第八話 ヴィエンと政略結婚
その日はヴィエンが巡回の日らしく、ドルトと四人の隊員がニケアの店に来ていた。
彼らの会話が不意に耳に入る。
「ああ、エフェソ伯爵令嬢のネストリ嬢だろ」
「ふわっふわの金髪の、たれ目美女な」
「なんでも、馬車の暴走で危ない目にあいそうなところを、隊長が助けたんだってよ」
ドルトのその一言に、他のメンバーが「ああ~」と声をそろえる。
(馬車の暴走……って、もしかしてこの間の)
ほんの数日前に、ヴィエンと出かけたときのことを思い出す。
「そりゃ惚れるわ」
「絶対かっこいいもんな」
「ネストリ嬢が、隊長と結婚したいと言い張ってるらしいぜ」
「一目ぼれってやつかぁ」
何でもない風を装いながら、ニケアはエールのお代わりを持っていく。
ドルトがちらりとニケアを見た。
「ニケアちゃん、どうする?」
「どうする、って何をでしょう」
突然話をこちらに振られても、聞いていませんでしたがという顔で返せば、ドルトは苦笑いを浮かべた。
「ヴィエンは身分としては正式な貴族じゃない。でも、あの英雄が認めた養子だ。入り婿に欲しがる貴族はある程度いる」
「ヴィエンが結婚してもしなくても、私には関係ないでしょ」
騎士団長の養子を婿取りすることで、その貴族は王都の指揮系統を統べる男と縁づくことができる。
さらに言えば、ヴィエンも次の騎士団長として有力候補でもあるのだ。
ドルトの言うことは、ニケアにも十二分に理解ができた。
「いいの? ほんとに」
「いいのも何も、私は何もできないしね」
うっかりそう言った後に、ニケアは少しだけ口を引き結び、ドルトを見る。
ドルトはにんまりと笑みを浮かべていた。
「やっぱり、気にはなってるんだ」
「そりゃ……常連さんですから。お貴族様と結婚したら、さすがにここには来なくなって、お客さんが一人減るでしょ。だから」
「はいはい。そういうことにしときましょっか」
にやにやと笑うドルトに、ニケアはこれ以上会話をしないように、厨房へと戻っていく。
そのあと、ドルトと仲間たちが何かをひそひそと話していたことなど、知らないまま。
***
ニケアがヴィエンの婚約について耳にしてから三日。
その間、ヴィエンは店に来なかった。
(こんなに来ないことなかったのになぁ)
シチューの仕込みをしながら、思わずそんなことを考えてしまう。
(いやいや、仕事が忙しいのかもしれないし)
その割には、ケークウォークの隊員は日替わりで誰か彼かがやってくる。
副隊長であるドルトもいるので、ヴィエンだけが大忙しということもないだろう。
(忙しいなら、副隊長も忙しくなるはずだし)
そうなると、考えられるのはこの間聞きかじった政略結婚の件だ。
(お貴族様の政略結婚の手順はよくわからないけど、とりあえず高価な宝石やお金のやり取りを事前にすることはわかるわ)
そうしたやりとりの際には、常よりも警備の手が薄くなる。
そこを狙って盗みを働いたこともあった。
(そうじゃない。昔の手口を思い出してる場合じゃないのよ――なんの場合?)
ぐるぐると鍋を必要以上に攪拌している自分に気付く。
(いけない! お芋が粉々になっちゃう)
慌てて手を休め、カウンターの先にある窓をぼんやりと見つめた。
大通りに面しているこの店からは、外の様子が良く見える。
この地域は馬車といっても簡素なものが多く、多くの人は歩いて移動していた。
その中で馬で移動するのは騎士たちで、巡回中のヴィエンたちも同じように馬に乗っている。
仕事の後にこの店に来るときには、当然歩いてくるのだが。
「……ん?」
通りの先に小さく見えた人影に、目が引っ掛かった。
「あれ、ヴィエンよね」
彼が乗馬するときの体勢はずっと見てきたから、見間違うはずもない。
少しだけ重心が左に傾いているのだ。何かあればすぐに剣を抜いて右足の鐙に重心を移し、そのまま戦う。
「でもなんかいつもと格好が違うような……」
なんだかモヤモヤとする気持ちをそのままにしているのも、気分が悪い。
ニケアはだいぶ煮込まれているシチューの火を止めると、店を飛び出した。
『準備中』と書かれた看板が揺れる。
店の鍵を手のひらに握りしめ、ヴィエンが馬で通っていた場所までの最短ルートを走った。
ニケアは女性の中では、足が速い。
それはアラリクで過ごす中で、訓練されたものだった。
音もなく、人目に付きにくいように走る。
そうしてさして時間をかけないうちに、ヴィエンがいた場所に到着した。
(もういないのは当然だけど)
どちらの方向へ向かったのかと、周囲を見回しながら、歩を進める。
店から離れたこの場所は、この間ヴィエンと一緒に行った地区よりもさらに格式の高い地域。
高級なレストランやドレスショップも立ち並び、ニケアが入ったことのある今までの店とは明らかに格式が違っている。
「……あれ、ヴィエンじゃない?」
ヴィエンの馬の横に、高級な馬車が揺れた。
(馬車の紋章は見覚えがあるわ)
盗賊団のときに、貴族の紋章は覚え込まされた。
(あれは、エフェソ伯爵家の紋)
つい先ごろ聞いた、ヴィエンへの政略結婚の申し出をしているという家門だ。
(そういえば、この間の暴走馬車にも同じ紋章が入ってたわね)
その馬車がレストランへと入ると、馬から降りたヴィエンが馬車から降りてくる女性をエスコートする。
今日のヴィエンは、ケークウォークの隊服ではなく、美しい貴族のような恰好。
おまけに前髪をしっかりと上げて、髪をきっちりと縛っている。
それはつまり、これが任務ではないということを示していた。
彼の白い手袋の上には、同じように白く細やかなレースで作られた、ほっそりとした手が乗る。
そのまま、折れてしまいそうな足首が見え、ふわふわの金髪に美しい碧眼の女性が降りてきた。
ヴィエンは彼女の手を取ると、そのままレストランの中に消えていく。
(――なんだ)
ニケアは自分の手を見る。
毎日料理をして、宿の掃除をして、水仕事をしている手は、カサカサで傷跡も多い。
手のひらはしわしわしていて、手筋が深く彫り込まれていた。
(あんなきれいな女性が結婚相手なら、そりゃ乗り気にもなるよね)
自分が見たこともない服で、見たこともない顔で笑みを浮かべていたヴィエン。
まるで生まれた時から、貴族のような見目だった。
(あの人と結婚したら、ヴィエンは正真正銘の貴族になっちゃうのかな)
伯爵家の令嬢が、そのまま無爵位の者へ嫁ぐことはないだろう。
婿入りになるのか、それとも伯爵家のもつ従属爵位を得るのか、はたまた授爵するのかはわからないが、ニケアとはいよいよ住む世界が異なることになる。
(再会できただけでも、もうけもんだったってわけだしね)
見つめていた手のひらを握った。
ヴィエンは常連客であり、それ以上でもそれ以下でもない。
(これは、そう――常連客が一人いなくなるかもっていう、そんな)
ニケアはどこか重い体を連れて、店へ戻ると公開演武のときに作ったプリンを、無心で作り続けていた。




