六、
六、形勢逆転の茶の間
玖美は一人電車に揺られていた。
今回、伯父の家訪問はたくさんのことが起こり過ぎて、混乱し憔悴しきっていた。
昨夜も玖美を心配した将人は泊ってくれた。そして酒を酌み交わしながら、謎の人物孝枝と柿の木について議論したのだった。
孝枝は祖母の名前ではない。祖母の名前はトキだ。
玖美はこの孝枝という人物に会ったことがない。
玖美がこの世に生を受ける前に亡くなったと考えられ、杉崎家の墓に入っているということは父と伯父の姉か妹だろうと推測した。
しかし、父からも伯父からも姉か妹がいたという話を聞いたことがなかった。
もう一つの議論の対象である柿の木については、将人の方が興味深いようだった。
この辺りは温暖な土地柄みかんの苗木を植えているお宅が多いのにも関わらず、なぜ杉崎家だけが柿なのか。
玖美は以前、伯父が幼い頃よそからもらった柿が甘くて美味しかったから、いたずらに種を植えたことを将人に話して聞かせた。
しかし将人は孝枝が不慮の事故で亡くなり、両親が自ら慰めるために植えたのではないかと持論を展開した。
二人の意見は平行線を辿り、結論に至らなかった。従って父親にことの真相を確かめるのが、玖美への宿題となってしまった。
宿題の見返りに将人の携帯番号とメールアドレスを入手し、これでいつでも彼の声が聞けると密かに安堵していた。
「ただいま」
玖美は二日ぶりに自宅のドアを開けた。
彼女を出迎えてくれる者は誰もおらずキッチンに行けば、母親がいるだろうと思いながら上がった。
たった二晩留守にしていただけなのに、この家がひどく現代的で尖っているように感じる。
家は十五年前に建て替えた。一人娘の玖美が結婚して住めるように二世帯住宅にしてある。
親の期待に添えず今も独身でいる玖美にとって、大きなため息のもとだった。
もし万が一、西村と結婚していても彼ともにニューヨークへ行ってしまっただろう。
杉崎家にとって二世帯住宅は、かなり残念な家の造りとなっていた。
「お母さん、ただいま」
「あっ、玖美。お帰り」
娘の声に気付いた母親は水道を止めて、玖美を見た。
「これ、お土産。お父さんは?」
「散歩に行ってるわよ。これ、揚げかま?」
「うん、そうだけど……」
「お隣りに持って行っていいかしら?」
母の問いかけに玖美は露骨に嫌そうな表情をした。
すると母は玖美を睨みつけて、
「まさか自分の晩酌のために買ってきたの?
出掛ける前にお隣りからお野菜頂いているから、買ってくるように頼んだじゃない」
母の口調は怒り半分呆れ半分だった。しかし玖美には秘密兵器を隠し持っていた。
「あげても構わないわよ。うちにはおまんじゅう買ってきたから。
お父さんが帰ってきたらお茶にしよう」
隠し持っていたまんじゅうの折詰めをテーブルに出すと、母の顔つきが柔和になった。
「うん、そうね」
そんな母と娘の会話をしている矢先、玄関のドアが開閉される音が聞こえた。
「あら、噂をすれば何とやら。丁度、帰ってきたみたいね」
玖美の声が弾んだ。
父が帰ってきたということはお茶をしながら、将人の宿題を片付けられる。
上手く聞き出せたら、今晩にも電話ができるかもしれない。
いや、止めておこう。
明日の晩の方がいい。
連休明けの辛い会社勤めも、夜電話することを考えたら、その日一日を無事やり過ごせそうな気がする。
今日宿題を済ませて、明日の晩将人の声を一秒でも長く聞く方法を考えていた方がよさそうだ。
やがて、解答者父親が母娘のいるキッチンに姿を現した。
「なんだ玖美。帰っていたのか」
「ただいま。今、お母さんとお父さんが帰ってきたら、お茶しようって話していたところなの」
玖美の最後の一言で、親子三人は座をリビングに移動した。
伯父の家の居間は重厚な木目調の座卓一つと、三十二型の薄型テレビが置いてあるだけの殺風景な部屋である。
それに比べ杉崎家のリビングには四十二型テレビとベージュのソファ、そしてローテーブルが配置されている。
それだけではなく新聞や折り込み広告が散乱し、そこかしこに小物が置いてあり落ち着きがない。
まるでお祭りを見に来た群衆のような佇まいだが、人が住んでいる証拠であり生活感が滲み出ている。
主のいない伯父の家に生活感が出るはずはなかった。
「ねえ、お父さん。伯父さんの家に柿の木が植えてあるじゃない? どうしてみかんじゃなくて柿なの?」
早速質問をしてみると、まんじゅうを取る父の手が止まった。
