EP 9
技術開発部門の意地(兵器改造)
ラングーンでの会食から数日後。
前線に近いメイミョーの第15軍司令部裏手にある、仮設の兵器廠(整備工場)。
そこは、油の焼ける匂いと、整備兵たちの怒声、そして金属がぶつかり合う甲高い音に支配されていた。
「司令官閣下、このような薄汚れた場所に自ら足を運ばれるとは……」
案内役の兵器部将校が、ハンカチで鼻を覆いながら恐縮しきった声を出す。
「構わん。現場が軍隊の心臓だ」
坂上(牟田口)は、将校の言葉を冷たく遮り、工場の奥へと足を踏み入れた。
史実の牟田口であれば、油まみれの整備兵など見下して一瞥もくれなかっただろう。だが、海上自衛隊の艦艇開発隊に籍を置き、次世代兵器のシステム設計に関わってきた坂上にとって、整備区画こそが戦力維持の要であった。
工場内を見渡した坂上の太い眉が、不快げに中央で寄る。
そこにあるのは、絶望的な光景だった。
部品取りにされて鉄屑と化した九七式自動貨車。弾詰まりを起こして放り出された九九式軽機関銃。そして、泥にまみれて錆びついた小銃の山。
「……ひどい有様だな」
坂上は、作業台の上に無造作に置かれていた拳銃――将校用の十四年式拳銃を手に取った。
ずしりとした重み。
だが、現代の軍事技術を知る坂上からすれば、これは欠陥品に等しかった。
(……ストライカー式の撃発機構は悪くないが、泥や埃に弱すぎる。こんな隙間だらけの構造では、ジャングルの泥沼に落とした瞬間に作動不良を起こすぞ。現代のポリマーフレームを採用したグロック17の堅牢さには遠く及ばん。いや、それ以前に……)
坂上はスライドを引き、薬室を確認する。
(使用する8mm南部弾はストッピングパワーが低すぎる。ジャングルでの遭遇戦では一撃の威力が生死を分ける。敵の英米軍が携行しているコルトM1911(ガバメント)の.45ACP弾と撃ち合えば、確実に撃ち負ける構造だ)
現代兵器、特に銃器の構造にも精通している坂上にとって、旧日本軍の兵器はあまりにも「職人技に依存しすぎて、戦場の過酷さを想定していない」ように見えた。
「おい、そこの兵」
坂上が声をかけると、油まみれのツナギを着た若い整備兵が、ビクッと肩を跳ねさせて直立不動になった。中将という雲の上の存在に声をかけられ、顔面を蒼白にしている。
「は、ハッ! 何でありましょうか、司令官閣下!」
「この十四年式拳銃、用心金が狭すぎる。これでは雨季の泥や、負傷して包帯を巻いた指では引き金が引けん。今すぐ、ここにあるすべての拳銃の用心金を取り外すか、大きく広げるよう改修しろ」
「えっ……? 用心金を、改造するのでありますか?」
「そうだ。兵器は飾りではない。使えなければただの文鎮だ」
整備兵が戸惑うのも無理はない。天皇からの預かり物である兵器(恩賜の兵器)を、現場の判断で勝手に改造するなど、日本軍では重罪に問われかねない行為だったからだ。
「か、閣下! そのような勝手な改造は、兵器行政本部が……」
同行していた将校が慌てて口を挟む。
「責任は私が取る」
坂上は十四年式拳銃をドンッ! と作業台に置き、将校を鋭く睨みつけた。
「ジャングルで引き金が引けずに死ぬ兵士に、行政本部の書類が何をしてくれる? いいか、徹底的に『現場仕様』にしろ。使えない照尺は削り落とし、引っかかりをなくせ。泥が入る隙間には、現地のゴム樹液を塗って簡易的なシーリング(密閉)を施すのだ」
その具体的な、かつ極めて合理的な指示に、整備兵たちの目の色が変わった。
精神論しか喚かないと思っていた最高司令官が、誰よりも兵器の弱点と「現場の苦労」を理解している。
「……それから、あそこにある死んだトラックの山」
坂上は、工場の隅に積まれた車両の残骸を指差した。
「あれのサスペンション(板バネ)と車軸を切り出せ。そして、周辺の村から頑丈な竹と木材を調達し、人力で引ける『高機動型の手押し車』を造れ。タイヤはゴムだ。泥濘でも沈み込まないよう、接地面積を極限まで広げる設計にしろ」
「リヤカー、ですか……! しかし閣下、エンジンブロックが重すぎて、クレーンなしでは解体作業が……」
整備兵の長らしき下士官が、困り果てた顔で報告する。
見れば、数人の兵士が顔を真っ赤にして、トラックの重いエンジンブロックをフレームから下ろそうと苦戦していた。
「……貸せ」
坂上は舌打ちをすると、軍服の上着のボタンに手をかけた。
防衛省の技術開発部門にいた頃、現場の技術者たちと共に汗を流すのは彼の日常だった。その血が騒いだのだ。
上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖をまくり上げようとした――その瞬間。
(――ッ! いかん!)
