第四話 人気02
「ニケアちゃん、上、空いてる?」
上、とは料理屋の二階にある宿屋のことだ。
ニケアの店『ピステヴォ』は、一階が料理屋で二階と三階が宿屋、三階の一部が本人の住まいとなっている。
「空いてるけど……。泊めてくの?」
「支払いは、隊長がちゃんとするから」
「一番いい部屋が空いてるわよ」
さすがにそれはかわいそうだって、と笑いながらドルトはヴィエンをちらりと見た。
「ま、ここに放置しといて宿代だけ取ってよ。ぐっすり、って感じだし」
「――そうねぇ。とりあえず、ここ片付けるまでは放っておくわ。ドルトさん、明日早番って言ってたでしょ。帰って平気よ」
「サンキュ! 愛してるよ!」
「お安い愛を振りまきすぎ」
あちらこちらの女性に愛を囁きながら、ドルトはそれでも特定の誰かを恋人にすることはない。
彼はノポリス伯爵家の三男だというので、もしかしたら家のしがらみがあるのかもしれない。そうちらりと考えたこともあるが、どうでも良いことだった。
ニケアに手を振り、ドルトが店を出る。
それを見送ると、扉に鍵をかけてニケアはため息を吐いた。
「ちょっと。起きてるんでしょ」
「……いつ気付いた」
ゆっくりと頭を上げて、首を回しながらヴィエンは口を開く。
「最初からよ。あんた、酒で酔ったことなんてないじゃない」
ヴィエンはアラリクにいた小さなころから、北の大地で暖を取るためにと、アルコールを頻繁に摂取していた。そのおかげなのか、いわゆるうわばみと言えるほどの大酒飲みであった。
「俺だって酔ったことはあるさ」
「見たことないわよ」
「そりゃ、ニケアに出会う前だからな」
「それって十歳より下でしょ。ボスったら、呆れた」
「そういうニケアだって、入って早々に酒飲まされただろ」
寒い時には度数の強いアルコールで体を温める。
それが一番手っ取り早いと言って、アラリクのボスは五歳以上の子どもたちにまで酒を飲ませていた。
「今考えると、とんでもないけどね。でも、あの頃は薪のない日にはそうするしかなかったし」
「ああ。常識なんて、場所によって変わるからな」
その言葉にニケアは少しだけ苦い顔を浮かべて、厨房からエールを二つ出してくる。
「肴はなしよ。今日は完売しちゃったんだから」
「大繁盛だなぁ」
「ケークウォークさんのおかげです」
目だけで乾杯をすると、二人はそこから黙ってエールを飲む。
半分ほど一気に飲み干すと、ヴィエンは数度自身の腕を叩いてニケアを見た。
「遅くなったけど、あん時は助かった。ありがと」
彼の言う『あん時』とは、公開演武のことだろう。
ヴィエンは少しだけ目線をさまよわせた後、口を開く。
「その――笛、まだ持ってたんだな」
その言葉に、ニケアは今もシャツの下にかけている笛へと、無意識に手を伸ばしていた。
アラリクの頃、皆に配られていたこの笛は、連絡方法の大切な一つだった。
笛の音は高く鳥のように聞こえ、それでいて雑踏に紛れるように作られている。
アラリクの人間は音を聞き分ける訓練をしており、その鳴らし方によって、内容を判断していた。
「捨てられなくて」
小さくそう言ったニケアの頭を、ヴィエンはがしがしと撫でる。
「ちょっと! 私ももう十八なんだからね!」
「そんなのわかってる。俺が二十二なんだから、四つ下のお前は十八」
「全然わかってないじゃない。これが十八のレディにすること?!」
ぷくりと頬を膨らませるニケアに、ヴィエンは少しだけ動きを止め、そうして再び彼女の頭を同じように撫でた。
「俺しかできねぇだろ」
「なにそれ」
にかりと笑う彼に、ニケアは思わず脱力してしまう。
「でもまぁ確かに、他の人がやったら、そのまま脱臼させるくらいはするわね」
ポニーテールにまとめていた髪をぐちゃぐちゃにされたので、ニケアは髪を解き手櫛で整える。
「久しぶりに見る。ニケアが髪を下ろしてるとこ。なんか安心する」
「……ちょっと、恥ずかしいからじっと見ないでよ」
体をひねらせ、顔を反対に向けて、ニケアは慌てて髪を再びくくり直した。
「なんだ。下ろしてればいいのに」
「あんたが変なこと言うからでしょ」
「いつも、盗みから戻ってくると、お前髪を下ろしてただろ」
ヴィエンの言葉に、ニケアは当時を思い出す。
お宝を盗み出し、無事に隠れ家まで戻ると、まるで儀式のようにニケアは髪の毛を下ろしていた。
それは一つの儀式のようなもので、仕事が無事に終わったという自分への報告でもあったのだ。
「あれ、見てるだけで落ち着いたんだ」
気付けばヴィエンは再びテーブルに頬を落として、ニケアを見上げている。
「それで、今日は家に帰るの? 泊まるの?」
「聞かないんだ」
「聞いてるでしょ」
「そうじゃなくて。ドルトが言いかけてただろ」
「――家のこと」
ニケアが少しだけ声音を落として言えば、ヴィエンはうなずく。
「お前には、ちゃんと話しておかないとと思って」
その言葉に、ようやく彼が今日一人で残った理由が理解できた。




