第1話
時は令和。
人間たちはこぞってAIを使い倒し、便利さと引き換えに想像力を失っていっているかのようだった。
そんな時代を危惧するわけでもなく、この物語の主人公である佐藤まゆりは今日も、のほほんと過ごしていた。
まゆりは現在、大学4年生である。
勉強は得意ではない。運動も得意ではない。
コミュニケーション力があるわけでもない。
しかし友達には恵まれていた。
彼女のまわりにはいつも笑顔が溢れていた。
─証言① 友人A─
「まゆり?めっちゃ好き!見てるだけで面白いんよ!」
─証言② 友人B─
「まゆりちゃんの近くにいると自分がすごく優秀なんだなって思えるんですよね。だからいつも近くにいます。」
─証言③ 幼馴染C─
「ほっとけないんです。何しでかすかわからないし…。これはもうアレですよ、母性です。」
─証言④ 後輩D─
「まゆり先輩は今一番推してる人です!とにかくかわいいんです!見た目も大福みたいでかわいいし、何よりも性格がいいんです!ピュアっていうか、本当に乙女って感じで。でも嫌味が一切ないんです!」
佐藤まゆりはみんなにこう呼ばれていた。
『ポンコツ乙女』と…。
─────
「私、このまま就職できなかったらどうしよう…。」
夕暮れ時の公園のベンチに座り、まゆりは大きなため息をついた。
遊具もほとんどない小さな公園には遊んでいる子どもたちもいない。
独り言を言ったとしても誰の耳にも届いていないだろう。
まゆりは就活が思うようにうまくいっていなかった。
シングルマザーの母は、「男なんて必要ない」と半ば洗脳のように何かあるたびにつぶやいていた。
そのせいなのかはわからないが、まゆりは男性に苦手意識がある。
嫌いなのではなく、うまくコミュニケーションが取れないのである。
そんなわけで、まゆりは22年間、誰ともつきあったことがない。
大福のようだと言われるようなフォルムのまゆりは小さいときからからかわれることも多く、「男子とは関わらない方がいい」ということを学んでいた。
だからといって恋愛に興味がなかったわけでもなく、何度か淡い恋心を抱いたこともあった。
しかしそれも成就することもなく、脳内で妄想するだけで満足していた。
自分を不幸だと思ったことはない。
自分のために一生懸命働いてくれている母親を尊敬していたし、いつも助けてくれる幼馴染や笑顔にしてくれる友人たちに囲まれて幸せだった。
しかし就職となると話は別だった。
高校や大学の入試は勉強が得意じゃないまゆりにとって大変なイベントではあったのだが、運が味方をしてくれてなんとか乗り切ってきた。
就職するということは運だけではどうにもならない。
一人で挑まなくてはいけない。
うまくやろうとすればするほど失敗をしてしまう。
まわりのみんなはどんどん内定を勝ち取り、さらなる高みを目指してがんばっている。
「ほんとにポンコツすぎるよなぁ。」
まゆりは今日もやらかしてしまった失敗を思い浮かべ、空を仰いだ。
気がついたらきれいな夕日は沈み、暗くなっていた。
もう一度大きなため息をつき、まゆりは立ち上がった。
母親に「これから帰る」とメッセージを送った。
すぐに「今日はカレー」と返信が来た。
まゆりはすぐに笑顔になり、就職のことなど忘れたかのようにスキップをして公園を出た。
駅から5分ほど歩いたあたりにこの公園がある。
さらに5分ほど歩くと母親と住んでいる小さなボロいアパートがある。
細く入り組んだ道路にも慣れているまゆりは軽快な足取りで家に向かっていた。
前方から車がこちらに向かってくる。
「スピード出しすぎじゃない?」
まゆりは思わず声に出していた。
電柱の横でまゆりは車を避けようと壁際に身を寄せた。
車はすごいスピードでこちらに向かってくる。
心もとないが街灯もあるし、運転手からは見えているだろう。
「ニャア〜」
まゆりの目の前を黒い塊がヨロヨロと通り過ぎた。
