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『残響の夜に、断れなかった』  作者: こうた
第4章「帰る場所」

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第1話「戻れない玄関」

扉が開いた。



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相沢は、


その瞬間に立ち止まった。



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冷たい風が吹く。



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頬に触れる空気。



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遠くから聞こえる車の音。



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鳥の声。



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人の話し声。



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すべてが、


久しぶりだった。



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「行っていいぞ」



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職員の声。



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短い言葉。



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長い年月を閉ざされた場所で過ごした人間にとって、


外の世界へ戻る瞬間は、


もっと特別なものだと思っていた。



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涙が出る。



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叫びたいほど嬉しい。



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そんな想像をしていた。



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だが、


実際に胸に広がったものは違った。



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不安。



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恐怖。



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そして、


罪悪感。



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自由になった。



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その事実より先に、


頭に浮かんだのは健の顔だった。



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「……健」



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小さく名前が漏れる。



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もちろん返事はない。



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相沢は一度だけ空を見上げる。



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青い空。



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刑務所の小さな窓から見る空とは違う。



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広い。



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どこまでも続いている。



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なのに、


胸は少し苦しかった。



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迎えに来ていたのは母親だった。



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車の横で、


静かに立っている。



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以前より小さく見えた。



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髪には白いものが増えている。



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その変化を見て、


相沢は自分が失った時間の重さを感じた。



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「……母さん」



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母親は少し笑った。



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「おかえり」



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その言葉に、


相沢は動けなくなる。



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「ただいま」



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そう言うまで、


少し時間がかかった。



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車へ向かう。



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助手席に座る。



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エンジンがかかる。



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その音すら懐かしかった。



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走り出す。



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街は変わっていた。



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新しい店。



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変わった道路。



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知らない建物。



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しかし、


変わっていないものもある。



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信号。



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公園。



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昔通った道。



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相沢は窓の外を見る。



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自分がいない間も、


世界は普通に動いていた。



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誰かは就職し、


誰かは結婚し、


誰かは新しい生活を始めている。



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その中で、


自分だけが時間を失っていた。



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車内。



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母親は何度も話しかけようとしていた。



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だが、


言葉が見つからない。



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相沢も同じだった。



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親子なのに、


距離がある。



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昔なら、


何気ない会話ができた。



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今日の夕飯。



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仕事の愚痴。



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テレビの話。



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そんな普通の日常。



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しかし今、


その普通が一番難しかった。



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しばらくして、


母親が言った。



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「庭の金木犀、今年も咲いたよ」



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相沢は顔を上げる。



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妹の手紙を思い出した。



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「覚えてる?」



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母親が続ける。



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相沢は小さく頷いた。



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「……覚えてる」



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子供の頃。



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秋になると香った匂い。



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何でもない記憶。



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でも、


今は大切なものだった。



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家に着く。



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玄関。



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鍵が開く。



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その音を聞いた瞬間、


胸が締め付けられる。



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ここは、


自分が帰る場所だった。



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でも同時に、


以前の自分の場所ではない。



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靴を脱ぐ。



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廊下を歩く。



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壁。



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家具。



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時計。



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全部覚えている。



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なのに、


少し遠く感じる。



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部屋へ入る。



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机の上には、


新しい布団。



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母親が準備してくれていた。



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その優しさが苦しかった。



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自分には、


そんな優しさを受け取る資格があるのか。



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荷物を置く。



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刑務所から持ち帰ったものは少ない。



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そして、


大切なものだけが残った。



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三通の手紙。



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母親。



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妹。



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健の母親。



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相沢は机の上に並べる。



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夜。



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布団に入る。



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静かだった。



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刑務所よりも静かだった。



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なのに眠れない。



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ここには、


時間を決める鐘もない。



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起床の声もない。



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自由。



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その自由が、


今は重かった。



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相沢は目を閉じる。



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明日から仕事を探す。



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人と会う。



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社会の中で生きる。



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そして、


過去から逃げずに向き合う。



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出所は終わりではなかった。



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本当の償いは、


ここから始まる。



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相沢は暗闇の中で、


小さく呟いた。



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「……今度は、逃げない」



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その言葉は、


誰に聞かせるものでもなかった。



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ただ、


自分自身への約束だった。



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第4章 第1話 完



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次回


第4章 第2話


「初めての朝」


出所後初めて迎える朝。

相沢は「普通の生活」に戻る難しさと、家族との距離を実感していく。

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