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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第3章 「収監された朝」

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第6話 「面会室のガラス」

午前の作業が終わる直前、


職員が相沢の名前を呼んだ。



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「面会です」



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その言葉に、


相沢は一瞬だけ反応が遅れる。



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面会。



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その単語を聞いたのは、


収監されてから初めてだった。



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周囲は何も変わらない。



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誰もこちらを見ない。



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しかし相沢の中だけが少し揺れる。



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誰だ。



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母親か。



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弁護士か。



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それとも。



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廊下を歩く。



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面会室へ向かう通路は、


他より少し静かだった。



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途中で金属扉を二つ通る。



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鍵の音。



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開閉音。



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そのたびに、


外との距離が数字のように増えていく。



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面会室。



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中央にガラス。



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受話器。



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椅子。



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それだけ。



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職員が短く言う。



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「時間になったら終了です」



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扉が閉まる。



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ガラスの向こう側に、


人影が見える。



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相沢はゆっくり座る。



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そして顔を上げる。



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そこにいたのは、


健だった。



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相沢は数秒、動けなかった。



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健も同じだった。



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互いに受話器を取らない。



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ただガラス越しに見る。



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事故の日以降、


何度も名前は出てきた。



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法廷でも会った。



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だが、


こうして“個人”として向き合うのは初めてだった。



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先に受話器を取ったのは健だった。



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相沢も遅れて取る。



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少しノイズが入る。



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健は目を合わせないまま言う。



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「……久しぶり」



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相沢は返せない。



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“久しぶり”という言葉が、


普通の再会みたいに聞こえてしまったからだ。



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沈黙。



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健が先に口を開く。



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「母さんに頼まれた」



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「一回、顔見てこいって」



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相沢は小さく頷く。



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健は疲れていた。



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以前みたいな軽さがない。



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髪も少し乱れている。



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そして何より、


喋る速度が遅い。



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「……会社、辞めた」



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その言葉が落ちる。



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相沢は顔を上げる。



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健は苦笑いのような表情をする。



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「居づらくてさ」



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「事故のこと、みんな知ってるし」



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そこで止まる。



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“お前のせいで”とは言わない。



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だが、


言わなくても存在している。



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相沢は受話器を強く握る。



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「……ごめん」



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健はすぐ返す。



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「違う」



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その返答が予想より強かった。



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健は初めて相沢を見る。



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「違うんだよ」



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声が少し震える。



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「俺も止めなかった」



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沈黙。



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「裁判のあと、ずっと考えてる」



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「なんで止めなかったんだろって」



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相沢は何も言えない。



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健は続ける。



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「別にお前に運転しろって言ったわけじゃない」



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「でも、止めもしなかった」



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ガラス越しの声は少し歪む。



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「なのに、お前だけここにいる」



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その言葉で、


面会室の空気が変わる。



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相沢は初めて、


“外に残った側”も壊れていることを知る。



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健は外にいる。



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自由もある。



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歩ける。



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帰れる。



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だが、


事故から切り離されてはいない。



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「最近さ」



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健が小さく笑う。



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「飲み会とか誘われなくなった」



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「みんな気使ってんのか、避けてんのか分かんないけど」



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その笑いは乾いていた。



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「たぶん、俺ら全員あの日で止まってる」



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その言葉が、


静かに残る。



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面会終了の時間が近づく。



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職員が合図を出す。



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健は受話器を少し強く握る。



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「……お前、ちゃんと寝れてるか」



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その質問だけが、


事故前の関係に少し近かった。



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相沢は小さく頷く。



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嘘だった。



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だが、


本当を言う意味も分からなかった。



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健は最後に言う。



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「また来る」



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相沢は返事ができない。



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健が立ち上がる。



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ガラス越しに頭を下げる。



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その姿を見ながら、


相沢は理解する。



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ここには壁がある。



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だが本当に隔てているのは、


ガラスではない。



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“あの日に戻れないこと”そのものだった。

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