「玖美、どうした? 今までそんなこと聞いたことがなかったじゃないか」
明らかに何かを隠しているような気まずい表情をして玖美を見た。
父親の瞳からは当惑の色が浮かんでいる。
玖美はちょっと露骨過ぎたと反省しながら、まんじゅうを手にした。
「ただ何となく思ったの。確か伯父さんは子供の頃に種を植えたって話していたけど……」
「それは違うな。知り合いの人から柿の苗木をいただいて植えたんだよ」
「ふうん」
とりあえず一つ目の質問は解決した。いただいた苗木が柿だったということらしい。それだけだ。
玖美は手にしたまんじゅうのフィルムを外し、ひと口かじった。
すると、母は専用のマグカップにお茶をなみなみと注いで目の前に置いてくれた。
「それから、昨日伯父さんのお墓参りをしてきたの。
墓石におじいちゃん、おばあちゃん、伯父さんに混ざって、孝枝さんって彫ってあったんだけど誰?」
思い切って切り出してみると、父の目が少し泳いだような気がした。
はぐらかされそうな気になり、代わりに母に視線を向けると、
「それはあれよね、お父さん」
裏返った声で、父に助けを求めた。
「ああ、あれだ。じつは妹がいたんだよ。不慮の事故で亡くなってな。
お前が生まれて間もない頃だったから、覚えていないだろうけど……」
父の声音も動揺を隠せないようだった。両親の動揺した態度は玖美を不安にさせた。
二人して事実を隠ぺいし、葬り去ろうとしている。
それは犯罪絡みなのかわからないが、嫌な予感がますます強くなっていく。
「それよりお前、どうだった?」
動揺していた父が、突然玖美に切り返してきた。
その返しはこれ以上悟られたくないという雰囲気が漂っているが、玖美は伯父の家の様子を聞きたがっているのだろうと思い、
「やっぱり殺虫剤しとかなくっちゃダメね。
そこらじゅうムカデが這っていて追い出すのに苦労したよ」
初日の一匹ずつ外に放り出した苦労を偲びつつ答えた。
「そうじゃなくて。何だ、お前話していないのか」
呆れ顔の父は母を見た。
母は悠然と手中に収めた湯呑み茶碗を転がしながら、
「話してないわよ。だって、そんな話をしたら逃げちゃうじゃないの」
二人の間で交わされている内容のわからない玖美は、「一体、何のこと?」と割って入った。
「あなたのお見合いの話よ」
思わず玖美は流しこんだお茶を勢いよく吹き出してしまい、そのままむせてしまった。
「ちょっと、どういうことよ!」
涙目で両親に訴えると、父はほのかに苦笑いをし、母は玖美が吹き出したお茶を涼しい顔をして台布巾で拭き取っている。
「三日の日に渡部さんとかいう男の人が来たでしょ?
あの人があなたのお見合い相手よ」
形勢が逆転した。
杉崎家のお茶の間の主導権は、玖美から母に移っている。
体裁が悪くなったから、話題を変えたのではないかと玖美はパニくった頭の片隅で考えていた。
「なんで何も教えてくれなかったのよ!」
母を責めながら、自分が将人に行った数々の醜態を思い出し恥じ入っていた。
「じつは生前直也に頼まれていたんだ。玖美と気が合いそうな男がいるって。
本当は昨年の秋に引き会わせる予定だったが、直也があんなことになり延期にしたんだよ。
あいつ、玖美の花嫁姿を楽しみにしていたからな」
父は遠い目をして、まんじゅうをかじった。
「そうよ、玖美。先方はこのお話に乗り気だったの。
でも直也さんが亡くなって、代わりに直也さんの友人が仲を取り持ってくれたのよ。
その方は稀に見る好青年とおっしゃっていてね。私たちもいい話だから賛同したのよ」
父という援護を受けた母も玖美に本当のことを嬉しそうに打ち明けた。
玖美は両親の思いを感じないわけでもないが、これでは幼い日の遊園地と同じではないか。
あの日、両親と伯父の三人で共謀し、玖美を騙した。
今回は伯父が将人になり代わって共謀し、再び玖美を騙したことになる。
しかしその一方、将人と二日間ともに過ごし、彼の誠実さを知った。
最後の晩お酒が進み、将人と同衾の仲となり、自分を大切に労わり扱ってくれた。
彼は終始優しく自分を気遣ってくれていた。
だがまんまと口車に乗せられてしまったのが癪に障り、二日もともに過ごした真実を両親に伏せおき、
「お父さん、お母さん、ありがとう。でも大丈夫。私も彼を気に入ったから」
と明るく言い放ちながら、腹の中では将人に対してどんな報復をしてやろうか一人策を練り始めた。




