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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第19話「名前を呼ばない父」

朝。



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食堂へ向かう途中、


相沢は再び職員に呼び止められた。



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「面会です」



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その瞬間、


胸が少しだけ重くなる。



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母親かと思った。



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だが面会室へ入った瞬間、


相沢は足を止める。



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父親だった。



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数秒、


互いに動かない。



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最後に会ったのは裁判前。



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その時も父親は、


ほとんど喋らなかった。



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だが今日は、


さらに老けて見えた。



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髪。



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背中。



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目の下。



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時間が進んでいる。



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相沢がここに閉じ込められている間も、


父親は歳を取っている。



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父親が先に座る。



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相沢も静かに座る。



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透明な板。



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受話器。



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父親はしばらく何も言わない。



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その沈黙が、


昔から変わらない。



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ようやく口を開く。



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「……身体は大丈夫か」



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短い。



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だが、


それが父親なりの言葉だった。



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相沢は答える。



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「うん」



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また沈黙。



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父親は視線を合わせない。



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透明板の下を見るように話す。



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「母さんが心配してる」



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“自分は”ではなく、


“母さんが”。



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父親らしい言い方だった。



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昔からそうだった。



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感情を直接言わない。



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怒る時も。



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褒める時も。



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全部少し遠回りだった。



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父親が小さく息を吐く。



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「近所は……まあ色々言う」



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相沢は目を閉じる。



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やはりそうかと思う。



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事故。



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裁判。



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ニュース。



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地方では、


そういう話は長く残る。



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父親は続ける。



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「母さんは普通にしてる」



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「でも外ではあまり喋らなくなった」



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その言葉が重い。



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家族もまた、


社会の視線を受けている。



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相沢は何か言おうとする。



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「……ごめん」



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結局それしか出ない。



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父親は少しだけ顔を上げる。



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だが、


怒鳴らない。



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責めない。



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その代わり、


妙に疲れた顔で言う。



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「お前さ」



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そこで止まる。



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数秒。



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そして父親は、


最後まで名前を呼ばなかった。



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「……なんで断らなかった」



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静かな声だった。



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怒鳴り声ではない。



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だからこそ、


深く刺さる。



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相沢は答えられない。



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事故後、


何度も考えた問い。



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なぜ断れなかった。



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なぜ止まれなかった。



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なぜ帰らなかった。



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理由はある。



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空気。



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流れ。



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軽い判断。



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だが、


どれも“理由”にはなっても、


“答え”にはならない。



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父親は静かに続ける。



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「お前、昔から断るの苦手だったな」



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その言葉で、


相沢は少し息を止める。



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子供の頃。



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友達。



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部活。



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会社。



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いつも周囲に合わせていた。



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空気を壊さないように。



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父親はそれを見ていたのかもしれない。



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だが今回だけは、


その性格が人を殺した。



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面会終了の時間が近づく。



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職員が合図する。



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父親は最後まで、


相沢の名前を呼ばなかった。



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ただ立ち上がり、


小さく言う。



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「母さんには、ちゃんと返事しろ」



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それだけ。



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父親は去る。



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背中が少し小さく見えた。



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相沢はしばらく動けない。



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“なんで断らなかった”。



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たぶん、


一番近い人間ほど、


そこが理解できないのだ。



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房へ戻る。



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布団に座る。



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父親の声が残っている。



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怒っていた。



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だがそれ以上に、


疲れていた。



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相沢は天井を見る。



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事故は、


被害者の人生を壊した。



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そして同時に、


家族の会話の形まで変えてしまった。



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名前を呼ばない父。



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遠回しな言葉。



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減った会話。



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その全部が、


壊れた後の日常だった。

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