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『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』  作者: 月神世一


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EP 8

河辺軍司令官との会食

 ビルマの首都、ラングーン。

 方面軍司令部が置かれたこの街の、豪奢な洋館の一室で、ひっそりと晩餐会が開かれていた。

 テーブルに並ぶのは、前線の将兵が泥水をすすっているとは思えないほど豪勢な、フランス料理のフルコースと極上のワインである。

 上座に座るのは、ビルマ方面軍司令官・河辺正三かわべ まさかず大将。

 そして下座で軍服の襟を正しているのが、第15軍司令官たる坂上(牟田口)である。

 史実において、この二人の関係はインパール作戦の悲劇を決定づけた最大の要因であった。

 盧溝橋事件からの旧知の仲であり、互いに情と遠慮があった。河辺は牟田口の狂気的な作戦に内心では危惧を抱きながらも、「あいつがそこまで言うなら」と認可を与え、牟田口もまた「軍司令官は私の意図(強行突破)をわかってくれている」と勝手に解釈した。

 日本陸軍の悪しき伝統、『腹芸』と『忖度』による破滅的同調である。

(……だが、俺は市ヶ谷の官僚アーキテクトだ。腹芸などというオカルトで、何万という部下の命をベットする趣味はない)

 坂上は、出されたボルドーワインのグラスを指先で弄びながら、目の前の河辺司令官を静かに観察していた。

 温厚そうに見えるが、その実、極度の事なかれ主義者。それが現代の防衛省で数多の政治家や官僚を相手にしてきた坂上の、河辺に対する冷徹なプロファイリングだった。

「牟田口よ。君が提出した作戦命令書、読ませてもらったぞ」

 河辺が、ナイフとフォークを止め、重々しく口を開いた。

「なんでも、『前進陣地』という名の堅固な防衛線を構築し、敵を誘い込むのだとか。これまでの君の『一気呵成の進撃』という主張とは、随分と毛色が違うようだが?」

 探りを入れるような視線。

 ここで「作戦変更です」などと馬鹿正直に言えば、「腰抜けになったか」と一蹴され、最悪の場合は指揮権を剥奪される。

 坂上は、背筋を伸ばし、不敵な笑みを浮かべた。

「閣下。あれはあくまで、大本営や末端の兵たちを『安心』させるための建前に過ぎません」

「ほう? 建前、とな」

「はい。インパールへの道は険絶を極めます。皇軍の精神力をもってすれば突破は可能ですが、問題は『その後』です。もし、万が一にも進撃が滞り、英軍の反撃を受けた場合、責任は誰が取るのでしょうか?」

 坂上の言葉に、河辺の眉がピクリと動いた。

 『責任』。

 事なかれ主義の官僚組織において、これほど効果的な魔法の言葉はない。

「大本営は、安全な東京から『進め』と言うだけです。しかし、もし作戦が頓挫し、無惨な敗走を晒すことになれば、すべての泥を被るのは現場の最高責任者たる……河辺閣下、あなたになります」

「む……」

 図星を突かれ、河辺が押し黙る。

「だからこそ、保険をかけるのです」

 坂上は身を乗り出し、声を一段低くした。防衛省で財務省の主計官を丸め込む時に使う、あの「極秘の共有」のトーンだ。

「仮に作戦が遅滞しても、『我々は現在、計画通り強固な前進陣地を構築中である』と言い張れる物理的な証拠――すなわち兵站拠点が山脈の手前にあれば、大本営は文句を言えません。作戦は『失敗』ではなく、ただ『次の飛躍のための準備段階』に移行しただけ、という理屈が立ちます」

「なるほど……。進撃の失敗を、陣地構築という『正当な遅滞』にすり替えるわけか」

 河辺の顔に、明確な安堵の色が浮かんだ。

 実のところ、河辺自身もこの無謀な作戦が失敗した時の言い訳を欲していたのだ。坂上の提案は、河辺の「保身」と「見栄」を見事に両立させる完璧なロジックだった。

「その通りです。そして、その『絶対不抜の要塞』を構築するためには、工兵隊と輜重兵の展開に、今しばらくの時間が必要です。閣下、ここは一つ、方面軍司令官の権限において、作戦の『発動日』を二週間……いや、一ヶ月延期していただけないでしょうか」

 これが坂上の真の目的だった。

 史実におけるインパール作戦開始は3月。雨季が始まる5月までにインパールを落とすという、スケジュール的にも狂った計画である。

 だが、ここで開始を遅らせれば、雨季の到来はさらに早まる。「進撃を諦め、陣地に引きこもる」ための大義名分がより強固になるのだ。

「一ヶ月の延期か……。大本営は急かしてくるだろうが……」

 河辺は顎を撫で、熟考するポーズを取った。

「閣下のご裁断で、前線の将兵は『必勝の準備』を整えることができます。そして、その準備期間の遅れなど、英軍を罠にかけて殲滅すれば、帳消しになるどころか、閣下は『深謀遠慮の名将』として歴史に名を残すことになりましょう」

 保身。そして、歴史への名誉。

 官僚が最も抗えない二つの劇薬を、坂上は致死量まで致死量まで河辺に投与した。

「……よかろう」

 ついに、河辺が大きく頷いた。

「大本営の阿呆どもの突き上げは、この私が防波堤となって引き受けよう。牟田口よ、君は君の思う通り、『完璧な陣地』とやらを築いてみせよ。作戦開始は、君の準備が整うまで待つ!」

「ハッ! 閣下のご英断、第15軍将兵を代表し、心より感謝申し上げます!」

 坂上は、テーブルの横で立ち上がり、最敬礼をした。

 顔は下に向けている。

 もしこの時、河辺が坂上の顔を見上げていれば、そこには「牟田口廉也」らしからぬ、冷酷な狩人のような凄絶な笑みが張り付いているのを見たことだろう。

(勝った)

 坂上は内心で強く拳を握りしめた。

 最も厄介な身内のトップを、言葉一つで「共犯者」に仕立て上げたのだ。

 これで、史実の狂気的なタイムリミットは破壊された。物流ネットワークをジャングルに構築するための、喉から手が出るほど欲しかった「時間」を勝ち取ったのだ。

「さあ、牟田口。堅苦しい話はここまでだ。飲もうじゃないか」

 機嫌を良くした河辺が、坂上のグラスに赤ワインを注ぐ。

「……いただきます」

 坂上はワイングラスを口に運んだ。

 芳醇な葡萄の香りが広がる。現代の高級レストランで出されても遜色のない味だ。

(だが、甘すぎる)

 坂上は無表情のままワインを喉に流し込む。

 彼の脳が、舌が、魂が求めているのはこんな軟弱な液体ではない。

 深夜の防衛省で、複雑怪奇な予算書と格闘する時に飲んだ、あの胃を焼くような漆黒の液体。ガリガリと噛み砕く、コーヒーキャンディの硬質な刺激。

 泥臭い現場の構築は、ここからが本番だ。

 坂上は、ワイングラスの向こうで談笑する河辺を見据えながら、早く前線に戻って「焦げた木の実の汁」を呷り、兵站要塞の図面を引きたくてうずうずしていた。

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