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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第23話「移動前夜」

荷物整理が終わった夜。



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房の空気がいつもより静かだった。



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相沢は布団の上に座ったまま、


何度も同じ場所を見ていた。



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壁。



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床。



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天井。



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すべて見慣れたはずなのに、


どこか違って見える。



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“明日ここにいない”



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その事実だけが、


空間を少しずつ変えている。



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向かいの男が小さく声をかける。



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「移動か」



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相沢は少し遅れて頷く。



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男はそれ以上聞かない。



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ただ一言だけ言う。



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「まあ、そういう時もある」



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その言葉には、


励ましも同情もない。



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ただ経験だけがある。



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夜。



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消灯時間が近づく。



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だが相沢は眠れなかった。



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荷物は少ない。



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それなのに、


妙に重く感じる。



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布団の中で、


過去の記憶がゆっくり浮かぶ。



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事故の夜。



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信号。



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健の声。



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母親の手紙。



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父親の沈黙。



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会社の面会。



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それらが一列に並ぶ。



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そしてその列の最後に、


“移動”が加わる。



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どこへ行くのかは、


まだはっきり知らされていない。



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ただ、


今の場所ではないということだけ。



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それだけで十分だった。



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夜が深くなる。



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遠くで足音がする。



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規則的な巡回。



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その音が、


少しだけ現実をつなぎとめている。



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相沢は天井を見ながら思う。



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ここでの時間は、


“同じ場所に留まることで成立していた”のだと。



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場所が変わるということは、


時間の基準が変わるということだ。



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つまり、


また一からやり直しになる。



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だが何をやり直すのかは分からない。



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罪なのか。



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生活なのか。



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自分なのか。



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答えはないまま、


夜だけが進む。



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消灯。



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完全な暗闇。



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相沢は静かに息を吐く。



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明日は、


“同じではない朝”が来る。



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それは希望ではなく、


ただの事実としてそこにあった。



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そして人は時々、


変化そのものよりも、


「変わる前の夜」に一番強く立ち止まるのだった。

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