第1話「戻れない玄関」
扉が開いた。
---
---
相沢は、
その瞬間に立ち止まった。
---
---
冷たい風が吹く。
---
---
頬に触れる空気。
---
---
遠くから聞こえる車の音。
---
---
鳥の声。
---
---
人の話し声。
---
---
すべてが、
久しぶりだった。
---
---
「行っていいぞ」
---
---
職員の声。
---
---
短い言葉。
---
---
長い年月を閉ざされた場所で過ごした人間にとって、
外の世界へ戻る瞬間は、
もっと特別なものだと思っていた。
---
---
涙が出る。
---
---
叫びたいほど嬉しい。
---
---
そんな想像をしていた。
---
---
だが、
実際に胸に広がったものは違った。
---
---
不安。
---
---
恐怖。
---
---
そして、
罪悪感。
---
---
自由になった。
---
---
その事実より先に、
頭に浮かんだのは健の顔だった。
---
---
「……健」
---
---
小さく名前が漏れる。
---
---
もちろん返事はない。
---
---
相沢は一度だけ空を見上げる。
---
---
青い空。
---
---
刑務所の小さな窓から見る空とは違う。
---
---
広い。
---
---
どこまでも続いている。
---
---
なのに、
胸は少し苦しかった。
---
---
迎えに来ていたのは母親だった。
---
---
車の横で、
静かに立っている。
---
---
以前より小さく見えた。
---
---
髪には白いものが増えている。
---
---
その変化を見て、
相沢は自分が失った時間の重さを感じた。
---
---
「……母さん」
---
---
母親は少し笑った。
---
---
「おかえり」
---
---
その言葉に、
相沢は動けなくなる。
---
---
「ただいま」
---
---
そう言うまで、
少し時間がかかった。
---
---
車へ向かう。
---
---
助手席に座る。
---
---
エンジンがかかる。
---
---
その音すら懐かしかった。
---
---
走り出す。
---
---
街は変わっていた。
---
---
新しい店。
---
---
変わった道路。
---
---
知らない建物。
---
---
しかし、
変わっていないものもある。
---
---
信号。
---
---
公園。
---
---
昔通った道。
---
---
相沢は窓の外を見る。
---
---
自分がいない間も、
世界は普通に動いていた。
---
---
誰かは就職し、
誰かは結婚し、
誰かは新しい生活を始めている。
---
---
その中で、
自分だけが時間を失っていた。
---
---
車内。
---
---
母親は何度も話しかけようとしていた。
---
---
だが、
言葉が見つからない。
---
---
相沢も同じだった。
---
---
親子なのに、
距離がある。
---
---
昔なら、
何気ない会話ができた。
---
---
今日の夕飯。
---
---
仕事の愚痴。
---
---
テレビの話。
---
---
そんな普通の日常。
---
---
しかし今、
その普通が一番難しかった。
---
---
しばらくして、
母親が言った。
---
---
「庭の金木犀、今年も咲いたよ」
---
---
相沢は顔を上げる。
---
---
妹の手紙を思い出した。
---
---
「覚えてる?」
---
---
母親が続ける。
---
---
相沢は小さく頷いた。
---
---
「……覚えてる」
---
---
子供の頃。
---
---
秋になると香った匂い。
---
---
何でもない記憶。
---
---
でも、
今は大切なものだった。
---
---
家に着く。
---
---
玄関。
---
---
鍵が開く。
---
---
その音を聞いた瞬間、
胸が締め付けられる。
---
---
ここは、
自分が帰る場所だった。
---
---
でも同時に、
以前の自分の場所ではない。
---
---
靴を脱ぐ。
---
---
廊下を歩く。
---
---
壁。
---
---
家具。
---
---
時計。
---
---
全部覚えている。
---
---
なのに、
少し遠く感じる。
---
---
部屋へ入る。
---
---
机の上には、
新しい布団。
---
---
母親が準備してくれていた。
---
---
その優しさが苦しかった。
---
---
自分には、
そんな優しさを受け取る資格があるのか。
---
---
荷物を置く。
---
---
刑務所から持ち帰ったものは少ない。
---
---
そして、
大切なものだけが残った。
---
---
三通の手紙。
---
---
母親。
---
---
妹。
---
---
健の母親。
---
---
相沢は机の上に並べる。
---
---
夜。
---
---
布団に入る。
---
---
静かだった。
---
---
刑務所よりも静かだった。
---
---
なのに眠れない。
---
---
ここには、
時間を決める鐘もない。
---
---
起床の声もない。
---
---
自由。
---
---
その自由が、
今は重かった。
---
---
相沢は目を閉じる。
---
---
明日から仕事を探す。
---
---
人と会う。
---
---
社会の中で生きる。
---
---
そして、
過去から逃げずに向き合う。
---
---
出所は終わりではなかった。
---
---
本当の償いは、
ここから始まる。
---
---
相沢は暗闇の中で、
小さく呟いた。
---
---
「……今度は、逃げない」
---
---
その言葉は、
誰に聞かせるものでもなかった。
---
---
ただ、
自分自身への約束だった。
---
---
第4章 第1話 完
---
次回
第4章 第2話
「初めての朝」
出所後初めて迎える朝。
相沢は「普通の生活」に戻る難しさと、家族との距離を実感していく。




