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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第28話「忘れられる速度」

朝。


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新しい施設にも、


少しずつ慣れ始めていた。


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起床前の物音。


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点呼の空気。


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作業場までの距離。


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身体が覚え始めている。


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それが嫌だった。


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“慣れる”ということは、


ここが日常になるということだからだ。


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午前作業。


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相沢は黙って手を動かしていた。


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向かいの長期刑の男もいる。


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今日も静かだ。


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だがここ数日で、


少しだけ会話するようになっていた。


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必要最低限。


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それでも、


この場所では珍しい距離感だった。


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作業中、


男が突然言う。


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「ニュース見たか」


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相沢は顔を上げる。


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昼休みのテレビで、


事故報道の特集が流れていたらしい。


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飲酒事故。


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若者。


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死亡。


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似たような事件。


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男は続ける。


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「世間ってさ」


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「次が出たら、前を忘れるんだよな」


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相沢は黙る。


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男は淡々としている。


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「大事件でも半年」


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「一年経ったらかなり薄い」


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「三年もすりゃ、当事者以外ほぼ覚えてねえ」


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その言葉に、


妙な現実味があった。


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事故直後、


世間は騒いだ。


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ニュース。


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SNS。


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会社。


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誰もが、


相沢を“事件の人間”として見た。


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だが今はどうだ。


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新しい事件が起き、


別の誰かが叩かれている。


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社会は止まらない。


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相沢だけが止まっている。


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昼休み。


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テレビではまた別のニュースが流れている。


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芸能人。


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政治。


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天気。


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事故の話などどこにもない。


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相沢はそれを見ながら思う。


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忘れられる。


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それは本来、


救いのはずだった。


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だが実際は違う。


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社会が忘れるほど、


“自分だけが残される感覚”が強くなる。


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被害者遺族は忘れない。


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家族も忘れない。


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自分も忘れない。


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なのに世間だけが進んでいく。


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午後。


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作業場の窓から、


夏の日差しが少し差し込んでいた。


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季節は進む。


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ニュースも進む。


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人も進む。


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だが、


ここでは時間が層になって積もる。


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昨日の後悔も、


半年前の事故も、


同じ重さで残り続ける。


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作業終了後。


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長期刑の男が小さく言う。


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「でも家族は別だぞ」


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相沢は見る。


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男は視線を落としたまま続ける。


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「世間は忘れる」


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「でも家族は、忘れられねえ」


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その声だけ、


少しだけ感情が混じっていた。


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相沢は返事ができない。


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父。


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母。


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妹。


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あの人たちは、


社会みたいに切り替えられない。


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近所で噂が消えても、


家の中には残る。


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夕方。


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房へ戻る。


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薄暗い光。


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静かな空気。


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相沢は壁を見つめる。


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もし自分の事件が完全に忘れられたら。


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その時、


自分は少し楽になるのだろうか。


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それとも、


“誰にも覚えられていない人間”になるだけなのだろうか。


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夜。


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消灯。


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暗闇。


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遠くでテレビの音が少しだけ漏れている。


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知らない誰かの話題。


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知らない事件。


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明日になれば、


また別のニュースが流れる。


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世界は、


新しい情報で古い痛みを押し流していく。


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相沢は静かに目を閉じる。


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人は、


許されるより先に忘れられる。


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だが、


忘れられることが救いになるとは限らないのだった。


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