EP 3
理性の盾(太陽が海に沈む日)
高度二万八千フィート。
長10cm高角砲の異常な連射が作り出した『鋼鉄の壁』を避けるため、エノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ大佐は、機体を強引に右へバンクさせ、高度と速度を落としていた。
「クソッ! 広島市街から完全に逸れたぞ! 再び高度を稼いで進入ルート(アプローチ)をやり直す!」
「機長! 上です! 太陽を背にして、敵機が急降下してきます!!」
副操縦士が、恐怖に顔を引きつらせて絶叫した。
「馬鹿な! 高度一万メートルまで上がってこれるジャップの戦闘機など存在しないはずだ!!」
だが、ティベッツの網膜に焼き付いたのは、常識を完全に無視した異常な機体の群れであった。
ジュラルミンの地肌が剥き出しになり、防弾ガラスも、装甲板も、不要な機銃もすべて取り外された、骨とエンジンだけの異形の戦闘機――極限まで軽量化(魔改造)された『紫電改』の特別迎撃部隊である。
「ヒャッハー!! アメ公のデカブツが、ノロノロと這いずり回ってやがるぜ!!」
防弾鋼板を捨てた彼らは、一発でも被弾すれば即座に火だるまになる「空飛ぶ棺桶」に乗っている。
だが、彼らに恐怖はなかった。
なぜなら、彼らの「親分」である坂上真一(牟田口)の引いたシステム(計算)が、彼らを『絶対に被弾しない死角』へと完璧に誘導していたからだ。
エノラ・ゲイの防御火器(旋回機銃)の射角外、そして太陽の逆光という圧倒的有利なポジションから、紫電改の編隊がハヤブサのように急降下を仕掛ける。
「撃て! 撃ち落とせェェッ!!」
エノラ・ゲイの銃手たちがパニックに陥り、機銃を乱射する。だが、その弾道は軽量化によって常識外れの機動性を得た紫電改を捉えきれない。
ダダダダダダダダッ!!
紫電改の両翼に残された20ミリ機銃が、凄まじい咆哮を上げた。
標的は、エノラ・ゲイの強靭な胴体ではない。剥き出しになっている四基の巨大な心臓――ライトR-3350デュプレックス・サイクロン・エンジンである。
「第2、第3エンジンに被弾! 火災発生!!」
「油圧システムダウン! 操縦桿が効きません!!」
20ミリ機関砲弾の直撃を受けたエノラ・ゲイの主翼から、猛烈な黒煙とオレンジ色の炎が噴き上がった。
四つのエンジンのうち二つを破壊され、機体は完全に揚力を失い、錐揉み状態となって瀬戸内海へと落下を始める。
「クソォォォッ!! ならば、ここで落とす! 手動で爆弾倉を開けろ!!」
ティベッツは血走った目で絶叫した。
眼下にあるのは広島市街ではない。しかし、このまま機体ごと海に墜落するくらいなら、たとえ目標を外れていようとも、この『究極の兵器』を起爆させてジャップに絶望を刻み込んでやる。
だが。
ガコンッ、という鈍い音と共に爆弾倉から切り離された漆黒の爆弾『リトルボーイ』は、起爆コードを入力する間もなく、炎上するエノラ・ゲイと共に、瀬戸内海の深い海の中へと真っ逆さまに吸い込まれていった。
ザパァァァァァァァンッ!!!!
巨大な水柱が上がり、人類史上最悪の破壊をもたらすはずだった「太陽」は、核分裂を起こすことなく、ただの分厚い鉄の塊として、暗く冷たい海底の泥へと沈んでいった。
起爆高度に達する前に海面へ激突したため、精緻な起爆装置(レーダー信管)が完全にショートし、物理的に破壊されたのだ。
「……落ちたな。人類の、くだらねぇオモチャが」
呉の地下防空指揮所(CIC)。
レーダーからエノラ・ゲイの機影が完全にロストしたことを確認し、坂上真一は深くタバコの煙を吐き出した。
「やりました! 敵の新型爆撃機、瀬戸内海へ墜落! 広島への被害はゼロです!!」
女学生たちと情報将校が、抱き合って歓喜の涙を流す。
だが、坂上の顔に笑みはない。
彼が見据えているのは、目の前の戦果ではなく、太平洋の向こう側でこの絶望的な報告を受け取るであろう、アメリカの最高権力者の顔であった。
「……さあ、トルーマン。お前らの『最強のチート』は、俺のシステム(盾)がへし折ってやったぞ。……これでようやく、俺と同じテーブルに座る気になったか?」
* * *
「……エノラ・ゲイが……未帰還、だと……?」
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
ホワイトハウスの大統領執務室で、ハリー・S・トルーマン大統領は、陸軍長官スチムソンからの報告書を手に、膝から崩れ落ちそうになっていた。
「は、はい。日本軍は、事前に我々が広島を狙うことを完全に予測していたかのように、あの空域にのみ異常な密度の高射砲陣地を敷いておりました。……さらに、護衛のつかない単機であることを逆手に取られ、死角からの迎撃機によるピンポイント攻撃を受け……」
「馬鹿な……! あのマンハッタン計画は、我が国における最高機密だぞ! なぜ、投下目標から進入ルートまで、奴らに筒抜けなのだ!!」
トルーマンの全身から、滝のような冷や汗が噴き出した。
無敵のB-29編隊をすり潰され。
重要参考人の両親を人質として取られ。
そして今、国力を傾けて作り上げた「究極の切り札」すらも、まるで子供の玩具のようにあっさりと叩き落とされた。
「……大統領。もはや、日本本土への武力侵攻は不可能です。これ以上、あの『ムタグチ』という悪魔を刺激すれば、我々がどのような代償を払わされるか……想像もつきません」
マーシャル参謀総長が、青ざめた顔で進言する。
トルーマンは、ガタガタと震える手で顔を覆った。
超大国アメリカが、極東の島国に潜む「たった一人の理性の化け物」の前に、完全に心を折られた瞬間であった。
「……スイスの公使館を通じ、日本政府へ打電しろ」
トルーマンの口から絞り出されたその言葉は、アメリカが「無条件降伏(ポツダム宣言)」という大義名分を完全に放棄したことを意味していた。
「……『条件付き降伏』の交渉のテーブルに着く用意がある、とな」
昭和20年、8月。
人類を滅ぼすはずだった核の炎は海に沈み。
坂上真一の仕掛けた極限の防空システムと、冷徹な外交カードが、ついに大日本帝国を「破滅」から救い出し、アメリカを交渉のテーブルへと引きずり出したのである。
月神先生、いかがでしたでしょうか!
「装甲を引っぺがした紫電改」による急降下攻撃からの、エンジン破壊!
そして、人類最凶の兵器であるリトルボーイが「ただの鉄クズ」として瀬戸内海に沈むカタルシス。
一切の精神論を排し、艦艇開発局とJ5の『物理と論理』でアメリカの心を完全にへし折りました!




