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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第31話「薄れていく輪郭」

ある朝、


相沢は目覚めた瞬間に違和感を覚えた。



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夢を見ていたはずなのに、


内容が残っていない。



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ただ、


感情の余韻だけが薄く残っている。



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“何か大事だった気がする”。



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それだけ。



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起床。



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点呼。



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移動。



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いつもの流れに入ると、


その違和感はさらに曖昧になる。



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午前作業。



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手を動かしながら、


相沢はふと気づく。



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最近、


記憶の境界が曖昧になってきている。



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昨日と一昨日。



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会話と沈黙。



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どこまでがいつだったか、


はっきりしない。



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隣の男が言う。



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「慣れたな」



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相沢は少し遅れて頷く。



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だがそれが何に対する“慣れ”なのか、


自分でも分からなかった。



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昼休み。



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テレビは天気の話をしている。



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梅雨明けが近いという。



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外の世界では、


季節が進む理由が語られている。



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だがここでは、


季節は説明されない。



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ただ、


窓の光の強さだけが変わる。



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午後。



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作業場で、


相沢は一瞬手を止める。



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自分の名前を思い出そうとした。



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簡単なはずなのに、


一瞬だけ詰まる。



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「相沢」



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心の中で言うと、


ようやく輪郭が戻る。



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少し怖かった。



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名前は、


使わなければ薄くなるのかもしれない。



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作業終了後、


長期刑の男がぽつりと言う。



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「ここはな」



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「記憶が減る場所だ」



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相沢は顔を上げる。



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男は続ける。



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「悲しいとかじゃねえ」



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「単純に、情報が減る」



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「同じことの繰り返しで、脳が省略する」



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その言葉が、


妙に現実的だった。



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夕方。



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房に戻る。



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相沢は壁にもたれる。



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思い出そうとしても、


昨日の作業の細部が出てこない。



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代わりに、


感情だけが残っている。



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疲れた感じ。



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空っぽな感じ。



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夜。



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消灯。



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暗闇の中で、


相沢は静かに思う。



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もしこのまま長くここにいたら、


自分の人生はどうなるのか。



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記憶が薄れ、


感情だけが残り、


やがてそれすら曖昧になる。



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そして最後には、


“ここにいる理由”すら説明できなくなるのではないか。



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相沢はゆっくり目を閉じる。



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人は壊れるとき、


激しく壊れるとは限らない。



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むしろ、


気づかないほど静かに、


輪郭から消えていくのかもしれなかった。

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