第35話「夏祭りの音」
八月。
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施設の空気がさらに重くなる季節だった。
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暑さ。
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湿気。
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眠りの浅さ。
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全員の疲労が少しずつ蓄積していく。
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扇風機の風は弱い。
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夜になっても熱気が残る。
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相沢は最近、
眠りが浅かった。
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夢を見る。
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だが内容は覚えていない。
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ただ、
起きたあとに強い疲労だけが残る。
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夕方。
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房へ戻る途中だった。
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遠くから、
何かの音が聞こえた。
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太鼓。
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笛。
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微かだが、
確かに聞こえる。
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相沢は足を止める。
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夏祭りだった。
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施設の外。
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どこか近くの地域で、
祭りをやっているらしい。
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音は遠い。
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だが、
それが逆に現実感を持っていた。
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外では今、
屋台が並び、
子供が走り回り、
浴衣姿の人間が歩いている。
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そんな夜が存在している。
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相沢は窓の見えない廊下で、
その音だけを聞いていた。
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隣を歩いていた受刑者が小さく笑う。
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「夏だな」
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誰に言うでもない声。
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別の男が言う。
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「ここにいると、祭りって別世界だな」
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その言葉に、
誰も返事をしなかった。
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房。
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消灯前。
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外の祭りの音が、
まだ少しだけ聞こえていた。
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相沢は布団に座る。
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思い出す。
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昔、
妹と行った祭り。
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綿菓子。
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金魚すくい。
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母親が暑そうに笑っていた。
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父親は少し離れた場所で煙草を吸っていた。
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どこにでもある夏だった。
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その記憶が、
今は異常に遠い。
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相沢は思う。
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人は自由を失うと、
景色だけではなく、
“音の意味”も変わる。
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祭りの音は、
本来なら楽しいものだった。
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だが今は、
“自分がいない世界の音”に聞こえる。
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外では、
人々が笑っている。
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恋人たちが歩いている。
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家族が写真を撮っている。
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そして誰も、
ここにいる相沢を知らない。
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その現実が、
太鼓の音に合わせて胸へ響く。
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夜。
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消灯。
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暗闇。
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祭りの音は少しずつ遠ざかっていく。
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最後に、
花火のような音が小さく響いた。
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相沢は目を閉じる。
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夏祭りは、
季節を感じる行事ではない。
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“自分が誰かと同じ時間を生きている確認”だったのかもしれない。
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そして今、
その時間の輪の外側に、
自分は静かに立っているのだった。




