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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第15話「静かな崩れ方」

崩れる時、人は叫ばない。



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相沢は最近、


それを少しずつ理解し始めていた。



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朝。



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起床。



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点呼。



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食事。



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生活は変わらない。



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むしろ、


変わらなさすぎる。



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最初の頃は、


毎日が長かった。



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だが今は違う。



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気づくと一日が終わっている。



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時間が“消えている”。



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午前作業。



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分類。



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確認。



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記録。



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手は正確に動く。



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ミスも減った。



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職員から注意されることも少ない。



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“適応している”。



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だがその事実に、


少し恐怖がある。



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作業中、


隣の男が突然ペンを落とす。



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乾いた音。



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男は拾わない。



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ただ机を見ている。



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職員が近づく。



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「どうしました」



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男は小さく首を振る。



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「……別に」



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声に力がない。



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職員は数秒見たあと、


静かにペンを拾って机に置く。



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それだけだった。



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誰も騒がない。



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作業は再開される。



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だが相沢は、


その光景から目を離せなかった。



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あれは“異常”だったのか。



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それとも、


ここでは普通の崩れ方なのか。



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昼休み。



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食堂。



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静か。



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向かいの男が言う。



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「急に来るんだよな」



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相沢は聞き返さない。



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男は味噌汁を見ながら続ける。



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「ある日、突然どうでもよくなる」



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「飯も、時間も、自分も」



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その言葉は淡々としていた。



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経験談のようだった。



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「怒鳴ったり暴れたりする方がまだ元気なんだ」



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「本当に危ない時は、静かになる」



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相沢は何も言えない。



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静かな崩壊。



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それは、


ここで毎日少しずつ起きているのかもしれない。



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午後。



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作業。



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相沢は手を動かしながら、


自分の状態を考える。



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自分は大丈夫なのか。



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まだ感情はある。



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後悔もある。



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考えることもできる。



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だが、


少しずつ何かが薄くなっている。



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怒り。



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期待。



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焦り。



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外にいた頃、


当たり前にあった感情。



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それらが、


静かに削れている。



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夕方。



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部屋へ戻る途中、


窓の外で雨が降っていた。



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細い雨。



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街灯に照らされている。



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昔なら、


「最悪だな」と思ったかもしれない。



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服が濡れる。



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帰るのが面倒。



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傘がない。



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だが今は違う。



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雨が“自分に関係ない現象”になっている。



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それが妙に怖かった。



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夜。



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布団に横になる。



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遠くで誰かが咳をする。



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また静けさ。



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相沢は天井を見る。



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ここでは、


大きく壊れる人は少ない。



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代わりに、


少しずつ削れていく。



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声が減る。



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表情が減る。



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反応が減る。



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そしてある日、


“何も感じない状態”に近づいていく。



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相沢は目を閉じる。



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自分もそうなるのだろうか。



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事故のことを考えても、


苦しくなくなる日が来るのだろうか。



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もし来るなら、


それは救いなのか。



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それとも、


完全に壊れたということなのか。



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雨音が少し強くなる。



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だが壁の内側には届かない。



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ここでは、


音だけが来る。



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温度も匂いも、


全部途中で遮断される。



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相沢はゆっくり息を吐く。



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そして思う。



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人間は、


痛みで壊れるわけじゃない。



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“痛みに慣れていく過程”で、


静かに崩れていくのだと。

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