「あぶなっ!!」
まゆりは車のライトに照らされた黒い塊に向かって飛び出していた。
両手でそれをしっかりと掴んだ。
やった!と思ったその瞬間、まゆりは空を飛んだ。
『飛んでる』と、まるでスローモーションのように見たことのない角度で世界を見た。
両腕の中にいたのは、やせ細ってボロボロの黒猫だった。黄緑色のまんまるな目でまゆりの顔を見ていた。
黒猫の小さな心臓は激しく振動していた。
まゆりは『よかった』と安心して目を閉じた。
頭を強くぶつけたまゆりは即死だった。
─────
《死後の世界ってこんな感じなんだ》
まゆりは久しぶりに呼吸をしている自分に気がついた。
言葉を発しようとしてみたがうまく話せなかった。
首も動かない。目だけがキョロキョロと動いているようで、高い天井だけが見えた。
あの事故によって全身が麻痺したのだろうかとまゆりは考えた。
もしかしたら一命をとりとめて病院で治療中なのかもしれないとも思った。
それならいずれ看護師や医師が現れるだろう。
まゆりはおとなしく待つことにした。
《お腹空いたな》
まゆりは空腹を感じた。
もし病院で意識不明で治療中だとしたら栄養は点滴で入れているだろう。
誰かを呼ぼうとしても動くこともできない。
「ふぇ、ふぎゃあ〜」
突然部屋の中から赤ちゃんの泣き声のようなものが聞こえた。
《赤ちゃんがいるの?》
まゆりは自分にも気がついてほしくて叫んでみた。
しかし聞こえてくるのは赤ちゃんの泣き声だけだった。
ドアの開く音が聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。
「起きちゃったのね。お腹が空いたのかしら?」
まゆりの目の前に優しそうな女の人が現れた。
メイド服のような姿のその女性はまゆりに向かって両腕を伸ばした。
そしてまゆりを抱き上げた。
《抱き上げられた?》
温かな腕に抱かれ、まゆりは口にいい匂いのものを入れられた。
反射的に吸いついた。
そして理解した。
まゆりはその女性から母乳を与えられていた。
だんだんとお腹が満たされていくのを感じた。
それと同時に急な睡魔が襲ってきた。
まゆりはそのまま眠りについた。
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不快な感じがしてまゆりは目を覚ました。
さっきと同じように部屋の中には赤ちゃんの泣き声が響きわたっている。
自覚はなかったが、これはまゆり自身から発せられているものだと気がついた。
《私はどうやら赤ちゃんになったようだ》
あの時、死んでしまったから生まれ変わって第二の人生が始まったのだとまゆりは思った。
「おしめを替えましょうね。」
さっきの女性がまたやってきてまゆりを抱き上げた。
まゆりは冷静に今の状況を把握しようとした。
世話をしてくれるこの人はきっと母親だろうと推測した。
部屋は見える限りでは立派だからそこそこ裕福な家庭なんだろうと思った。
部屋の中は外国のホテルのようで、アンティークな家具が並んでいた。
母乳をくれるこの女性がメイド服のような衣装であることが少し引っかかった。
美人ではないが愛嬌のあるふっくらとした顔立ちで優しそうな女性だった。
「レティシア様は本当に愛らしいですね。」
まゆりはその女性に優しく撫でられているのを感じた。
自分の娘に様をつけて呼ぶはずはないとまゆりは気がついた。
この女性はおそらく母親ではない。
ドラマやアニメでしかその存在を知らないが、きっと乳母というものだろうと思った。
部屋の状況から見ても裕福な家庭の子供として生まれ変わったのだとまゆりは考えた。
《レティシア…変な名前…》
こうして、まゆりのレティシアとしての生活が始まるのであった。
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