EP 5
マッカーサーのパイプと、総長のタバコ(厚木のファーストコンタクト)
1945年(昭和20年)8月30日。
神奈川県、厚木海軍飛行場。
夏の強烈な日差しの中、上空から飛来したアメリカ軍のC-54輸送機『バターン号』が、轟音と共に滑走路へ滑り込んできた。
「……着いたぞ。極東の野蛮人どもの国にな」
機内で、レイバンのティアドロップ型サングラスをかけ、トレードマークのコーンパイプを咥えた男――連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサー大将は、窓の外を見下ろして不敵に笑った。
ワシントンの大統領は、あの『ムタグチ』という男のハッタリにビビり、条件付き降伏などという弱腰の協定を結んだ。
だが、マッカーサーの腹の中は違った。
無傷のアメリカ軍を背景に、厚木に降り立った瞬間から「絶対的な征服者」として振る舞い、日本の指導部を心理的に圧倒してやる。そうすれば、協定の抜け穴を突いて、この国を実質的なアメリカの属国(植民地)へと作り変えることができるはずだ。
「さあ、諸君。大日本帝国の葬式を始めよう」
プシューッ、と。バターン号のタラップが降ろされる。
マッカーサーは、威風堂々とした足取りでタラップの最上段に立ち、出迎える日本の敗残兵たちを見下ろそうとした。
史実において、日本国民に「アメリカの絶対的な力」を刻み込んだ、あの有名な歴史的構図である。
しかし。
タラップの下で彼を待ち受けていた光景は、マッカーサーの想定を、根底から、そして決定的に裏切るものであった。
「……何だ、あれは」
マッカーサーの背後に控えていた副官が、息を呑む。
平身低頭して震える、フロックコート姿の軟弱な日本の役人など、そこには一人もいなかった。
滑走路の中央に陣取っていたのは、泥と血の匂いが染み付いた軍用外套を羽織り、右肩に赤錆びた『鉄パイプ』を担いだ、東洋人離れした巨漢。
その後ろには、トンプソン・サブマシンガンをだらしなく構え、極悪な笑みを浮かべる数十人のコマンドー(元・浅草のヤクザたち)が、獲物を狙う獣のような目でバターン号を睨みつけている。
「……遅ぇぞ、マッカーサー。帝都のシマの入り口で、いつまで待たせる気だ」
巨漢――内閣特別防衛補佐官、坂上真一(牟田口)は、ジッポライターで『プレイヤーズ』のタバコに火を点け、紫煙を空に向かって長く吐き出した。
敬礼はおろか、頭を下げる素振りすら一切ない。
「き、貴様がムタグチか……! 最高司令官に対して、なんという態度だ! 無礼にも程があるぞ!」
マッカーサーの副官が、タラップの上から怒鳴り声を上げる。
「無礼? 笑わせるな」
坂上は、気怠そうに首の骨をゴキリと鳴らした。
「俺は、お前らを『客』としてこのテーブルに招いてやったんだ。……家主に向かって威張り散らす行儀の悪りぃ客は、門前払いしてやってもいいんだぜ」
坂上の言葉と同時に、背後のコマンドーたちがチャキッ、と一斉に銃のボルトを引き、滑走路の空気が一瞬にして凍りついた。
さらに、飛行場の外周には、マッカーサーたちの退路を塞ぐように、完全武装した日本軍の戦車部隊がズラリと砲口を向けて並んでいる。
「なっ……!?」
マッカーサーは、サングラスの奥で目を剥いた。
彼らは敗残兵ではない。
高度一万メートルから原爆搭載機を叩き落とし、アメリカを交渉のテーブルへ「力尽くで引きずり出した」、正真正銘の『最強の武装集団』なのだ。
マッカーサーは、額に冷や汗を浮かべながら、ゆっくりとタラップを降りた。
そして、坂上の目の前で立ち止まる。
コーンパイプを咥えた、大英帝国とアメリカの威信を背負う老将。
プレイヤーズを咥えた、現代の防衛省J5から来た理性の化け物。
二人の身長はほぼ同じ。だが、坂上の背中から立ち上る『阿吽の仁王像』の圧倒的な覇気と、一切の油断のない合理的な殺気が、空間の支配権を完全に掌握していた。
「……貴官が、日本軍の実質的なトップか」
マッカーサーが、低い声で問う。
「ああ。俺が坂……牟田口廉也だ。お前らGHQが、ソ連の野郎どもから極東を守るための『最強の防波堤』だ」
坂上は、鉄パイプを地面に突き立て、右手を差し出した。
マッカーサーは、一瞬ためらった後、その手を握り返した。
ギリッ……! と、互いの骨が軋むほどの、凄まじい握力の応酬。
「我々は、日本の非武装化と民主化を進めるために来た。……貴官のその『野蛮な暴力』も、今日限りで終わりだ」
マッカーサーが、負けじと睨み返す。
「非武装化ね。……寝言は、極東の地政学を勉強してから言えよ、老いぼれ」
坂上は、握手を乱暴に振りほどき、タバコの灰をマッカーサーの真新しい革靴の前に落とした。
「……いいか、ここは俺のシマだ。お前らに基地(部屋)は貸してやる。だが、この国の防衛と法律に、土足で踏み込んでくることは絶対に許さねぇ」
厚木の滑走路で交わされた、暴力と暴力の静かなる衝突。
マッカーサーは、この男を物理的に屈服させることは不可能だと、本能で悟った。
(……トルーマンの言った通りだ。この男は、軍隊という名の暴力装置では勝てない)
マッカーサーは、背後に控えていた『数名の背広姿のアメリカ人』へ視線を向けた。
(だが、国家の根幹を縛るのは武力ではない。『法律』だ。……野蛮な暴走族上がりに、我々アメリカが用意した『究極の鎖(日本国憲法)』が破れるか、見物だな)
背広組の中心に立つ、ハーバード大学卒のエリート法務官――チャールズ・ケーディス大佐が、冷徹な目で坂上の巨体を観察していた。
物理(原爆)の戦いは終わった。
大日本帝国とアメリカ合衆国による、真の独立国家としての存亡を懸けた『六法全書の喧嘩』の火蓋が、今、静かに切って落とされたのである。




