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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第34話「帰る場所の形」

面会から数日。



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相沢の中に、


妙な疲労感だけが残っていた。



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身体ではない。



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頭でもない。



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“戻れないものを見た疲れ”。



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母親は優しかった。



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だからこそ苦しかった。



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もし責められていたら、


まだ整理できたかもしれない。



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だが実際は違う。



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母親は、


以前と同じように接しようとしていた。



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その“変わらなさ”が、


逆に今の距離を際立たせる。



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午前作業。



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相沢はぼんやりと手を動かしていた。



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長期刑の男が小さく言う。



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「面会、来たんだってな」



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相沢は頷く。



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男は作業を続けながら聞く。



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「母親か」



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「……はい」



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男は少しだけ黙る。



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そして、


ぽつりと言った。



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「母親って、最後まで待つんだよな」



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相沢は手を止める。



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男は続ける。



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「家族の中で、一番“帰る場所”を残そうとする」



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その言葉が胸に残る。



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帰る場所。



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相沢は最近、


その言葉を考えないようにしていた。



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家は存在している。



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だが、


もう以前の“家”ではない。



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自分が帰れば、


そこには事故の記憶も戻る。



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近所の視線。



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親の疲労。



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妹の沈黙。



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全部が同じ空間にある。



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昼休み。



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テレビでは旅行特集が流れていた。



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夏休み。



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家族連れ。



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海辺。



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笑い声。



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相沢は画面を見ながら、


自分の家族を思い出す。



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昔、


夏に出かけた記憶。



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父親の運転。



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母親の弁当。



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妹の笑い声。



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どこにでもある休日だった。



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だが、


その“どこにでもある日”は、


失ってから異常に重くなる。



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午後。



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作業中、


相沢はふと考える。



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もし今出所したとして、


自分は本当に家へ帰れるのだろうか。



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住所としてではない。



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“居場所として”。



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玄関を開け、


食卓に座り、


普通に会話する。



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そんな未来を、


自分は想像できなくなっていた。



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夕方。



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房へ戻る。



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薄暗い空気。



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静かな時間。



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相沢は壁にもたれる。



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母親の言葉を思い出す。



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「家は変わってないから」



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あれは、


嘘ではない。



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たぶん本当に、


家具の位置も、


部屋も、


生活も、


表面上は変わっていない。



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でも、


“そこにいる人間”が変わってしまった。



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だからもう、


同じ場所には戻れない。



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夜。



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消灯。



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暗闇。



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遠くで誰かが寝返りを打つ音がする。



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相沢は静かに目を閉じる。



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帰る場所とは、


建物ではない。



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“自分がいても空気が壊れない場所”のことなのかもしれなかった。

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