴族の男だった。
歳は中年くらい。脂ぎった顔からは苦労を知らずぬくぬくと育ってきたことがよくわかる。
「貴様らは我らの国の恩情によって生かされているのだぞ! なのに反逆など許されるわけがないだろう!」
「生かす? 搾取するの間違いでしょ? あなたのその贅肉はどこから出たものが大半か考えたことはないのですか?」
「ぶ、ぶれいな! 恩を仇で返すとは! 明日には軍を貴様らの国に送ってやる! ただではおかんからな!」
「安心してください。あなたに明日はありませんから」
「へ?」
トーン、と。
あまりにあっけなく貴族の首が飛ぶ。背後の兵が短刀で一閃したのだ。
鞠玉みたいに地面でバウンドした首には何が起こったか理解できていない男の顔が浮かんでいた。たぶん彼は最後の瞬間まで図分が死ぬなど考えてもみなかったのだろう。
そしてそれは会場の人質全員に言えることで。
ここに来てやっと自らのおかれた状況を理解したように顔を青くする。
「動かないでください。そうすればもうちょっと長く生きていられますんで」
「要求はなんだ」
誰かの声がした。カルノ王だ。
いつも食卓で聞くものとは違う、重く力強い声。
これが本来の王としての彼なのだろう。
「そうですね。停戦時に結んだ条約の破棄でどうでしょう? 具体的には賠償金の支払いの永久凍結。国も元に戻してもらい、工業地帯も返してください。もちろん軍備の制限も破棄。今後国内干渉はしないと盟約してもらえれば……そうですね。カルノ王、第一王女、第三王女の命だけで手を打ちましょう」
「……飲めるわけがないだろう、そのような条件」
「だったら交渉は決裂ですね」
なんと返答するかわかっていたように肩をすくめる。
「でもぼくらもここまでしたからにはただでは帰れないんですよ」
「じゃあどうする? ここにいる貴族を皆殺しにでもするか?」
「いえ、それじゃあ足りません」
そう言って笑った。
「なに?」
「ミーティアと結婚し内部からローゼンストックに吸収するのが理想でしたけど、無理となってはこの国があっても目障りなんです。よしんば条約破棄できてもどうせあなたたちです。なんだかんだと難癖をつけるでしょう? だったらもういっそ消えてもらったほうがぼくらのためだ」
「馬鹿な、そんなことできるわけがない」
「できますよ? 何のため二年も腐った王宮で生活していたと思うんです?」
そう言って懐から取り出したのは一冊の本だった。
手帳サイズの革の装丁。ネットゲームとかで魔法使いが持っていそうな意匠。
本というより骨董品やインテリアとして売っていたほうが自然な本だ。
それを見た瞬間――冷や汗が止まらなくなった。
理由はわからない。
でも少なくとも、あれはここにあっちゃいけないものだ。
それだけはわかった。
「それはっ!」
「おや? これをご存じで? じゃあ結界の謎も知ってたんですね。ひどい人だなぁ。こんな悍ましいものを命綱にしていることを国民に教えないなんて」
生きた本、魔術書。
俺の頭にそんな単語が掠めた。
一緒にそれがどういうものダトテリアが言っていたかも思い出す。
『わざわざ【封印】するってことは、それだけ厄介で強い魔物が封じられている場合が大半なんだ。だから見つけても下手に触っちゃダメだよ? 古い魔術書は術が切れかけてて、魔物が復活しちゃうことがあるから』
「この街が魔物に襲われない理由には、マクスウェルの結界、《偉大なる王》の奇跡。たいそうな名前がついてますけど、蓋を開ければ簡単な話です」
「ッ! やめ――」
「この街は最初から人間のものじゃなかった」
カルノ王の生死を聞かずエルドレムは言い切った。
「魔獣は他の魔獣のテリトリーには近づけない。魔物はその法則の外にいるけど、絶対敵わない相手に喧嘩をするほどバカじゃない」
……え?
それってどういう意味だ?
「結界なんかじゃない、魔術でもない、ましてや奇跡ですらない」
エルドレムは語る。
誰も反論できない場で、まるで罪人を捌く聖職者のように。
「マクスウェルはある一柱の魔物のテリトリーだから襲われない。ですよね?」
「ッ!」
「三英雄が倒したとされるノウシウスは実は倒されていなかった。ただ【封印】されただけで、魔術書として国に隠され続けた。彼のテリトリーであることだけ残してね」
ノウシウス。
たしか、ガブリエルやエアでも絶対勝てない、最強の生物。
まさか、そんな化物があの本の中に?
でも、あれ? 待て。
たしかその伝説って三〇〇年も前の話しだよね?
じゃあもしかして、とっくに【封印】の魔術は――
「これを見つけるのは骨が折れましたよ。厳重に保管してくれればまだわかりやすかったのに、膨大で無秩序な書庫に隠しているなんてね。《偉大なる王》とはユーモアのある人だったのですね」
繋がった。全部が繋がってしまった。
書庫で彼をよく見た理由も、結界をどう活かすつもりだったのかも。
「……さて」
そこでエルドレムは本へ落としていた視線をあげた。
「ここまで言えばぼくがこの国を消すという言葉が本気だとわかりますよね?」
「アンリヴァル!!」
一瞬その声が誰かわからなかった。
俺の知るその声の主はこんなに声を張ったりしないからだ。
つまり、今エルドレムがしようとしていることは、それだけの緊急事態ということで。
その声――アクアの一喝と同時に疾風が会場を奔る。
抜身の剣を構えたアンリが躊躇なくエルドレムを狙う。
対するエルドレムは一切彼に目を向けない。
捉える寸前で花魁女が割って入りこれを防いだからだ。
硬質な音と火花が散る。
「くっ!」
自身の失策にアンリの顔が苦悶に歪んだ。
近くにいるはずなのに、遠い。そのことをあざ笑うかのように花魁女は笑う。
エルドレムが魔術書に指をかけえる。
一瞬の躊躇もなく開けてしまう。
次の瞬間、決定的な何かにひびが入った音がした。
続いて突きあがるような地震が襲う。
立っていられない揺れの中、俺はティアだけは離すまいとドレスに噛みついた。
そして――そいつは現れた。




