第十三話 夜会02
もう一回転させると、ヴィエンはニケアをゆっくりと降ろす。
ちょうど、ワルツが一曲終わった。
***
ダンスを終えて、壁際に向かう。
一曲踊る間に、ピンヒールの重心の掛け方にもすっかり慣れた。
(ヴィエンてば、それが狙いだったのね)
確かに歩くだけよりも、体全体を動かしながら荷重の調整をする方が早い。
さすがはヴィエン、などとニケアが思っているとは、彼は思いもしないのだが。
「あ、ねぇ。ちょっとお花を摘みに……」
「おう。この辺で待ってるから、気を付けていって来いよ――一人で平気か?」
「靴にも慣れたから、何かあっても大丈夫」
「ま、何もないだろうけどな」
侯爵家の夜会ともなれば、数多くの警備も配置されている。
一人で歩く女性を休憩室に無理やり連れ込む貴族がいたとしても、大声で叫びピンヒールで蹴っ飛ばせばどうにかなるだろう。
「ちゃちゃっと済ませてくるわ」
「お前なぁ」
(さすがにこの格好で、その言い方はなかったわね)
オホホ、とドレスのポケットに入れていた扇子を引き出して口元に当てると、ヴィエンも同じように貴族らしい笑みを浮かべて返してきた。
(ドレスってポケットもあるのねぇ)
今回ドレスショップで試着して、初めて知ったことだった。
(でも考えたら、ダンスするときにはカバンとかも邪魔だし、扇子やハンカチをしまう場所は必要だわ)
ドレープで見えない位置にうまく作られたポケットには、扇子の他に、装飾過多の非実用的なハンカチと、小さな裁縫セットが入っている。中には痺れ薬を塗った針がしまってあった。
(どんな任務かわからないから、準備は最小限だったんだよねぇ)
使わないで済めば良いが、と思いながら仕込んだそれは、万一他人に見られたとしてもただの裁縫セットにしか見えない。
トイレでの用を済ませてホールに戻ると、先ほどと変わらない場所にヴィエンが立っている。
だが、どうやら状況は先ほどとは違うようだ。
彼と相対しているのは、あのときレストランでヴィエンがエスコートしていた貴族令嬢。
(エフェソ伯爵家のご令嬢よね)
少し遠めでもわかる、ふわふわとした美しい金髪。
美しい碧眼に、華奢な体。
それでいて、胸元はなかなかのボリュームだ。
ニケアは思わず自分の胸元へ目を落とし、小さくため息を吐いた。
(政略結婚は断ったって言ってたけど)
とはいえ、二人の間に割って入って良いのかがわからない。
会話が聞こえる距離にそろりと近付き、人混みの中に紛れ込む。
(気配を消すのは得意だからね)
「ですから、どうして私との婚約をお断りに?」
「理由をお話しする必要がありますでしょうか。義父を通じ、エフェソ伯爵家へ正式に連絡しているが」
どうやら、政略結婚の件で揉めているようだ。
(へぇ。ヴィエンってお貴族様相手には、あんな話し方するんだ)
初めて聞いた彼の声音に、ニケアは驚く。
他人事のような口調に、声音。
それでいて相手につけ入らせない毅然とした目線。
「そんなことを言って! 本当は私のことを愛しているのでしょう」
「どうしてそうした発言になるのか理解に苦しみますが、あなたに特別な感情は一切ありません」
令嬢はその言葉に、手にしていた扇子を強く握りこむ。
(あーあ。そんなこと言っちゃったら、令嬢のプライド傷つけちゃうでしょ)
「そう……。そういえば、ヴィエン様は、贔屓にしている店があるとか?」
彼女の言葉に、ヴィエンの眉が幽かに動いた。
「ふふ。そのお店に不名誉な噂――そうね、たとえば食べたもので体調を崩したとか、味がおかしいとか……そんな風なことが広まったら、困りませんこと?」
明らかな脅しだ。
そんな噂を流されたら、確かに困る。
困るが、それを理由にヴィエンが不当な結婚を迫られるのも、気に入らなかった。
ヴィエンの右手が軽く握り開きするのが見える。
(あれは、ヴィエンが仲間を守ろうとするときの癖……)
彼が自分の店を守るためにどうするのがいいのか、葛藤しているのに気付く。
そうであれば、ニケアは自分がすべきことが何かなど、息をするよりも簡単に理解できた。
「あら、私の店の話をされています?」
ニケアは足早に二人の元へと移動すると、貴族女性の武器だと言われている扇子をはらりと開く。
(貴族の作法はよく知らないけど、売られた喧嘩は買うわよ)
ヴィエンを脅してはいるが、ネタは自分の店だ。
それはつまり、自分に売られた喧嘩ともいえるだろう。
「あなた……!」
突然現れたニケアに令嬢は驚くが、頭のてっぺんから足先まで値踏みするように見た後、忌々しいものを見る瞳を浮かべた。
「ずいぶんと、ヴィエン様の色を纏っているようですけど、どなた?」
「ちょうど話題に出ておりました、ヴィエンが懇意にしている店の店主ですわ」
お前などに名乗るつもりはない。
貴族社会であれば絶対に許されないであろうことではあるが、ここは売られた喧嘩の場なのだ。
しっかりと衆人環視の元に叩き潰しておかなければ、あとから危害を加えられるのは平民の自分になる。
(貴族は面子の生き物だっていうけど、それはこっちだって同じよ)
生きるためにはなんでもした。
悪いといわれることだって山ほどしてきた。
それでも、譲れない矜持というものは当然ある。
(こういうときは、主催者であるクレルモン侯爵を味方に付けるのが一番早い)
ニケアは周囲をそうとは知られないように見回す。
その動きに、ヴィエンも反応した。
「エフェソ伯爵令嬢。彼女が私の愛する人だ」
「なっ」
(ちょっと! 懇意の店って流れなのに、愛する人は誇大広告じゃない?!)
とはいえ、この状況で否定するのもおかしい。
ヴィエンはニケアの腰を引き寄せて、貴族然とした笑みを浮かべる。
「あなたがヴィエン様を惑わすせいで、彼は貴族と婚約できないでいるわ」
ヴィエンに言っても無駄だと思ったのだろう。
令嬢はニケアに離れるように告げる。
(さすが演武で人気になったヴィエンね。周囲の人が皆見てるじゃない)
ニケアはヴィエンの目線を追う。その先にクレルモン侯爵夫妻が見えた。
ヴィエンの中指が、わずかにニケアの手の甲に触れる。
(ヴィエンが、動く)
わずかな合図は、当然周囲は気付かない。
彼の「好きに動け」という合図。それに彼の目線の先にいる侯爵夫妻。
ニケアは扇子を傾けて、しっかりと伯爵令嬢を見た。




