EP 4
テーブルへの招待(冷戦の予言と、不良債権の処理)
1945年8月中旬。
スイス・ジュネーブの米国大使館と、帝都・東京の地下防空指揮所(CIC)は、大英帝国から鹵獲した最新鋭の暗号通信機による『直接のホットライン』で繋がれていた。
「……信じられん。本当に極東のジャップが、我々の要求する前に『満州、朝鮮半島、台湾、および東南アジア全域からの即時無条件撤退』を申し出てきたというのか?」
ワシントンD.C.から通信を傍聴しているハリー・S・トルーマン大統領と国務長官ジェームズ・バーンズは、送られてきた日本の休戦条件を一読し、目を疑った。
彼らが想定していた「狂信的な軍国主義者」ならば、一寸の領土を失うことにも抵抗し、一億玉砕を叫ぶはずだった。
『驚くことじゃねぇだろ、ヤンキーの坊ちゃん共』
スピーカー越しに、東京のCICから、低くドス黒い、しかし完璧なクイーンズ・イングリッシュが響き渡る。
日本国内閣特別防衛補佐官、坂上真一(牟田口)の声である。
『俺から言わせりゃ、あんな広大な海外領土なんざ、維持費(兵站コスト)ばかりかかって利益を生まない「不良債権」だ。……アメリカ(お前ら)が代わりに統治して、現地のインフラ整備と独立運動の泥被りをやってくれるって言うなら、喜んで全部くれてやるよ』
その徹底的にドライな「資本主義的合理性」に、アメリカの首脳陣は言葉を失った。
この男は、大日本帝国の「名誉」や「大東亜共栄圏の理念」など、初めから一ミリも信じていない。ただ純粋な『損得勘定』だけで国家を運営しているのだ。
「……フン、強がるなムタグチ。我が国のマンハッタン計画(原爆)の前に、貴様らが恐怖して白旗を揚げただけだろう」
バーンズ国務長官が、精一杯の虚勢を張ってマイクに向かう。
『白旗? 笑わせるな』
坂上の声に、嘲笑が混じる。
『お前らの切り札なら、数日前に瀬戸内海の海底(ドブの中)に沈めてやっただろ。……俺のシステム(盾)の前じゃ、お前らの核兵器はただの鉄クズだ。……それとも、もう一発試してみるか? 次は帝都の空で、お前らの爆撃機を100機まとめてスクラップにしてやってもいいんだぜ』
「ッ……!!」
バーンズが絶句し、トルーマンが脂汗を流す。
完全に盤面を握られている。最強の矛を折られたアメリカには、もはや武力で日本を脅すカードが残されていない。
「……貴様の要求は何だ。海外領土をすべて放棄して、我々に何を求める」
トルーマンが、ついに大統領権限で直接交渉に乗り出した。
『話が早くて助かるぜ、ミスター・プレジデント』
東京の地下室。
坂上は、美奈子が淹れてくれたコーヒーを啜り、紫煙を吐き出しながら、巨大なユーラシア大陸の地図を睨み据えた。
『俺の条件は三つだ。……一つ、日本本土への無差別爆撃の即時停止。二つ、天皇制を含む「国体」の維持。……そして三つ、我が国の「自衛のための実力組織(軍隊)」の保持を認めることだ』
「馬鹿なッ! ふざけるな!!」
バーンズが激昂する。
「軍隊の解体と天皇の処罰は、我が国の世論が絶対に譲らない絶対条件だ! そんな休戦協定、議会が承認するはずがない!!」
『本当にそうか? 数年後の「未来」を計算できない三流の官僚は黙ってろ』
坂上の声が、氷のように冷たく、そして鋭く突き刺さる。
『いいか、ヤンキー共。ドイツが降伏した今、ヨーロッパの半分は赤軍(ソ連)のシマだ。そして、スターリンの野郎は今、極東の満州や朝鮮半島、さらには日本の北海道へ向けて、涎を垂らしながら戦車を走らせている』
その言葉に、トルーマンの心臓が大きく跳ねた。
それはまさに、アメリカが今最も恐れている「戦後の共産主義の脅威」そのものであった。
『俺が日本軍(盾)を完全に解体すれば、極東は巨大な「力の空白」になる。……五年後、お前らアメリカは、赤化する朝鮮半島や日本列島を舞台に、ソ連と直接、血みどろの戦争(第三次世界大戦)をするハメになるぞ。……何十万のアメリカの若者が、極東の泥沼で死ぬことになる』
「な……ッ」
『お前らアメリカの国益を考えろ。……俺たち日本を「狂犬」として解体するより、ソ連の南下を防ぐための「最強の番犬(イージスの盾)」として生かしておく方が、圧倒的に安上がりだろうが』
ワシントンD.C.の執務室は、水を打ったような静寂に包まれた。
まだ「冷戦」という言葉すら生まれていないこの時代に、極東の理性の化け物は、数年後の世界の地政学構造を完璧に予言し、それを根拠に「日本を武装解除させない合理性」をアメリカに叩きつけてきたのだ。
『……OWI(戦時情報局)のベアテ嬢にもよろしく伝えてくれ。俺たちは、彼女の両親を手厚く保護している。……戦後の「建設的でマシな関係」を築くために、いつでも彼女を迎え入れる準備があるとな』
最後の一押し。
武力(原爆撃墜)、論理(冷戦の予言)、そして人質。
すべての退路を絶たれたトルーマンは、深く、重い溜息をつき、マイクのスイッチを押した。
「……負けたよ、ミスター・ムタグチ。……いや、内閣特別防衛補佐官閣下」
トルーマンは、自らの敗北を認めるように、目を閉じた。
「貴国の条件付き降伏を、受け入れよう。……我が軍の太平洋総軍司令官、ダグラス・マッカーサーを全権大使として厚木へ向かわせる。……詳細は、彼と直接テーブルで決めてくれ」
『賢明な判断だ、大統領。……いいコーヒーを淹れて待ってるぜ』
プツン、と。
通信が切れた。
1945年8月。数百万の命を奪うはずだった本土決戦と原爆投下の悲劇は、防衛省J5で鍛え抜かれた一人の男の「圧倒的な交渉力」によって、完全な『条件付き降伏』へと書き換えられたのである。




