第六章 マシな日本国憲法
大統領の死と、銀の皿
1945年(昭和20年)4月。
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
「……ルーズベルト大統領が、脳溢血で急死しただと?」
副大統領から急遽、第33代大統領へと昇格したハリー・S・トルーマンは、執務室で信じられない報告を受け、顔面を蒼白にしていた。
前任者が抱え込んでいた機密事項を何も知らされていなかった彼は、就任早々、陸軍長官スチムソンから「二つの絶望的な事実」を突きつけられたのだ。
「一つ目は、極東の島国(日本)についてです。……現在、日本の指導部は『ムタグチ』という理性の化け物に完全に掌握されています。我が軍のB-29編隊はシステマチックな防空網で大損害を出し、さらに奴は、我々に『条件付き降伏』を迫ってきております」
「……馬鹿な。あの狂信的なジャップが、我々を外交のテーブルで脅迫しているというのか?」
トルーマンは、冷や汗を拭った。
このまま日本本土への上陸作戦を決行すれば、アメリカ軍は百万人の死傷者を出す。世論がそれに耐えられるはずがない。
「そこで、二つ目の事実です。……我々は数年前から、都市を一つ完全に蒸発させる『究極の爆弾(マンハッタン計画)』を進めてまいりました。今夏、それが実戦投入可能となります」
「都市を……蒸発させる……?」
「はい。このまま奴らの土俵に乗れば、アメリカの敗北に等しい。……ムタグチという男の理性を完全にへし折るには、もはやこの『絶対的な物理の暴力』を見せつけるしかありません」
トルーマンは、震える手で分厚い極秘ファイルを受け取った。
そこには、特殊改修された原爆搭載用B-29――暗号名『シルバープレート(銀の皿)』の運用計画が記されていた。
「……投下目標は、広島、小倉、あるいは長崎。……やるしかない。これ以上、あの極東の化け物にペースを握らせるな」
大統領のサインが、人類史上最悪の兵器の封印を解いた瞬間であった。
* * *
「……ルーズベルトが死んだか」
同じ頃。帝都・東京の地下防空指揮所。
スイスの駐在武官から届いた暗号電報を読み、坂上真一(牟田口)は、口にくわえていた『プレイヤーズ』のタバコから紫煙を吐き出した。
「閣下、これは好機ではありませんか! 敵の親玉が倒れ、アメリカの指導部は混乱しております! この隙に、和平交渉を……」
佐藤賢了が身を乗り出すが、坂上は冷たく首を振った。
「逆だ。前任者は手強かったが、ギリギリで『損得の計算』ができる男だった。……だが、後を継いだトルーマンってのは、何の実績もねぇ、ただの神輿だ」
防衛省J5において、数多の政治家を見てきた坂上には痛いほど分かっていた。
実績のないトップほど、就任直後に自分の「強さ」を証明しようと、最も短絡的で暴力的なカードを切りたがるということを。
「アメリカは必ず、交渉のテーブルに着く前に『一発』殴りに来る。……都市を丸ごと消し飛ばす、究極の爆弾でな」
「と、都市を消し飛ばす……!? 爆撃機の編隊(絨毯爆撃)ではなく、ですか!?」
「ああ。編隊は組まない。高高度を飛ぶ、たった数機のB-29が、一発の爆弾を落とす。……『シルバープレート』だ」
坂上は、黒板の前に立ち、日本地図の「広島」と「長崎」の二箇所を白墨で大きく丸で囲んだ。
「いいか、今の帝都防空網はただのハッタリだ。アメリカが本気で核を落とすなら、防空網が手薄で、かつ軍事拠点である西日本を狙ってくる。……この二つの都市の空に、俺たちの持てるすべての『システム』を全振りするぞ」
坂上の目は、艦艇開発局で日本の工業力の限界を見極めてきた「ハードウェアの鬼」の光を放っていた。
「大和や長門の主砲なんざ、重くて装填が遅い鉄クズだ。あんなもんで高度一万メートルのB-29を狙えるか。……俺が欲しいのは、秋月型駆逐艦に積まれている『長10cm高角砲(10cm連装高角砲)』だ!」
「あ、秋月型の高角砲ですか! しかしあれは、海軍が艦隊防空の要として……」
「艦隊なんざもう海に出れねぇんだから、全部陸に引き上げろ! あの大砲は、毎分15発という異常な連射速度と、高度1万3千メートルまで届く初速を持った『日本最高の傑作対空砲』だ。……これを数百門、広島と長崎の周辺にすり鉢状に配置し、電話線で完全にネットワーク化しろ」
J5のエリート官僚としての防空計算と、艦艇開発局の知識が完璧に噛み合った、圧倒的に現実的な防空システムの構築。
さらに、坂上の「元ヤン総長」としての狂った発想が、もう一つの迎撃システムに牙を剥いた。
「大砲だけじゃねぇ。直接叩き落とす『空のヤンキー(迎撃機)』も用意する。……局地戦闘機『紫電改』の特別部隊を編成しろ」
「し、紫電改は優秀ですが、高度一万メートルではエンジンの出力が落ちて、B-29に追いつけません!」
航空参謀が悲鳴を上げる。
「だから『魔改造』するんだよ。喧嘩で足が遅ぇなら、余計な肉を削ぎ落とせ」
坂上は、ドンッと黒板を叩いた。
「機関砲は4門から2門に減らせ。防弾鋼板、自動消火装置、無線機、燃料タンク……高度1万メートルに到達するために不要な装甲と装備は、親の形見だろうが全部引っぺがせ! アルミの骨組みとエンジンだけの『紙飛行機』にしろ!」
「なっ……!? そ、それでは一発でも被弾すれば火だるまです! パイロットが死にます!」
「馬鹿野郎、誰が特攻しろと言った」
坂上は、タバコの灰を落とし、獰猛な笑みを浮かべた。
「相手は編隊を組まない『単機のB-29』だ。……地上からの長10cm高角砲の弾幕(壁)で敵の回避ルートを限定し、その死角から、極限まで軽くした紫電改が急降下してエンジンを撃ち抜く。……イージスのシステムと、削ぎ落とした暴力の連携だ。絶対に死なせねぇよ」
昭和20年、夏。
超大国アメリカが放つ、人類の歴史を変える悪魔の兵器『エノラ・ゲイ』。
その飛来を秒単位で予測する「理性の化け物」は、極限まで研ぎ澄まされた日本のシステムと刃を、広島と長崎の空に静かに研ぎ澄ませていた。




