第五話 ヴィエンの過去02
敵と相対し、ぼろぼろにされても逃げ延びるだけの方法と腕、そして経験は持っていた。
それがヴィエンという男だ。
「あれは楽しかったぜ。最初はあんまりにも正攻法で来るから、笑いそうになった」
瀕死の状態に近いだろうヴィエンが、起死回生のチャンスを逃すまいと狙い打つ。
そのときの彼の顔はきっと、相手をどう叩き潰すかと考えるのが楽しくて仕方がないという顔をしていただろう。
「足技を仕掛けた後に、地面の土を払って目つぶし、そこから背中をとって、最後は騎士団長が得意そうな剣技で仕留めてやった」
そうして膝をついた騎士団長に、ヴィエンは勝利した。
「騎士団長はそれで俺を手元に置きたくなったらしい。まぁ一種の入団テストみたいなもんだったんだろうな」
ヴィエンを騎士団長が引き取ると言うことは、アラリクの問題は解決済みとして処理をする必要がある。
彼を自身の養子に迎え、その過去は一部の人間――王家と騎士団上層部のみ――だけの秘密とされたそうだ。
「でも、騎士団長って貴族でしょ?」
「義父になった騎士団長はトリエン・バーゼルっていうんだけどさ。トリエンは一代男爵で、俺が養子になったところで、自動的に継ぐ爵位はない。それにトリエンは最愛の嫁さんに先立たれて、子どももいなかったんだ」
一代男爵は、その名の通り一代だけの爵位である。
ヴィエンの義父となったトリエン・バーゼルは、稀代の英雄とも呼ばれている騎士団長で、七年前まで続いていた、王国北側の隣国エイレーネとの戦争を終わらせた名将とも言われていた。
元は平民だったが、その名誉により男爵位を賜ったという。
「それで、ヴィエン・バーゼルなのね」
「ああ。最初は第二王都コンスータで特務隊の下っ端として働いてた。そうしていりゃ、もしかしたら逃げた奴の生死くらいは、知ることもできるかと思ったしな」
それが、ヴィエンの腕が良すぎたせいで、どんどんと出世していったらしい。
「取り締まる奴らの考えることなんて、手に取るようにわかるからな」
「それはそうよねぇ」
取り締まられる側だった人間だ。
それも王国に名を知らしめていた大盗賊団の。
そこいらのチンピラ程度、鼻歌を歌いながらでも捕えられるだろう。
「あんま目立ちたくなかったけど、まぁトリエンへの恩義もあるしな」
命を救ってくれた相手には、恩を尽くす。
それもまた、アラリクのルールだった。
「まぁ俺は強いからな。トントン拍子でコンスータ特務隊長になって、王都にいるトリエンが自分の下で動かせる隊を作るときに、特務隊全員を呼んだんだ」
「騎士団長にとっては、堂々とヴィエンを呼び寄せられるくらいに、さっさと出世してくれちゃったわけね」
「そ。コンスータは砦だからな。俺はあっちの方が気性にはあってたけど」
ヴィエンはそこまで言って、口を閉ざした。
「けど?」
ニケアは彼の顔を覗き込む。
今度はニケアの深緑の瞳に、ヴィエンの顔が映った。
「王都でニケアに会えたから。よかったよ」
少しだけ照れたような顔をして、ヴィエンは笑う。
無邪気な笑みを浮かべられて、ニケアはどうしていいのかわからなくなった。
思わず顔をそらせば、ヴィエンがエールを欲しがった。
「そういや、公開演武のときの薬、ケークウォークのやつらが大絶賛してたぜ」
二人分のエールを補充し、ニケアは苦笑いを浮かべながら再び座る。
「私が作ったってバレてなきゃいいけど」
「さすがにそれは黙っておいたよ。女一人で店をやってるから、護身用で持ち歩いてるって言ってた、ってな」
ヴィエンの言葉に、ニケアはほっとした笑みを浮かべた。
「あんたにしては、上手な嘘じゃない」
「俺は嘘が得意なんだ」
「よく言うわ。そういうのは私の担当だったでしょ」
口をつぐむことはできても、嘘を平然とつくことが苦手なヴィエンを、ニケアはよく近くで助けていた。
「今も薬、作ってたんだな」
「護身用にね」
笑いながら、ニケアはポケットからいくつかの包みを出す。
ニケアがアラリクで作った薬は、アラリク上層部で調法を共有し、活用していた。
「他のやつも作ってたけどさ。やっぱりニケアが直接作ったやつが、一番効果があった」
そんなことを言われれば、なんだか面映ゆくなる。
取り出した包みを指で遊びながら、ヴィエンをちらりと見た。
「分けてあげるわ。こっちがしびれるやつで、こっちが睡眠薬。それからこれが――」
意味ありげに笑うので、ヴィエンは本能的に背中を後ろに引く。
「男性が半永久的に元気なくなっちゃう薬」
「おい!」
「大事でしょ」
「それはそうだ」
つまり、万一危険な相手と二人きりになったときにそれを飲ませれば、相手が使いものにならず逃げられるということだ。
「便利に使ってちょうだい」
ニケアはそう言って立ち上がると、二人分の空になったエールの器を手にする。
「さ、泊まるの? 帰るの? 部屋は空いてるけど安くはないわよ」
「この時間に店から出るのは、ニケアにとっても良くないからな。泊まってく」
「じゃぁ三階の裏道沿いの部屋。王都が良く見えるわよ」
せっかくだから、王都のルートを上から見ておけ。
言外に告げた意図を正確に受け止めたヴィエンは、ニケアから鍵を預かると、宿屋への扉を抜けていった。
***
「あの笛の音は、間違いなくアラリクのものだ」
暗い部屋で、爪を噛みながらつぶやく男が一人。
「ヴィエン・バーゼル。あいつに味方がいたってことか」
男の目はギラギラと光り、手元のワインを一気に飲み干す。
「アラリクの生き残りが近くにいるならちょうどいい。あいつの弱みになるだろうよ」
ヴィエンの似顔絵を描いた紙に、いくつものナイフの痕を刻むと、男はにたりと笑みをこぼした。




