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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第16話「声を忘れる前に」

数日後。



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午後の作業が終わった直後、


再び相沢の名前が呼ばれた。



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「電話連絡」



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相沢は一瞬反応できなかった。



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電話。



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収監後、


許可制の短い連絡はあった。



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だが、


自分から誰かに掛けることはほとんどない。



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何を話せばいいのか分からないからだ。



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職員に案内され、


小さな連絡室へ入る。



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壁。



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机。



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電話。



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それだけ。



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番号が押される。



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呼び出し音。



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相沢は無意識に、


受話器を強く握っていた。



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数回のコール。



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そして声。



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「……もしもし」



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母親だった。



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その瞬間、


相沢の身体が少し固まる。



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文字とは違う。



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声には温度がある。



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昔から聞いていた声。



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朝。



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夕飯。



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何気ない会話。



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その全部が一瞬で戻ってくる。



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「元気?」



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母親は普通に聞こうとしている。



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だがその“普通”が、


逆につらい。



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相沢は少し遅れて答える。



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「……うん」



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短い。



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会話が続かない。



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母親が先に話す。



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「最近、暑くなってきたね」



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季節の話。



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普通の会話。



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だが相沢には、


その“普通”が遠い。



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「そっちは大丈夫?」



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“そっち”。



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その言い方に、


距離が含まれている。



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家ではない。



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外でもない。



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“そっち”。



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相沢は答える。



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「……大丈夫」



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また嘘になる。



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だが、


本当を言うこともできない。



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電話の向こうで、


少し生活音がする。



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テレビ。



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食器。



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遠くで父親の咳。



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家の音だった。



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相沢はその音を聞くだけで、


胸が苦しくなる。



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自分がいなくても、


家は動いている。



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夕飯の時間。



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テレビの音。



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父親の咳。



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生活が続いている。



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母親が小さく言う。



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「お父さんね、最近ちょっと痩せたの」



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相沢は返事ができない。



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事故以来、


父親とはほとんど話していない。



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面会にも来ていない。



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怒っているのか。



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苦しいのか。



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たぶん両方だった。



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母親は無理に明るく話を続ける。



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近所のこと。



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スーパーのこと。



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庭の花。



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事故と関係ない話ばかり。



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しかしその努力が分かるから、


余計につらい。



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相沢はふと気づく。



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母親は、


“息子との普通の会話”を守ろうとしている。



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犯罪。



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裁判。



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収監。



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それらに全部飲み込まれないように。



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通話終了の時間が近づく。



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職員が静かに合図する。



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母親が急に声を弱める。



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「ちゃんと寝れてる?」



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相沢は目を閉じる。



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その質問は、


事故前からずっと変わらない。



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仕事で疲れて帰った日も、


風邪を引いた日も、


母親は同じことを聞いた。



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「寝れてる?」



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相沢は答える。



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「……寝れてる」



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また嘘。



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だが、


本当を言ったら、


母親まで眠れなくなる気がした。



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最後に母親が言う。



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「また電話してね」



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その声だけが少し震えていた。



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通話終了。



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受話器を置く。



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部屋が静かになる。



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だが耳には、


まだ母親の声が残っている。



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案内されて廊下を歩く。



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相沢は思う。



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人は顔より先に、


声を忘れていくのかもしれない。



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だから家族は、


何度も声を届けようとする。



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“まだ繋がっている”と確認するために。



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夜。



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布団に横になる。



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静か。



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だが今日は、


静けさの奥に母親の声が残っている。



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「ちゃんと寝れてる?」



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その言葉だけが、


何度も繰り返される。



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そして相沢は、


初めて少し怖くなる。



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もしこの先、


家族の声まで遠く感じるようになったら。



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その時、自分は本当に“外”を失うのかもしれないと。

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