第2話
レティシアとして生まれてきたまゆりは赤ちゃんとしてこの世界の情報を集めることにした。
今わかっているのは、ここが大きな屋敷であること、家族は誰もレティシアに会いにこないこと、乳母の名前は『ハンナ』であることくらいだった。
少しずつ体を動かせるようになってきた。
しかしまだまだ自分の意識とは違うところで泣いたり眠ったりしてしまう。
《どうして前世の記憶を持ったまま生まれ変わったんだろう》
疑問に思うまゆりだったが難しいことを考えるとすぐに眠くなってしまう。
そうしてしばらくは赤ちゃんであることと自分がレティシアという女の子であることを受け入れ、母乳を飲んで寝るという生活を過ごした。
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半年が経った頃、レティシアはハイハイができるようになっていた。
ハンナと若いメイドのルルがお世話係のようだった。
未だにこの部屋から出ることはないし、家族も誰一人として会いにこない。
離乳食であろうドロドロの何かを食べさせられる。
美味しくはない。しかしクセになる味でやめられない。
「たくさんお食べになってえらいです!」
ルルはレティシアの口を拭きながら満面の笑みを浮かべた。
それを見てハンナも嬉しそうだった。
とても穏やかな平和な時間だった。
そう、だった、のだ─。
ヒューーという聞いたことのあるような音が聞こえたかと思うとすぐにドカンと爆発するような凄まじい音が外から聞こえてきた。
にこやかに笑っていたハンナとルルは一瞬にして険しい顔になった。
ハンナはルルにレティシアを抱かせ、2人は目を合わせ軽く頷くと部屋をあとにした。
レティシアはこの日、はじめて部屋の外に出た。
どこまでも続いているような長い廊下が続いていた。
階段を駆け下り、ハンナは外へ出ずに廊下のつきあたりまでルルを誘導した。
ハンナは何もない壁に手をあてて何かをつぶやいた。
するとそこには汚らしい木の扉が現れた。
ハンナはすぐに扉を開けてルルを促した。
「そこで何をしてる?!」
廊下の向こうから男の怒鳴るような声が聞こえてきた。
「ここは私が。ルルはレティシア様を連れて行きなさい!」
いつものハンナからは想像できない怖い声がした。
ルルは一瞬悩んだようだったがすぐにレティシアを強く抱きしめ、扉の向こうの道を進んだ。
ゆっくりと扉が閉じる音が聞こえた。そしてすぐに壁の向こうから壁が崩れる音と女性の短い悲鳴のようなものが聞こえた。
ルルは振り返ることもなく、暗い洞窟のような道を走った。
レティシアは頬が濡れるのに気がついた。
ルルは声を殺して涙を流していた。
後ろから何かが追ってきている音は聞こえない。
レティシアは何が起きているのか理解できず、ただただハンナが心配だった。
ハンナが後ろから追いかけてくる気配はなかった。
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どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
ルルは止まらずに走り続けた。
途中で何度も転びそうになったがそのたびに見えないクッションのようなもので守られているように感じ、転ぶことはなかった。
そして目の前にまた汚らしい木の扉が現れた。
ルルは立ち止まり扉の向こうの音を聞いているようだった。
特に音はしない。
ルルは慎重に音が鳴らないように扉を開けた。
扉の向こうは薄暗かった。
何かが燃えたような焦げくさい臭いが辺りに広がっていた。
ルルはしっかりとレティシアを抱きかかえていたのでレティシアの視界はよくない。
ルルは少し進み、大きく深呼吸をした。
「もう大丈夫ですよ。」
ルルはレティシアをそっと地面に置いた。
かなり遠くまで走ってきたし腕が疲れたのだろう。
《森の中?》
包まれていたブランケットの上にちょこんとお座りをしたレティシアはキョロキョロと辺りを見回した。
薄暗かったのは大きな木が密集して生えていたせいだった。
ルルは少し休むとまたレティシアを抱え、歩き始めた。
「お腹が空いてますよね?ごめんなさい。もう少し我慢してくださいね。」
レティシアは確かにお腹が空いていた。
いつもなら泣き叫んで何かを食べさせろと暴れただろう。
しかし今は泣くべきではないと本能でわかった。
レティシアはルルの頬に手をあててにっこりと笑った。
ルルはそれを見て一瞬泣きそうな顔になったが、すぐに笑顔を返した。
「レティシア様はお強いですね。」
ルルはそう言うと小さく頷いて歩く足を早めた。
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大きな森だった。