坂上はハッとして手を止めた。
危ない。無意識にシャツまで脱ごうとしてしまったが、彼の背中には、若気の至りで彫り込んだ「阿吽の仁王像」の刺青が鎮座している。
いくらなんでも、中将の背中に極道の代名詞である和彫りが入っているとバレれば、それこそ大スキャンダルだ。指揮系統が崩壊する。
「か、閣下? いかがなさいましたか?」
整備兵たちが、不自然に固まった坂上を不思議そうに見つめる。
「……いや、なんでもない。少し、気合を入れようと思ってな」
坂上は咳払いをし、上着を着たまま、エンジンブロックに群がる兵士たちの間へ割って入った。
北辰一刀流の呼吸法で、丹田に深く気を落とす。
筋力ではない。「力のベクトル」と「重心」のコントロールだ。
「おい、そこをどけ。俺が支える。お前たちは固定ボルトを引き抜け」
「えっ!? 閣下自らですか!?」
坂上がエンジンブロックの下部に両手を差し込む。
分厚い軍服の下で、北辰一刀流で鍛え抜かれた鋼の筋肉が、そして背中の仁王像が、見えない唸り声を上げた。
「フンッ!!」
鋭い呼気と共に、数百キロの鉄の塊が、ふわりと数センチ宙に浮いた。
まるで、巨岩が持ち上がったかのような錯覚。
整備兵たちは目を剥いた。小太りに見えた牟田口中将の腕から、信じられないほどの力が発揮されている。
「ぼやぼやするな! 早く抜け!」
「ハ、ハッ!!」
慌てて兵士たちがボルトを引き抜く。
坂上は静かにブロックを横の台座へと下ろした。息一つ乱れていない。
工場内は、水を打ったように静まり返っていた。
一番偉い雲の上の将軍が、泥にまみれ、自らの手で重い鉄の塊を持ち上げたのだ。それも、達人のような身のこなしで。
「……いいか、お前たち」
坂上は、油で汚れた手をハンカチで無造作に拭きながら、整備兵たちを見渡した。
「大本営の机上の空論など、どうでもいい。兵士の命は、最前線で戦う歩兵と、それを支える『お前たちの技術』に懸かっている。使えるものは敵の兵器だろうが残骸だろうがすべて使え。文句を言う奴がいたら、俺のところに連れてこい。俺が責任を取る」
「閣下……ッ!」
整備兵たちの目に、熱いものがこみ上げていた。
これまでの軍隊生活で、裏方である自分たちをここまで評価し、共に汗を流してくれた将軍など一人もいなかった。
「技術の意地を見せてみろ。俺の要求する兵站要塞を、お前たちの手で組み上げろ」
「ハッ!! 命に代えましても!!」
工場中に、地鳴りのような敬礼と返事が響き渡った。
彼らはもはや、ただの整備兵ではない。狂気のジャングルに「生存の道」を切り拓く、坂上真一の直属の技術開発部隊へと変貌を遂げた瞬間だった。
工場を後にした坂上は、ジープに乗り込みながら、一人ひっそりと冷や汗を拭った。
(危なかった……。背中の仁王を見られずに済んだ。だが、あの兵器の有様では、まだまだ改修が必要だな。鹵獲した英軍のステン短機関銃の構造でも図面に引いてみるか)
遠山の金さんのように正体を隠したつもりが、逆に恐ろしいほどのカリスマを現場に振り撒いてしまった「現代のエリートアーキテクト」。
彼の頭の中では、ジャングルを舞台にした巨大な「兵器と物流の魔改造計画」が、猛烈なスピードで進み始めていた。




