第23話「最後の一線」
三日目の法廷は、最初から空気が違っていた。
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もう“事実確認”ではない。
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“評価”に入っている。
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相沢は被告席に座る。
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身体は慣れてきているのに、
精神だけが遅れている。
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裁判官が言う。
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「これより、被告人質問を行います」
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法廷が少しだけ静まる。
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弁護士が相沢に軽く頷く。
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「事実のみで答えてください」
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その言葉は助言ではなく、
生存条件だった。
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検察が立ち上がる。
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最初の質問は単純だった。
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「当日の飲酒量を認識していましたか」
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相沢は少し間を置く。
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「……正確には分かりません」
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次の質問。
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「運転する前に、危険だと感じましたか」
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沈黙。
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記憶が曖昧ではない。
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むしろ、断片的すぎる。
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笑い声。
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酒。
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誰かの声。
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そして車のキー。
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「……感じていたと思います」
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その瞬間、
検察のペンが止まる。
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「ではなぜ運転したのですか」
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この質問は、
これまで何度も形を変えて現れてきた。
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だが今回は違う。
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“最後の一線”だった。
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相沢は答えられない。
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沈黙。
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法廷の全員が待つ。
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弁護士も何も言わない。
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ここはもう、
守る場ではない。
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相沢はゆっくり口を開く。
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「……断れなかったからです」
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一瞬、空気が止まる。
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検察がすぐに返す。
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「誰に対してですか」
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相沢は少し目を閉じる。
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「……みんなに」
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その答えは曖昧だが、
一番正確でもあった。
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検察は続ける。
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「その“みんな”とは具体的に誰ですか」
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相沢は少しだけ呼吸を整える。
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「健さん、隆さん、直樹さん、翔さん、優斗さん……」
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名前を挙げるたびに、
過去が切り離されていく感覚がある。
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「誰かが止めると思っていましたか」
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その質問に、
相沢は初めて少しだけ表情を変える。
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「……思っていたと思います」
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法廷が静かになる。
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“思っていた”
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それは責任ではなく、
期待の形だ。
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検察が一歩踏み込む。
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「しかし最終的に運転したのはあなたです」
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相沢は黙る。
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それはもう反論ではない。
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事実の固定だった。
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弁護士が一度だけ立つ。
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「被告人は強い同調圧力の中にいました」
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検察が即座に返す。
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「しかし法的には、それは免責理由にはなりません」
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その瞬間、
空気が完全に締まる。
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裁判官が静かに言う。
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「証言は以上でよろしいですか」
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検察も弁護士も頷く。
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相沢はそのまま座っている。
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ここまで来て、
ようやく理解する。
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この裁判は、
“何があったか”ではない。
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“どこで一人になったか”の記録だ。
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そしてその地点は、
すでに確定している。
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被告席の空気が少しだけ薄くなる。
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外の世界は見えない。
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音も遠い。
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ただ一つだけ確かなのは、
この場にいる全員が、
同じ夜を違う形で持っているということだった。
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そして最後に残るのは、
やはり一つの名前だけになる。




