第9話「帰る場所より、離れられない場所」
朝の空気は、酔った身体に妙に刺さる。
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冷たいはずなのに、頭の奥は熱い。
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相沢は歩きながら何度も目を擦る。
視界の輪郭がぼやける。
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「どっか座りてぇな」
翔が欠伸混じりに言う。
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「ファミレス空いてるだろ」
健がスマホを見ながら答える。
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「まだ行くのかよ……」
相沢は小さく漏らす。
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その声に、隆が笑う。
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「ここで帰ったら逆に中途半端だろ」
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中途半端。
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その言葉に、相沢は何も返せない。
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確かに今さら帰っても、寝る時間はほとんどない。
シャワーを浴びて、そのまま会社に行くだけになる。
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だったら。
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“少しくらい同じか”
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その考えが危険だと、頭では分かっている。
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でも疲れ切った脳は、楽な方へ流れていく。
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ファミレスの中は、妙に静かだった。
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朝帰りの若者。
夜勤明けの作業員。
始発待ちを諦めた人間。
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いろんな“終わり損ねた人間”がいた。
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店員に案内され、窓際の席へ座る。
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「朝飯どうする?」
健がメニューを開く。
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「俺もう無理……」
翔がテーブルに突っ伏す。
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隆はまだ元気そうに笑っている。
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「相沢、生きてるか?」
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「……ギリ」
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笑いが起きる。
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その輪の中にいながら、相沢だけ少し離れた感覚があった。
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窓の外を見る。
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通学する学生。
犬を散歩する老人。
仕事へ向かう車。
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“普通の朝”だった。
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その光景を見た瞬間、急に胸の奥が重くなる。
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自分は何をしているんだろう。
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35歳。
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実家暮らし。
資格も取れていない。
酒。
博打。
毎週同じ店。
毎週同じ会話。
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未来が動いていない。
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会社では後輩たちがどんどん先へ進んでいく。
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結婚。
家。
昇進。
資格。
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それなのに自分は、
まだ高校の延長みたいな場所で朝を迎えている。
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「相沢?」
直樹の声。
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「なんか静かじゃね?」
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相沢は視線を戻す。
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「いや……ちょっと疲れただけ」
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「年だな」
健が笑う。
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「35だぞもう」
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また笑い声。
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でもその“35”という数字だけが、妙に耳に残る。
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若くない。
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本当はもう、こういう生活を続ける年齢じゃない。
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分かっている。
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なのに。
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離れられない。
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このメンバーと切れたら、自分には何も残らない気がする。
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新しい友達もいない。
趣味もない。
恋人もいない。
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気づけば人生の中心が、
“いつもの席”だけになっていた。
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「今日競艇どうする?」
健が言う。
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「昼から行けるだろ」
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「その前に少し寝るか?」
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“また来週”じゃない。
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“また今日”。
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その感覚に、相沢は急に息苦しくなる。
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終わりがない。
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このまま、
ずっと同じ朝を繰り返す気がした。
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スマホが震える。
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会社の上司からだった。
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『今日の朝礼、遅れるなよ』
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短い文。
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だが、その文字だけで酔いが少し引く。
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現実が戻ってくる。
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相沢は画面を見つめたまま止まる。
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“帰らないと”
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今度こそ本気で思う。
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しかし。
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「相沢、まだ行けるよな?」
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隆が笑う。
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その言葉だけで、
また決断が揺らぐ。
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断ればいい。
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本当は、それだけなのに。
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相沢は唇を動かす。
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「……少し休んだらな」
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その瞬間、また空気が流れ始める。
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誰も止まらない。
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そして相沢も、
もう自分では止まれなくなり始めていた。
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