EP 2
太陽を落とす日(エノラ・ゲイ迎撃戦・前編)
1945年(昭和20年)8月6日。
抜けるような青空が広がる、西日本の絶対の防空圏。
高度三万一千フィート(約九千四百メートル)。その澄み切った成層圏の入り口を、銀色に輝く巨大な四発重爆撃機が、単機で悠々と飛来していた。
「……天候は快晴。最高の爆撃日和だな」
特別改修型B-29『シルバープレート』――機体名エノラ・ゲイ。
機長のポール・ティベッツ大佐は、操縦桿を握りながら、酸素マスク越しに眼下に広がる瀬戸内海の島々を見下ろした。
「日本の防空網は帝都だけだ。この西日本の上空には、高射砲の弾一つ飛んでこない。……ジャップの指導者は、我々がこんな地方都市に『究極の兵器』を落とすとは夢にも思っていないのだろう」
エノラ・ゲイの巨大な爆弾倉には、人類史上最悪の破壊力を持つウラン型原子爆弾『リトルボーイ』が、静かにその時を待っている。
目標は、広島市街の中央に架かるT字型の橋――相生橋。
あと数分で投下点に到達する。ティベッツの目には、すでに作戦の完全なる成功しか見えていなかった。
* * *
「……馬鹿なアメ公だ。わざわざ俺の『庭』に、ノコノコと出向いてきやがって」
同じ頃。広島湾に面した軍港の街・呉。
その地下深く、分厚いコンクリートで覆われた防空指揮所(CIC)で、坂上真一(牟田口)は『プレイヤーズ』のタバコを深く吸い込み、獰猛に嗤った。
広島・呉といえば、彼がかつて暴走族総長として裏社会を束ねていた、正真正銘のホームグラウンドである。
「高度一万、単機。真っ直ぐ広島市街へ向かっています。……間違いありません、シルバープレート(原爆搭載機)です!」
レーダー手と、黒板で計算尺を弾く女学生たちの声が、地下室に甲高く響き渡る。
「帝都の防空網が最強だと思ってるから、西日本は安全だとタカを括ってやがるんだ。……だが、俺が艦艇開発局にいた頃、一番惚れ込んでいた『最高のオモチャ』は、この呉の海軍工廠に山ほど眠っていたからな」
坂上は、薄暗いCICの天井――その遥か上空を睨みつけた。
呉や広島の周辺の山々には今、海軍の秋月型駆逐艦などから陸揚げされた数百門の『長10cm高角砲』が、すり鉢状に配備され、天に向けてその長い砲身を突き出していた。
初速1000m/秒。最大射高1万3千メートル。そして、装填機構の優秀さによる「毎分15発」という、当時の日本軍としては異常なほどの速射性能を誇る、防空戦の最高傑作である。
「……目標、投下点まであと一分!」
「撃ち方、待て。……敵が爆弾倉を開ける、その瞬間まで引きつけろ」
坂上は、ジッポライターの蓋をカチンと鳴らした。
この一発を防げなければ、数十万の市民が太陽の炎に焼かれる。
だが、坂上の背中に宿る『阿吽の仁王像』は、恐怖ではなく、極限の集中力と暴力を放って静かに脈打っていた。
「……今だ。全門、殺せ(ファイア)」
* * *
「目標確認。爆弾倉、開け」
エノラ・ゲイの機内で、ティベッツ大佐が投下指令を出そうとした、その刹那。
――ドォォォォォンッ!!!!
眼下の呉・広島の山々から、数百の閃光が一斉に瞬いた。
そして数秒後。
エノラ・ゲイが直進するわずか数百メートル先の空域に、突如として『漆黒の巨大な壁』が出現した。
「なっ……!?」
ドガガガガガガガガガッ!!!!
長10cm高角砲の異常な連射速度と、女学生たちが電話線網で算出した完璧な未来予測。
空中に、数千個もの鋼鉄の破片が秒単位で炸裂し、エノラ・ゲイを囲い込むような『巨大な箱型の弾幕』が形成されたのだ。
「フ、フラック(対空砲火)だと!? 高度三万一千フィートだぞ! なぜこんな正確に……ッ!」
ティベッツが悲鳴に近い声を上げる。
カンッ、ガガンッ!!
弾幕の破片がエノラ・ゲイのジュラルミンの機体を叩き、右翼の第4エンジンから黒煙が噴き上がった。
「被弾しました! 機長、このまま直進すれば、完全に弾幕の『壁』に激突します! 爆撃機動を放棄して、回避を!」
「クソッ!! ジャップめ、帝都だけでなく、こんな地方都市にまでシステマチックな防空網を隠し持っていたというのか!!」
ティベッツは、血を吐くような思いで操縦桿を強引に右に切り、急降下しながら弾幕の箱から逃れようとした。
広島への原爆投下は、物理的に阻止された。
だが、ティベッツはまだ最悪の事態に気づいていなかった。
弾幕の壁を避けるために、高度と速度を落として右へ旋回する。
それは、坂上真一が計算し尽くした『誘導』に、自ら飛び込むことを意味していたのだ。
* * *
「……アメ公が弾幕を避けて、高度を落としたぞ」
地下のCICで、坂上は獰猛な牙を剥き出しにして嗤った。
「システム(理屈)で動く相手なら、どう逃げるかくらい簡単に計算できる。……さあ、ここから先は『空のヤンキー共』の出番だ。ブッ殺してこい」
坂上が無線に怒鳴ると同時に。
エノラ・ゲイが回避した先の、さらに上空。太陽の逆光に隠れて潜んでいた『極限まで軽量化された狂気の機体』たちが、一斉に牙を剥いた。
装甲も、自動消火装置も、不要な機銃もすべて引っぺがし、アルミの骨組みと高出力エンジンだけになった、局地戦闘機『紫電改』の特別迎撃部隊である。
彼らは、坂上の用意した「死の袋小路」へと見事に誘導されてきた銀色の巨大な獲物に向けて、一切の躊躇なく、垂直の急降下を開始した。
「ヒャッハー!! 総長(閣下)の言う通り、ドンピシャで網にかかりやがったぜ!!」
人類を滅ぼす太陽を積んだ悪魔の爆撃機に、身包みを剥いだ昭和のストリートレーサーたちが、凄まじい速度で襲いかかる。