小一時間歩いたがまだ辺りは薄暗かった。
レティシアはいつの間にか眠ってしまっていた。
「着きましたよ。」
ルルの声がしてレティシアは目を開けた。
目の前には小さなログハウスがあった。
ルルは躊躇せずにその中へ入って行った。
「ルル、おかえりなさい。」
中には心配そうな顔をしている中年の女性が立っていた。
「お母さん…」
ルルはポロポロと涙をこぼした。
ここはどうやらルルの実家らしい。
ルルの母親はケリーという。ルルは母親似だとすぐにわかる美しい人だった。
ケリーはすぐにレティシアにヤギの乳を飲ませてくれた。
お腹が空いていたのでとても美味しく感じた。
おしめを取り替えてもらい、レティシアはまたすぐに眠ってしまった。
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「国王も王子も殺されたという話は出ていない。」
「お父さん、ハンナがどうなったかわかる?」
「従者たちがどうなったかまでは聞いてないな。城の中は大混乱らしい。」
ルルと父親は深刻そうに話をしていた。
レティシアが推測するに、何かしらの攻撃を受けたが国王と王子は生きている。
そして、今までいた場所は城である。
もしかしたら自分は王族であるのではないかということまで考えられる。
ルルがハンナを心配すると同じようにレティシアもハンナが心配だった。
この世に生まれてきてからずっとハンナに育てられてきた。
ハンナはレティシアにとってお母さんだった。
心配したところでまだハイハイしかできないレティシアには何もできなかった。
ルルは作り笑顔でレティシアのお世話を続けてくれた。
ケリーも悲しげな笑顔でレティシアのお世話をしてくれた。
《波乱万丈な第二の人生ね…》
受け入れるしかできないレティシアはルルの家で時を過ごした。
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月日が流れるにつれて、レティシアはルルの家のことがわかってきた。
ルルの家は代々隠密として王室に雇われていたようだった。
両親はすでに引退していた。
ルルも両親の仕事を引き継ぐべく城に入っていたというわけである。
レティシアの世話をしていたのは任務を待つ間のつなぎの仕事だったようだ。
まだ幼いルルには難しい仕事は任せられないようで、いわばマナーや社会情勢を勉強中という感じだった。
そんな中で今の事態になっているのである。
ルルの家は城から離れた森の中にひっそりと建っている。
レティシアがここに来てから訪問者はいない。
おそらく来る前もいなかっただろう。
ルルの父親のカイは狩人のようでウサギや鹿を狩ってきては解体してその肉をどこかに持っていく。
そしてパンや野菜などを持ち帰る。
レティシアの前世の記憶にはない生活だった。
過去の世界に転生したのだとレティシアは考えていた。
城にいるときには電灯のようなものがあったがここにはロウソクやオイルランプのようなものしかない。
森の中だから電気が通っていないのかもしれないが、それにしても家の中には文明を感じるものが何もなかった。
城のその後やハンナの情報がないまま月日は流れ、レティシアは1歳になろうとしていた。
「レティシア様、もうすぐお誕生日ですね!そろそろ歩けるかしら?」
ルルはいつものようにニコニコしながらレティシアの両手を取った。
「あいっ」
レティシアはルルに手を引かれヒョコヒョコと歩いた。
「やりましたね!レティシア様!」
ルルはレティシアの手を離し、少し後ろずさって両手を広げた。
レティシアはそれに向かってよたよたと歩いた。
《これくらい簡単よ》
そう思っていたレティシアだったがルルのところにつく前に転びそうになってしまった。
「危ない!」
ルルがレティシアを受け止めようとしたその瞬間、事件は起こった。
レティシアのまわりはほのかに光り、態勢を崩したレティシアの身体を見えない何かが受け止めたのだった。
ルルはそれを目の当たりにして口をあんぐり開けていた。
《なにこれ?》
レティシアはほのかに光るその見えない何かに触れた。
それはほんのり温かく、ハンナを思い出させた。
レティシアはそのままゆっくりと床に転がった。
ルルはハッとしてレティシアを抱き上げた。
「レティシア様、魔力をお持ちなんですね。」
ルルは真剣な顔でレティシアをみつめた。
「あい?」
《魔力って何のこと?》
レティシアは前世でみたアニメや映画を思い出した。
杖を振り、魔法を使う、とんがり帽子をかぶりマントを羽織った魔法使いの姿を──。
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