EP 10
理性の化け物と、終わりの始まり(第5章・完)
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
ホワイトハウスの大統領執務室は、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……信じられんな。あの東洋の小国が、我々の戦時情報局(OWI)の中枢スタッフの家族をピンポイントで保護し、それを『交渉のテーブルに着くためのチップ』として切ってきたというのか」
車椅子に座る第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、スイス経由で届いたベアテ・シロタ・ゴードン宛の電報のコピーを読み、深く眉をひそめた。
「しかも、我々のB-29編隊を『戦艦の主砲と数学』で叩き落とした直後にな。……マーシャル。この『ムタグチ』という男は、一体何者なんだ。これまでの狂信的な軍国主義者たちとは、完全に思考回路が違うぞ」
問いかけられた陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは、苦渋の表情で首を振った。
「経歴は愚将そのものでした。しかし、インパールでの英軍10万の無血開城、そして先の帝都防空戦……。現在、日本の指導部は完全にこの男の『冷徹な合理性』に支配されています。……大統領、もしこのまま日本本土への上陸作戦(ダウンフォール作戦)を決行すれば、我が軍は100万人規模の死傷者を出す恐れがあります」
「コストが高すぎる、というわけか」
ルーズベルトは、机の上の書類を指先で弾いた。
大英帝国を物理的に屈服させ、アメリカの世論(ボディバッグの数)を人質に取り、戦後のGHQの中枢スタッフにまで恩を売る。
このままでは、アメリカは「無条件降伏」を諦め、彼らの望む「条件付き降伏」のテーブルに着かざるを得なくなる。
「……だが、我々にはまだ『切り札』がある」
ルーズベルトの瞳に、冷酷な光が宿った。
「ロスアラモスの研究所に連絡しろ。……『マンハッタン計画』を最優先で推進させろ。極東の理性の化け物がこれ以上盤面を固める前に、太陽の炎で、奴らの島ごと焼き尽くす」
超大国アメリカが、極東の島国を「ただの敵国」ではなく「完全に排除すべき致命的なバグ」と認識し、最凶の絶滅兵器のスイッチに手をかけた瞬間であった。
* * *
同じ頃。帝都・東京、内閣特別防衛補佐官の執務室。
チャキッ、ガチャン。
深夜の静寂の中、硬質な金属音が響いていた。
坂上真一は、執務机の上で一丁の拳銃を完全に分解し、再び組み上げる作業を繰り返していた。
インパールでイギリス軍の将校から奪い取った、アメリカ製の『M1911A1』自動拳銃。
天才銃器デザイナー、ジョン・ブローニングが設計したこの銃は、一切の無駄を削ぎ落とした完璧な「機能美と暴力の結晶」であり、現代の兵器や防衛システムを知り尽くした坂上にとっても、指先を動かして思考を整理するには最高の道具であった。
「……閣下。こんな夜更けに銃の手入れですか?」
ノックと共に、白衣姿の雪川美奈子が部屋に入ってきた。
彼女の手には、湯気を立てる皿が乗ったお盆が握られている。
「夜食をお持ちしました。厨房のイモの配給が少しマシになったので、ご要望通りに揚げてみましたよ」
「ああ、悪いな」
坂上はM1911A1のスライドを引き、安全装置をかけると、美奈子が机に置いた皿に目をやった。
きつね色に揚がった、フライドポテトである。
「塩は振っていません。そのままで、とのことでしたので」
「当然だ。塩なんざ振ったら、素材本来の味が死んじまう。……余計な味付け(ノイズ)がない方が、頭が冴えるんだよ」
坂上は太い指でポテトをつまみ、放り込むように口に入れた。
カリッとした食感の後に広がる、素朴で純粋なイモの甘み。J5の激務の合間にも、よくこうやって塩なしのポテトを齧りながら、徹夜で防衛予算の計算書と睨み合っていたものだ。
「……どうしました? 怖い顔をして」
美奈子が、空になったコーヒーカップを片付けながら首を傾げる。
「アメリカの坊ちゃん共が、いよいよ『禁じ手』を使ってくる頃合いだと思ってな」
坂上は、壁に掛けられた太平洋の地図を睨み据えた。
「俺が突きつけた防空網とジョーカー。常識のある為政者ならここで交渉のテーブルに着く。……だが、アメリカには盤面をひっくり返せる『チート兵器』がある。奴らは必ず、交渉の前に一度、それを使って俺たちの心を完全に折りに来るはずだ」
「チート兵器……? B-29以上の爆撃機があるんですか?」
「機体じゃねぇ。落とす『爆弾(中身)』だ」
坂上は、最後に残ったポテトを口に放り込み、立ち上がった。
その背中で、軍服越しに『阿吽の仁王像』が、これから訪れる未曾有の死闘を予感して獰猛に蠢くような錯覚を放つ。
「マンハッタン計画。……都市を丸ごと一つ、一瞬で蒸発させる悪魔の兵器だ」
美奈子が息を呑む。
坂上は、机の上に置かれたM1911A1を手に取り、その重みと冷たさを掌で確かめた。
「B-29の編隊を落とすのとは次元が違う。奴らはたった一機で、何万メートルも上空から『太陽』を落としに来る。……それを防げなければ、俺たちの作った防空網も、交渉のテーブルも、全部灰になる」
窓の外。
夜明け前の帝都は、坂上が大本営から奪い取った束の間の平穏の中で、静かに眠っている。
この街を、そしてこの国を、最も安上がりな『条件付き降伏』へと着地させるための、最後にして最大のミッション。
「……総力戦(シマの奪い合い)だ。アメリカの核爆弾、俺のシステムで完璧に撃ち落としてやる」
昭和20年へと向かう、歴史の分岐点。
理性の化け物と超大国アメリカとの、極限の頭脳戦と暴力が交差する『最終決戦』の幕が、静かに開こうとしていた。




