EP 7
未来への恩売り(艦艇開発局の遺産と、軽井沢の解放)
帝都・東京。
大本営から実権を奪い取り、実質的な日本の『影の宰相』となった坂上真一は、執務室の机に山のように積まれた設計図面を前に、苛立たしげに赤鉛筆を走らせていた。
「……やり直しだ。大和型戦艦の建造計画なんざ、今すぐスクラップにしろ。浮いた鋼材と予算はすべて、防空レーダー網の構築と『近接信管(VT信管)』の量産に回すんだよ」
呼び出された軍需省の技術将校たちは、巨漢の司令官が放つ理路整然としたダメ出しに、冷や汗を拭いながら平身低頭していた。
坂上の経歴は、防衛省J5(統合幕僚監部防衛計画部)だけではない。
元・暴走族総長としての『暴力』。
イージス艦長としての『戦術指揮』。
J5における『国家防衛のグランドデザイン(戦略)』。
そして――それらを具現化するためのハードウェアを作る『艦艇開発局』での泥臭い開発・調達経験だ。
精神論しか知らない昭和の軍人とは違い、坂上は「兵器の仕組み」と「工業的な量産ラインの限界」を骨の髄まで熟知している。
「いいか。イージス艦ってのは、ミサイルが凄いんじゃねぇ。レーダーで敵を捉え、システムで処理する『眼と脳』があるから最強なんだ。……俺は今から、この日本本土全体を『巨大なイージス艦』に魔改造する。技術局の総力を挙げて、本土防空システム(アーキテクチャ)を組み上げろ」
「は、ハッ!! 直ちに手配いたします!」
逃げるように退室していく技術将校たちと入れ替わるように、副官の佐藤賢了が執務室に入ってきた。
「閣下。……ご指示の件、手配が完了いたしました」
「ああ。ご苦労だったな」
坂上は図面から顔を上げ、新しい『プレイヤーズ』のタバコに火を点けた。
彼が佐藤に命じていたのは、兵器の開発ではない。ある『極秘の保護ミッション』であった。
* * *
同じ頃。長野県・軽井沢。
外国人疎開地として指定されたこの場所の、とある古びた洋館では、陰湿な怒号が響いていた。
「おい、ユダヤの豚ども! 貴様らのようなスパイが、この神聖な日本で飯を食えるだけありがたいと思え!」
特別高等警察(特高)のコートを着た男が、土足で室内に上がり込み、初老の外国人男性を小突いた。
世界的な天才ピアニスト、レオ・シロタ。そして妻のオーギュスティーヌ。
彼らは日本を愛し、多くの教え子を育ててきたが、戦争の激化と特高の狂気によって、この軽井沢に軟禁され、飢えと嫌がらせに苦しむ日々を送っていた。
「お願いです、妻の薬だけでも……彼女は体が弱いのです」
レオが懇願するが、特高の男は鼻で笑い、彼を蹴り飛ばそうと足を振り上げた。
――その時である。
ドゴォォォォンッ!!!
洋館の重厚なドアが、凄まじい蹴りによって蝶番ごと吹き飛び、特高の男の背中を直撃した。
「がぼァッ!?」
「何だ!? 貴様ら、特高警察に逆らって……ッ!」
怒鳴ろうとした別の特高の顔面に、闇から伸びた手が容赦なく『メリケンサック』を叩き込んだ。
メシャッ! という骨の砕ける音と共に、特高たちが次々と床に沈む。
「……ケッ。大層なコート着て威張ってる割には、喧嘩の一つもできねぇのかよ、サツの犬どもが」
土足で踏み込んできたのは、インパールを生き抜いた坂上の直属コマンドー(元・浅草のヤクザ)たちであった。
「あ、あなた方は……?」
震えるレオ・シロタの前へ、白衣を着た若い女性が小走りで駆け寄った。
雪川美奈子である。彼女は医療バッグを下ろし、オーギュスティーヌの手を優しく握った。
「大丈夫ですか? 私は看護師の雪川美奈子です。……酷い熱ですね。すぐに栄養剤と薬を打ちます」
「オオ……神ヨ……」
コマンドーの分隊長が、肩に担いでいた麻袋をドンッと床に置いた。
中からこぼれ落ちたのは、大英帝国から奪い取った最高級の『紅茶』『コーヒー』、そして『コンビーフ』や砂糖の山であった。
「俺たちの『総長』からの差し入れだ。食って元気出しな、おっさん」
分隊長はニヤリと笑い、怯える特高の襟首を掴んで洋館の外へ引きずり出していった。
* * *
「……シロタ夫妻の保護、完了しました」
帝都の執務室。佐藤の報告を受け、坂上は深く紫煙を吸い込んだ。
「なぜ、あのような老いた外国人の音楽家をわざわざ保護なされたのですか? 特高を敵に回してまで……」
怪訝な顔をする佐藤に、坂上は冷笑を浮かべた。
「あのジジイの娘……ベアテ・シロタだ。彼女は今、アメリカで暮らしているが、語学が堪能で頭がキレる。……日本が負けた後、進駐してくるアメリカ軍(GHQ)の中枢に、彼女は必ず中枢スタッフとして戻ってくる」
「戦後(負けた後)の、敵の司令部の要人ですか……!」
「そうだ。俺たちが戦うのは、軍隊だけじゃねぇ。戦争が終わった後の『政治』こそが本番だ」
坂上は、灰皿にタバコを押し付けた。
「特高に虐待され、飢え死に寸前だった両親を救い出し、最高級の医療(美奈子)とメシを与えて保護した。……この恩は、後で何万倍にもなって返ってくる。アメリカとの終戦交渉において、彼女は間違いなく俺たちの最大の『ジョーカー』になるぜ」
暴走族上がりの暴力と、艦艇開発局で培ったハードウェアの知識。そして、J5で磨き抜かれた、戦後の数十年先までを見据える悪魔的な政治力。
坂上真一という「理性の化け物」が仕掛けた未来への布石が、静かに、しかし確実に、日本の運命の歯車を回し始めていた。




