EP 7
内部のジョーカー(理想と現実の密約)
帝都・東京。
GHQ本部(第一生命館)からほど近い、陸軍第一病院の最上階・特別室。
「お父様……! お母様……!」
数年ぶりに再会した両親の姿に、ベアテ・シロタ・ゴードンは涙を流して駆け寄った。
特高警察に軟禁され、栄養失調で死にかけていたはずのピアニスト、レオ・シロタと妻のオーギュスティーヌ。だが、目の前の二人はふっくらと血色が良く、清潔なシーツの上で、温かい紅茶とスコーンを楽しんでいた。
「ベアテ……ああ、生きて会えるなんて。ここの病院の方々が、本当に良くしてくださったのよ」
「ええ。この雪川美奈子さんという素晴らしい看護師が、毎日付きっきりで看病してくれたんだ」
両親が感謝の視線を向ける先には、白衣姿の美奈子が静かに微笑んで立っていた。
ベアテは、GHQ民政局の軍属として戦後の日本に降り立ったばかりの22歳。彼女は、自分を信じて極秘の電報を送ってくれた「日本の新しい指導者」の言葉が、何一つ嘘ではなかったことを悟った。
「……感動の再会は済んだか、お嬢ちゃん」
病室の入り口。
軍用外套を羽織り、プレイヤーズのタバコを吹かす巨漢――内閣特別防衛補佐官・坂上真一(牟田口)が、静かに立っていた。
「あなたが……ムタグチ閣下。両親の命を救っていただき、本当に……何とお礼を言えばいいか……!」
ベアテは深く頭を下げた。
「礼なら、これからお前の『仕事』でたっぷり返してもらうぜ」
坂上は、美奈子に目配せをして両親を別室へ案内させると、ベアテと二人きりになった病室で、パイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。
「単刀直入に言う。……お前は今、ケーディスの下で『新しい日本国憲法』の草案作成チームに入っているな?」
「……! なぜ、それを……GHQの最高機密です!」
ベアテが息を呑む。
「俺のシマ(日本)で起きてる事で、俺の耳に入らねぇ事はねぇんだよ。……お前の担当は『人権』と『婦人の権利(男女平等)』だろ」
坂上は、タバコの灰を落とし、鋭い眼光でベアテを射抜いた。
「素晴らしい理想だ。だがな、ベアテ。お前がいくら美しい英語で『男女平等』や『基本的人権』を書き連ねても、日本の古い政治家(ジジイ共)は絶対に猛反発するぞ。奴らにとって、家父長制の解体は国体の破壊に等しいからな」
ベアテは唇を噛んだ。
彼女自身、幼い頃から日本で育ち、日本の女性がいかに封建的な制度の下で虐げられてきたかを痛いほど知っていた。だからこそ、GHQの権力を使ってでも、新しい憲法で日本の女性を救いたかったのだ。
「……それでも、私は書きます。それが、私が愛した日本への恩返しだから」
「いい覚悟だ。……なら、俺がそのお前の『理想』を、一文字も修正させずに国会で完璧に通してやる」
坂上の言葉に、ベアテは顔を上げた。
「日本の議会も、古い政治家も、今は全部俺が首輪を握ってる。俺が『賛成と言え』と命令すれば、あの老害どもは血の涙を流しながらお前の人権条項に賛成票を投じる。……俺の圧倒的な権力(暴力)で、お前の理想を守ってやる」
「……本当ですか!? でも、どうしてあなたがそこまで……」
「タダじゃねぇよ。等価交換だ」
坂上は、懐から一枚のメモ用紙を取り出し、ベアテの目の前に突きつけた。
「お前の理想(人権)を通す代わりに、俺の現実(国防)を認めさせろ。……ケーディスが書いている『第9条(戦争放棄)』の条文に、この『たった数文字の英語』を滑り込ませろ」
メモを受け取ったベアテの目が、驚愕に見開かれた。
そこに書かれていたのは、一見すると平和を愛する美しい文脈の中に、極めて巧妙に隠された『法的な抜け穴』であった。
『……In order to accomplish the aim of the preceding paragraph(前項の目的を達するため)……』
「……この一文を、戦力の不保持を定めた第2項の冒頭にくっつけるだけでいい」
防衛省J5において、法律の網の目を潜り抜けて自衛隊の予算を獲得し続けてきた男の、悪魔のような法解釈。
「これを入れることで、『侵略戦争の目的を達するための戦力は持たないが、自衛のための実力組織は例外である』という解釈が成り立つ。……ケーディスは日本語の機微に疎い。語学が堪能なお前が『この方が文章として自然です』とでも言って、翻訳の過程でさりげなく混ぜ込め」
「そ、そんな……! 日本の完全な非武装化は、マッカーサー元帥の絶対の意思です。それがバレたら、私は……!」
「バレねぇよ。お前らアメリカが、数年後に『日本に軍隊を残しておいて本当に良かった』と泣いて感謝する日が必ず来るからな」
坂上は立ち上がり、怯えるベアテの肩をポンと叩いた。
「これは、お前の両親を救った借金の取り立てじゃねぇ。お前が愛した日本を、二度と焦土にしないための『最強の盾』を作るための契約だ」
理想に燃える22歳の若き才女と、現実の泥水を知り尽くした理性の化け物。
病室という密室で結ばれたこの極秘の密約が、大日本帝国を「名ばかりの属国」から、「軍事力を持った真の独立国」へと押し上げる、最大の決定打となるのであった。
「……さあ、急げよベアテ。俺は明日、ケーディスと最終交渉のテーブルに着く。……お前が仕込んだ『ジョーカー』を、奴の顔面に叩きつけてやるためにな」




