第9話「健の母親」
休日。
---
相沢は朝から部屋に座っていた。
---
---
机の上。
---
---
一通の手紙。
---
---
健の母親から届いたものだった。
---
---
刑務所にいた頃。
---
---
何度も読み返した。
---
---
何度も救われた。
---
---
そして、
何度も苦しくなった。
---
---
『あなたにも生きてほしいと思います』
---
---
その言葉。
---
---
優しさだった。
---
---
しかし、
相沢には重かった。
---
---
なぜなら、
自分は生きている。
---
---
その一方で、
健はもういない。
---
---
その事実は変わらない。
---
---
相沢は封筒を見る。
---
---
住所。
---
---
健の母親の家。
---
---
出所してから、
一度も会っていなかった。
---
---
怖かった。
---
---
拒絶されるかもしれない。
---
---
責められるかもしれない。
---
---
当然だと思っていた。
---
---
それでも、
会わなければならない気がした。
---
---
相沢は電話をかける。
---
---
数回の呼び出し。
---
---
「はい」
---
---
聞き慣れた声。
---
---
胸が締め付けられる。
---
---
「……相沢です」
---
---
沈黙。
---
---
数秒。
---
---
「久しぶりね」
---
---
その声には、
怒りも驚きもなかった。
---
---
ただ、
静かな疲れがあった。
---
---
「会っていただけませんか」
---
---
相沢は言う。
---
---
「直接、謝りたいです」
---
---
電話の向こう。
---
---
長い沈黙。
---
---
「分かった」
---
---
短い返事だった。
---
---
待ち合わせ場所。
---
---
小さな喫茶店。
---
---
相沢は先に着いていた。
---
---
落ち着かない。
---
---
何度も時計を見る。
---
---
そして、
扉が開く。
---
---
健の母親が入ってくる。
---
---
以前より、
少し小さく見えた。
---
---
「お久しぶりです」
---
---
相沢は立ち上がり、
深く頭を下げる。
---
---
「申し訳ありませんでした」
---
---
「本当に……」
---
---
言葉が詰まる。
---
---
何度も言った謝罪。
---
---
でも、
どれだけ言っても足りない。
---
---
健の母親は、
しばらく黙っていた。
---
---
そして、
静かに言う。
---
---
「顔を上げて」
---
---
相沢はゆっくり顔を上げる。
---
---
「あなたが謝り続けても」
---
---
「健は帰ってこない」
---
---
その言葉。
---
---
胸に刺さる。
---
---
「分かっています」
---
---
「でも……」
---
---
健の母親は首を振る。
---
---
「私も最初はね」
---
---
「あなたを憎んでいた」
---
---
相沢は黙る。
---
---
「どうして息子じゃなくて、あなたが生きているんだろうって」
---
---
「何度も思った」
---
---
涙が落ちる。
---
---
「それは今でも完全には消えていない」
---
---
相沢は俯く。
---
---
「はい」
---
---
「でもね」
---
---
健の母親は続ける。
---
---
「あなたが刑務所で書いた手紙」
---
---
「何度も読みました」
---
---
相沢は驚く。
---
---
「息子のことを忘れていなかった」
---
---
「それだけは分かった」
---
---
相沢の目から涙が落ちる。
---
---
「許してもらおうとは思っていません」
---
---
「許される資格があるとも思っていません」
---
---
「ただ……」
---
---
「健が生きられなかった分まで、無駄にしたくないんです」
---
---
健の母親は窓の外を見る。
---
---
しばらくして、
小さく言う。
---
---
「相沢さん」
---
---
「あなたはこれから何年生きるか分からない」
---
---
「でも」
---
---
「毎日、健のことを忘れないで」
---
---
「そして」
---
---
「自分を壊すことを償いだと思わないで」
---
---
相沢は顔を上げる。
---
---
「……え?」
---
---
「苦しみ続けるだけでは、健は喜ばないと思う」
---
---
その言葉。
---
---
刑務所の中で聞いた言葉とは違う。
---
---
でも、
同じ方向を向いていた。
---
---
生きること。
---
---
逃げないこと。
---
---
誰かの未来を守ること。
---
---
「仕事、始めたんですってね」
---
---
相沢は頷く。
---
---
「はい」
---
---
「大変です」
---
---
健の母親は少し笑う。
---
---
「そうでしょうね」
---
---
「でも、それでいいと思う」
---
---
店を出る。
---
---
別れ際。
---
---
相沢はもう一度頭を下げる。
---
---
「ありがとうございました」
---
---
健の母親は言う。
---
---
「また、生きている姿を見せてください」
---
---
その言葉に、
相沢は顔を上げる。
---
---
それは、
許しではなかった。
---
---
でも、
拒絶でもなかった。
---
---
帰り道。
---
---
空を見上げる。
---
---
健の顔を思い出す。
---
---
「俺、まだ終われないな」
---
---
小さく呟く。
---
---
失った命を戻すことはできない。
---
---
過去を消すこともできない。
---
---
それでも、
これからの時間をどう使うかは、
自分で選べる。
---
---
相沢は歩き出す。
---
---
少しだけ、
前より背筋を伸ばして。
---
第4章 第9話 完
---
次回
第4章 第10話
「新しい日常」
仕事、家族、償い。
少しずつ生活を取り戻す相沢の前に、新たな試練が訪れる。




