第28話「ハンドルの重さ」
夜明け前の空気は、妙に静かだった。
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人の気配が減っている分、音がやけに響く。
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相沢はコンビニの前で立ち止まっていた。
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手には缶コーヒー。
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その冷たさだけが、現実に引き戻してくる。
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「で、どうすんの?」
健が後ろから言う。
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その言葉は軽い。
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だが意味は重い。
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“帰るかどうか”
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相沢は黙ったまま缶を見つめる。
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頭はまだぼんやりしている。
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眠気。
酒の残り。
疲労。
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そして、
一番はっきりしているのは“判断の鈍さ”だった。
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本来ならここで終わるべきだ。
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もう限界だ。
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会社にも行けない状態だ。
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それでも、
体はまだ動いている。
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「俺、車あるし送るよ」
隆が言う。
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その一言で、
空気が少し変わる。
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“車”
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その単語が現実に引き戻す。
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相沢は一瞬だけ黙る。
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自分の車。
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会社の駐車場にある。
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そこまで行けば、
帰れる。
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でも問題はそこじゃない。
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“運転できる状態か”
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その問いが、初めてはっきり浮かぶ。
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手は重い。
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目は眠い。
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頭は遅れている。
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酒も残っている。
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それでも周りは言う。
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「大丈夫だろ」
健が笑う。
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「今まで事故ってないし」
翔が続ける。
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その言葉が一番危険だと、
相沢はどこかで分かっていた。
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でも、
誰も真剣に止めない。
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むしろ軽く流す。
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その空気が、
一番判断を壊す。
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相沢は少し笑う。
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「……まあ、いけるだろ」
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その言葉が出た瞬間、
何かが確定する。
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もう戻れない選択。
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コンビニを出る。
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朝の気配が濃くなる。
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空は明るくなり始めている。
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通勤が始まる時間。
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それなのに、
自分は逆方向へ向かっている。
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駐車場に着く。
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車のドアを開ける。
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中は少し冷えている。
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鍵を持つ手が重い。
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一瞬だけ止まる。
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本当にこれでいいのか。
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その問いが浮かぶ。
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だが、
答えを出す時間はない。
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後ろでは笑い声。
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「行ける行ける」
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「いつも通りだろ」
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その声に押されるように、
相沢はシートに座る。
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シートベルトを締める。
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エンジンをかける。
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音がやけに大きい。
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ハンドルが重い。
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視界が少し揺れている。
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“危ない”
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頭の奥で声がする。
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でも、
止まれない。
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後ろの声が続く。
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「じゃあまたな」
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「気をつけろよ」
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軽い言葉。
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でも責任はない。
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相沢はハンドルを握る。
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少しだけ手が震える。
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それでも車は動き出す。
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朝の道路へ。
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そして、
この選択がどこへ続くのか、
まだ誰も知らないまま進んでいく。
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