第7話「噂」
翌朝。
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相沢はいつもより早く家を出た。
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眠れなかった。
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何度も考えた。
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昨日の山本の顔。
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声。
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そして、
あの一言。
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「刑務所から出たんだな」
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隠していたわけではない。
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いつか話さなければならないことだった。
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それでも、
怖かった。
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せっかく戻り始めた日常が、
また壊れる気がした。
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会社へ向かう道。
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足取りが重い。
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入口の前で、
一度立ち止まる。
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深呼吸。
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そして、
扉を開けた。
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「おはようございます」
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いつも通り挨拶する。
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「おはよう」
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返事が返ってくる。
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その瞬間、
少し安心した。
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まだ、
何も変わっていない。
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午前の仕事。
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集中しようとする。
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しかし、
周囲の視線が気になる。
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誰かが見ている気がする。
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誰かが話している気がする。
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実際には、
ほとんどの人はいつも通りだった。
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だが、
一度傷ついた心は、
小さな変化にも敏感になる。
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昼休み。
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食堂。
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相沢が席についた時。
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会話が止まった気がした。
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本当に止まったのか。
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自分の思い込みなのか。
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分からない。
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ただ、
胸が苦しくなる。
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そこへ田中が来た。
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「ここ、いいですか?」
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相沢は少し驚く。
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「はい」
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田中は普通に座る。
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しばらく二人で昼食を食べる。
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相沢は迷った。
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話すべきか。
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黙るべきか。
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しかし、
もう逃げないと決めた。
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「田中さん」
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「はい?」
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「もし……」
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言葉が詰まる。
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「自分の過去を聞いたら、どう思いますか」
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田中は箸を止める。
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少し考える。
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「内容によりますね」
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正直な答えだった。
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相沢は頷く。
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「そうですよね」
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田中は続ける。
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「でも、今の相沢さんを見る限り」
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「仕事を真面目にしている人だと思っています」
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その言葉に、
相沢は顔を上げる。
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「過去を知らないから言えるだけかもしれません」
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田中は首を振る。
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「違います」
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「人間って、過去だけで判断できないと思います」
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その言葉。
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刑務所で聞いた言葉と重なった。
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午後。
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事件は起きた。
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休憩時間。
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若い社員がスマホを見ていた。
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「え……」
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小さな声。
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その表情が変わる。
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「これ……」
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隣の社員に画面を見せる。
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相沢は嫌な予感がした。
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その直後。
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自分の名前が聞こえた。
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「相沢って……」
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時間が止まる。
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誰かが、
過去の記事を見つけた。
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昔の事故の記事。
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飲酒運転。
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死亡事故。
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実名報道。
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消えない記録。
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インターネットに残った過去。
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相沢は立ち尽くす。
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逃げたい。
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その気持ちが一瞬湧く。
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しかし、
足は動かなかった。
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「相沢さん」
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声をかけたのは田中だった。
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社員たちが見る。
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相沢は静かに頭を下げた。
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「はい」
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「その記事は……自分です」
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静寂。
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誰も言葉を出さない。
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相沢は続ける。
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「飲酒運転で事故を起こしました」
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「友人を亡くしました」
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「刑務所にいました」
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「今も、その事実は変わりません」
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声が震える。
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それでも続ける。
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「だから……」
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「これから二度と同じことを起こさないように生きています」
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誰も答えなかった。
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ただ、
田中だけが静かに言った。
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「仕事に戻りましょう」
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短い言葉。
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でも、
相沢には救いだった。
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その夜。
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家に帰る。
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母親は顔を見るだけで分かった。
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「何かあった?」
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相沢は答える。
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「知られた」
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母親は黙る。
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「……そう」
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少し間を置く。
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「それでも帰ってきたんでしょう?」
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相沢は顔を上げる。
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「逃げずに帰ってきた」
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その言葉で、
少しだけ涙が出た。
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過去は消えない。
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隠しても、
いつか現れる。
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でも、
向き合うことはできる。
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相沢はもう一度思う。
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「逃げない」
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それが、
自分にできる唯一の償いだった。
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第4章 第7話 完
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次回
第4章 第8話
「残された席」
職場で知れ渡った相沢の過去。
離れていく人、向き合おうとする人。
相沢は「居場所」とは何かを考えることになる。




