第38話「届かなかった言葉」
九月。
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朝の空気が少し冷たくなっていた。
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施設の中では、
季節はゆっくりしか動かない。
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それでも、
変化は確実に来る。
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相沢は最近、
夜になると昔のことを考える時間が増えていた。
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特に、
“言えなかった言葉”。
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事故の夜。
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健に対して。
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家族に対して。
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自分自身に対して。
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もしあの時、
ちゃんと止めていたら。
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もし、
空気を壊してでも怒鳴っていたら。
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もし、
嫌われることを恐れなかったら。
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その“もし”だけが、
何度も頭を巡る。
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午前作業。
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相沢は手を動かしながら、
ぼんやりと健の顔を思い出していた。
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事故の直前まで、
健は笑っていた。
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本当に、
ただのいつもの夜だった。
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誰も、
人生が終わる空気なんて感じていなかった。
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隣の長期刑の男が言う。
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「考えてる顔してるな」
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相沢は少し遅れて反応する。
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「……昔のことを」
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男は小さく頷く。
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「止まるよな」
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「人間って、後悔した場所で」
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その言葉に、
相沢は返事ができなかった。
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自分だけ、
まだあの交差点にいる気がする。
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身体はここにある。
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だが、
心だけが事故の夜から進めていない。
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昼休み。
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テレビでは、
学生のインタビューが流れていた。
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文化祭。
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進路。
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恋愛。
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未来の話ばかりだった。
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相沢はそれを見ながら思う。
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未来とは、
“自分はまだ続いていく”と信じている人間だけが自然に話せるものなのかもしれない。
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午後。
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作業場の窓から、
曇った空が見えた。
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秋の空。
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高くて、
少し寂しい色。
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相沢はふと、
事故当日に最後まで言えなかった言葉を思い出す。
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「今日はやめよう」
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たったそれだけ。
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短い言葉。
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だが、
その一言が出なかった。
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空気を壊すのが怖かった。
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場を冷やすのが嫌だった。
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嫌われたくなかった。
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その結果、
全部壊れた。
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夕方。
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房。
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相沢は壁を見つめながら思う。
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人は、
言った言葉より、
“言えなかった言葉”に縛られる。
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特にそれが、
人生を変える一言だった時は。
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夜。
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消灯。
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静かな暗闇。
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遠くで風の音がする。
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夏の音ではない。
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季節が変わっている。
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相沢はゆっくり目を閉じる。
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もし時間が戻っても、
自分は本当に言えただろうか。
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その答えを、
相沢はまだ見つけられずにいた。




