第31話「薄れていく輪郭」
ある朝、
相沢は目覚めた瞬間に違和感を覚えた。
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夢を見ていたはずなのに、
内容が残っていない。
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ただ、
感情の余韻だけが薄く残っている。
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“何か大事だった気がする”。
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それだけ。
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起床。
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点呼。
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移動。
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いつもの流れに入ると、
その違和感はさらに曖昧になる。
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午前作業。
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手を動かしながら、
相沢はふと気づく。
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最近、
記憶の境界が曖昧になってきている。
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昨日と一昨日。
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会話と沈黙。
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どこまでがいつだったか、
はっきりしない。
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隣の男が言う。
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「慣れたな」
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相沢は少し遅れて頷く。
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だがそれが何に対する“慣れ”なのか、
自分でも分からなかった。
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昼休み。
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テレビは天気の話をしている。
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梅雨明けが近いという。
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外の世界では、
季節が進む理由が語られている。
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だがここでは、
季節は説明されない。
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ただ、
窓の光の強さだけが変わる。
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午後。
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作業場で、
相沢は一瞬手を止める。
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自分の名前を思い出そうとした。
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簡単なはずなのに、
一瞬だけ詰まる。
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「相沢」
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心の中で言うと、
ようやく輪郭が戻る。
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少し怖かった。
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名前は、
使わなければ薄くなるのかもしれない。
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作業終了後、
長期刑の男がぽつりと言う。
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「ここはな」
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「記憶が減る場所だ」
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相沢は顔を上げる。
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男は続ける。
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「悲しいとかじゃねえ」
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「単純に、情報が減る」
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「同じことの繰り返しで、脳が省略する」
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その言葉が、
妙に現実的だった。
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夕方。
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房に戻る。
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相沢は壁にもたれる。
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思い出そうとしても、
昨日の作業の細部が出てこない。
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代わりに、
感情だけが残っている。
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疲れた感じ。
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空っぽな感じ。
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夜。
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消灯。
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暗闇の中で、
相沢は静かに思う。
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もしこのまま長くここにいたら、
自分の人生はどうなるのか。
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記憶が薄れ、
感情だけが残り、
やがてそれすら曖昧になる。
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そして最後には、
“ここにいる理由”すら説明できなくなるのではないか。
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相沢はゆっくり目を閉じる。
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人は壊れるとき、
激しく壊れるとは限らない。
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むしろ、
気づかないほど静かに、
輪郭から消えていくのかもしれなかった。




