第十六話 プロドスィア商会02
先ほどの執事と護衛が一人。
それに豪勢な服を着こんだ中年の男がいる。
執事が目を細めてニケアを見下ろしつつ、彼女の前に簡易な椅子を用意すると、中年の男はそこに座った。
白髪の多い髪と、顔のしわは、男の実際の年齢よりも老けて見せているように感じる。
シルクのシャツは、太ってはいないが肉のついた男の体型を、妙に強調していた。その上にベストとジュストコールを着こんだ男は、その椅子にどっかりと座ると、笑みを浮かべてニケアを見た。
(誰――? なんか見覚えが)
「目が覚めたか。お前が作っていた睡眠薬だから、よく効いただろう?」
その言葉に、目を見開く。
同時に、ニケアは目の前の男を思い出した。
アラリクの厨房で。
薬調合の部屋で。
そしてボスの横に、この男が立っていたのを。
「――カルケル。あんた生きてたのね」
「そりゃこっちのセリフさ。どうだ? 自分が考えた調合で、嵌められるのは」
「なにが目的よ」
カルケル。
アラリク時代に、ボスの下についていた男だ。
ボスにかわいがられていたことを利用し、ボスが一番大事にしている宝飾品を盗みだそうとして失敗した男。
ヴィエンが制裁を加えることになったことだけは知っている。
そこまで思い出し、ニケアは息をのんだ。
「まさか、ヴィエン?」
「そのとおりさ。俺はヴィエンを恨んでいてね」
「あんたが粛清されたのは、あんたのせいでしょ」
「俺のせい? そうじゃない。あのときの、俺の腕のせいさ」
そうしてカルケルはニケアの頬へと手を伸ばす。
彼女の頬の輪郭をゆっくりと撫で、にまりと笑った。
「お前は、あいつをおびき出すためのエサだ」
カルケルは立ち上がると、ニケアの髪の毛をぐいと引っ張り顔を上に向けさせる。
ぎり、と睨みつけるニケアを見て、カルケルは楽しそうに笑う。
「いいね。お前も結局アラリクでしかない。そういう顔をしてる」
ぱ、と髪を離すと勢いで首が一気に下がった。
カルケルは再び椅子に座ると、護衛を呼びつける。
二メートルはあるのではないかと思えるような大きな男が、カルケルのすぐ後ろに立った。
「ヴィエンの前で、こいつにお前を汚させようか」
その下品な考えに、ニケアは眉をしかめた。それがカルケルを余計に楽しませるとは思いもしない。
「お前の首に手を掛けながら、するのもいいな。ヴィエンは手も足も出ずに、大切な女が目の前で汚されるのを見せられるんだ。あいつは発狂するかもなぁ」
自分の計画をうっとりと話すカルケルに気付かれないよう、ニケアはワンピースの下に着ている長袖のシュミーズの袖口に、中指を必死に伸ばして触れた。
袖口をつつつと指先で辿れば、一か所だけ引っ掛かる場所がある。そこから、細い金属を引き出した。
そうして、柱の後ろに回された自分の手首の縄に、細い金属を差し込む。
(少し、時間はかかりそうだけど)
その金属を上下に動かし、ゆっくりと縄を削っていく。
カルケルが指示して縛ったのであれば、確かにいつものような縄抜けができなくても当然だった。
(こいつは、アラリクのやり方をよく知ってる)
縄を切ろうとしていることがばれないよう、カルケルに話しかけて、気を引かなければなるまい。
「アラリクの粛清で、生き延びたやつはいないはずよ」
「俺以外はな。ほぼ死んだような状態で、俺は目の前の谷に自分から落ちたのさ。一千万分の一でもいいから、生き延びてやろうと思ってな」
カルケルは腰に下げている剣を、鞘の上から撫でた。
「瀕死の状態で谷に落ちた俺が、泥水を啜って生き延び、ここまで大商会を起こしたんだ。あとはヴィエンを苦しめて苦しめて殺せば、それで満足さ」
「あんたの商会は大成功してんじゃない。ここでヴィエンに手を出したら、それも全部おじゃんでしょ」
ニケアの言葉に、カルケルは鼻で笑う。
「俺は貴族になったんだ。平民どもを殺したくらい、大した問題ではない」
「貴族になった? あんたが?」
「ああそうさ。俺が落ちた谷の先は、エイレーネだった。隣国で傷を治し、這いつくばって生き残って金をため、没落貴族の女と結婚したのさ」
カルケルは肉のついた指にはまるシグネチャーリングを、ニケアに見せつけた。
そこにはウェスミン男爵家の家紋が彫られている。
「俺は貴族になったんだよ。もうお前らのような、下賤な人間とは違う」
「奥さんは、あんたの過去を知ってんの?」
「そんなわけあるか。商会長として会って、金で爵位を手に入れた。女は生憎、俺と結婚してから病気になって、隣国に家族ともども暮らしているさ」
つまり妻に毒を盛ったか何かをしたということだろう。
貴族位の簒奪と、直系貴族への毒。
これが表沙汰になれば、カルケルは処刑されてもおかしくない。
(カルケルがこの話をするってことは、私を生きて戻すつもりはないのね)
ニケアの脳内には、カルケルの話からいくつかの単語が浮かぶ。
(エイレーネ、執事服の男、貴族の世話、そしてヴィエンを害する……)
「ケークウォークの公開演武を邪魔しようとしたのも、あんた?」
あの日捕えられたマルキアが自白した内容を思い出す。
彼が口にしていた単語と、カルケルの話す内容は符丁が合いすぎる。
「そういえば、あの日笛を吹いて邪魔してくれたのは、ニケアだったな」
カルケルの瞳に野卑な光が灯った。
すらりと剣を抜くと、その切っ先をニケアの目の前に向ける。
「あいつが来る前に、ちょっとくらい痛めつけておいてもいいか」
(まだ縄は切れてない。足は動くけど、今下手に使えば、下手したら足を斬られる)
せわしなく動く脳内とは裏腹に、ニケアは真っ直ぐにカルケルの顔を見据えた。
「――はっ。さすがアラリクの参謀の一人だな。もう少し怯えればかわいいものを」
カルケルがつまらなさそうに剣を鞘に入れ直した。
そのとき。
「ニケア!」
明り取りの窓が勢いよく割られる。
室内にガラスの破片が落ち、それと同時に待ち望んでいた男の声が響いたのだった。




