第十五話 ありがた迷惑な繁盛02
ヴィエンはエールを一気にあおると、ニケアにグラスを差し出す。
「お代わり頼む」
「まいど!」
カウンターに戻り、エールを注ぎながら店内を見回す。
これから先、お忍びの客が来たらどうするか。
シースマのような者がいないとも限らない。絡む相手が自分であればまだしも、他の平民の客に何かを言い出したら、面倒だ。
(とりあえず、ケークウォークの指定席みたいになってる奥の席に、お貴族様を座らせておこう)
お忍びの彼らと、下町の客の間にケークウォークを配置すれば、互いに妙な気を遣わないでも済む。トラブルの回避にもなるだろう。
(皆には申し訳ないけど)
利用するようで心が少しだけ痛むが、その分料理をサービスすることにした。
(ほんと他のお客さんが、気を使っちゃうからさぁ)
とはいえ、市井の味を貴族が楽しみたいという気持ちはわからなくもない。
豪華な食事ばかり食べていたら、違った味付けのものを食べたくなるのは人間として自然だろう。
それが、ケークウォーク隊長の行きつけとなれば、その味の信頼も上がる。
(その隊長の味覚は、私が育てたようなもんだけど)
信じているものが、想像と違う実態を伴うのは、よくあることだ。
「でも、いつまでもこれが続くと、ちょっとキツいなぁ」
朝の仕込みを終えて、黒板のメニューを書き換えると思わず溜め息が零れてしまう。
毎日やってくる貴族は、高級レストランと同じ感覚でゆっくりと過ごしたがる。
その分客の回転が悪くなり、満席で断る日も出てきていた。
そもそも貴族が来ると、平民が気まずくなる。
さらに、おそらく貴族はそう遠くないうちに飽きて来なくなるだろう。
そうなったときに、平民の客離れだけが残る事態は避けたい。
さてこれからどうやって、店を運営するか。
そう考えていると、折よく手紙が届いた。
「プロドスィア商会? あの髪飾りの店じゃない!」
クレルモン侯爵夫人からもらった髪飾り。あれはプロドスィア商会が、隣国から取り寄せた商品だと言っていた。
貴族相手の品を主に扱っているため、ニケアは入ったことがないが、先日のドレスショップがある地区に店を構えている。
そんな商会から手紙をもらう義理など、なにもない。
(クレルモン侯爵夫人の紹介? それなら一言こっちにも連絡はあるか)
「なにかしらね」
手元の小さなナイフを封筒の端に差し込めば、ジジッと小さな音を立てて、厚手の封筒が開いた。
中からは几帳面な文字で、ニケアの店を知った経緯――当然あの夜会だが――と、貴族への仕出しサービスをしたいから、相談ができないかという文言が書かれていた。
「仕出しサービス! その手があったわね!」
貴族はニケアの店の味が気になる。
当然、平民に紛れて食事をする体験というものをしたい者もいるだろう。
だがそれは、男性であれば可能だが貴族令嬢や夫人には難しい。
(確かに、この間の侯爵夫人のパーティみたいなのも、仕出しがあれば私の調理で届けられるわね)
実はあのパーティのメニューの再現は、思いのほか大変だったのだ。
料理長の腕が繊細すぎ、そして扱っている食材や調味料が高級すぎて、味のバランスがとれないでいた。何度も打ち合わせをしたのは、それなりに手間であり、労力を使った。
そんな背景は当然知る由もないだろうが、プロドスィア商会は顧客の元にニケアの店の料理を、仕出しという形で届けるサービスの仲介を提案してきたのだ。
「これは悪くないわ。うまくすれば、新しい収入源にもなるし」
それに、プロドスィア商会が仲介に入るのであれば、貴族の相手はそちらがしてくれるのだろう。
そのためにマージンを取られたとしても、仕出し料金をそれなりに設定すれば、十分に利益は得られる。
打ち合わせは本日を含めた三日間の午後であれば、会長が店にいるからいつでも良いという。
「今日から良いなら……善は急げってやつね」
すでに午前中のうちに終わらせた仕込みを見て、ニケアは立ち上がった。
「さすがに……お貴族様相手の店にこの格好は駄目かも」
清潔だが着古されたシャツに、汚れが目立たない濃い灰色のパンツ。
初回は裏口ではなく、表口から入ることになるだろうから、着替えた方が良いだろう。
「ヴィエンにもらったワンピースで行こう」
侯爵夫人には普段着だと思われたが、それでもニケアの持っている中では一番特別な服だ。
深緑色のワンピースはVネックの襟元の下から小さな貝のボタンがついている。体の線が出ないよう、下に薄い長袖のシュミーズを着こみ、ボタンを丁寧に留めていった。裾に入る金茶の刺繍を、そっと指先でなぞる。
「やっぱりこれ……ヴィエンの髪色みたい」
思わず漏れた言葉に、ニケアは思わず笑いをこぼす。
見ないように、認めないようにしていた気持ちも、いい加減目を背けることはできなくなってきた。
「手に入れなければ、失うことはないと思ったんだけどなぁ」
自覚してしまった恋心は、簡単に手放すことはできない。
「手に入れるとか入れないとか、その前に……ちょっとしんどいね」
それでも、手に入れなければこれまでと同じように、何かの任務で頼られることはあるかもしれない。
「ヴィエンの馬鹿……。なんで任務とはいえ、愛する人だなんて言っちゃうのよ」
夜会を終えて随分経つ。あの日以来、ニケアの脳内には彼のあの言葉が染み込んできていた。
当日は任務を果たすためという気持ちばかりが先立っていたが、ヴィエンにかなりの甘い表情を向けられていたことを思い出し、恥ずかしくなる。
そして同時に、それがあくまでも任務だと思うと、切なくもなるのだ。
「――私には店があるから。うん、とりあえずはできることを頑張ろう」
ワンピースの裾を翻し、店を出る。
太陽の光に、金茶の刺繍がにぶく反射した。




